何年たっても、まだ狂ってる。
Still Crazy After All These Years (Paul Simon)
<< May 2012 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
前置きの長いイギリス菓子店
イギリス料理はまずいといわれる。いや実際にまずいんですよと、林望も書いていた(ように思う)。なので4年前のイギリス旅行の際には、旅行前にネットで「おいしい店」を調べてから行った。現地に住んでいる日本人が「ここのパイはおいしい」と推薦するパブや、インド料理店など。その甲斐あって、食べられないほどまずい店には当たらなかったし、そこそこ充実した食体験ができた。でも今思うと、せっかくイギリスに行くんだから、本当にまずいかどうか体験してもよかったかもと、ちょっと後悔していたりする。事前調査もなにもせず、適当にそこらのパブやカフェに入ればよかったかなあ、と。
イギリス旅行をした人と話をしていて、「やっぱり料理はイマイチだったよねー」と言われたときも、心から共感も、そして反論もできないのはなんだか寂しい。そんなとき、「いや、評判のいい店を選べば、まあまあおいしいよ」と答えるのはちょっと違う気がするし。だって「店を選べばおいしい」なんていうのは当たり前だし。適当にふらりと入った店でもまあまあおいしい、というレベルで初めて、「その国の食水準が高い」といえるのだと思う。

そういう訳で、イギリス料理かまずいかどうかは、実体験に乏しいので断言できない。でもイギリスの焼き菓子はおいしい。これは実体験から断言できる。特にスコーンやショートブレッドなど、紅茶に合う焼き菓子がおいしい。スコーンは大きく分けて「パサパサタイプ」と「しっとりタイプ」の二種類あるが、ロンドンではその二種類をそれぞれ別のティールームで味わえた。レストランに関しては事前調査をした私だが、ティールームに関しては適当に近くの店に入っても全然OKかもしれない。もうこの際、下手にレストランなど入らずに、3食全てティールームですませてもいいんじゃないかとふと思うが、それは日本にいるから思うこと。やはり旅行中は、昼にスコーンを食べると、夜は別のものが食べたくなるものだ。たとえそれがあまりおいしくなかったとしても。

前置きが長くなった。そんなわけで、玉造(たまつくり)にイギリス菓子の専門店があると聞いた時には心が騒いだ。しかもオーナーパティシェがイギリス人とか。行かな。これは行っとかな。
大阪女学院の隣にある「ブロードハースト」というお店。あの界隈は大阪クリスチャンセンターもあるし、わりとよく行く場所なんだけど、そんなお店があったとは知らなかった。2002年オープンというから、そんなに新しい店でもないし。
なぜ今まで気づかなかったんだろうという謎は、先日、その店を訪れたときに解けた。きっと、外観がケーキ屋さんっぽくないからなんだ。ケーキ屋というより、スタイリッシュなヘアサロンといった雰囲気。だから今まで気づかなかったのだろうと。

外観だけ見るとヘアサロンのよう。ちなみにイギリスはヘアカット技術の先進国でもある。


隣は大阪女学院。この界隈は緑が多く、落ち着いた街並みで散策が楽しい。
坂が多いので、上りはちょっときついけど。



店内に入ると正面に、生ケーキが並ぶショーケースがある。イギリスの焼き菓子なら幾つも思いつくけれど、生ケーキってどんなものか、行くまで想像がつかなかった。
ショーケースの中にあるのは、店のロゴと同じくパキッとした色使いの、カラフルモダンなケーキだった。日本の洋菓子店に多いフランス系のケーキや、スイス系のケーキのどちらにも似ていない。これがイギリス系のケーキ? いや、パティシェであるブロードハースト氏の創作ケーキという方が正しいだろう。説明書きを読まないと、見た目からはどんなケーキか想像できないものが多い。これを「食べるまでドキドキワクワクを楽しめる」ととらえるか、「どんな味かイメージできなくて不便」ととらえるかは人それぞれ。

ショーケースの隣の焼き菓子コーナーには、イギリスの伝統的な焼き菓子が並んでいた。伝統とモダンが違和感なく並んでいる、いかにもイギリスらしいお店だと感じた。
入口横には、テーブルが4つ並んだ喫茶スペースもあり、せっかくなのでここでイートインすることにした。人気のケーキらしく、最後の一個になっていた「マンボ」とアイスティーを注文。

おそらくほとんどの人が写真を撮りたくなるだろう、スマイルマークのケーキ「マンボ」。マンゴームースの下にはチョコチップ入りスポンジが隠れており、食感の変化が楽しめた。

ガラス張りの壁に沿った喫茶スペースは、明るく開放的な雰囲気。しかし隣席との間隔が狭い上に間仕切りもなく、また入口のすぐ横なので、ケーキを食べている横でお客が出たり入ったりする。なのであまり落ち着けなかった。これって偏見かもしれないけど、もしオーナーが日本人なら、こういう配置にはしないんじゃないかと。喫茶スペースを入口の隣ではなく、店の奥に配置するんじゃないだろうか。そういうところにも店の個性が出ているようで、面白かった。

しかし入口横だと落ち着かないというのは、それだけよくお客が出入りする、人気店だということだろう。ケーキや焼き菓子を買っていくテイクアウトのお客が多い。私もケーキを10分ほどで食べ終えると、焼き菓子コーナーに行き、買って帰るお菓子を物色。普通のスコーンは売り切れていたのでフルーツスコーンと、ショートブレッド、それと名前は忘れたけど「イギリス版クイニーアマン」とプレートに書かれていたお菓子を購入した。

購入した焼き菓子には、どれにも「本日中にお召し上がり下さい」と書かれていたけど、本日中に食べたのはショートブレッドだけ。店を出た後に撮影の仕事に行き、終わったのが夜8時。空腹を癒そうと、駅のホームでショートブレッドを一口食べたら、そのおいしいこと。芳醇なバターの香りが口中に広がり、「一口だけ」のはずが、瞬く間に丸ごと一個食べてしまった。おかげでかなりお腹が満たされた。カロリーメイト感覚で、小腹が空いたとき用にかばんに一個常備しておきたくなった。

残りの二つは、翌日の朝に食べた。そのせいか、どちらも少し固くなっていて、本来のおいしさを味わえなかったようで残念。焼き菓子って日持ちするイメージだけど、この店のようにバターをたっぷり使った焼き菓子は、油分が時間の経過と共に酸化するため、なるべく早く食べた方がおいしいのだろう。次に買ったときは、その日のうちに食べてみたい。今度は喫茶スペースではなく、近くの公園のベンチとかで。想像力をたくましくすれば、旅行したとき訪れた、ロンドンのリージェンツパークでピクニックをしている気分になれるかもしれない。

フルーツスコーン


イギリス版クイニーアマンと、ショップカード。ロンドンの地下鉄マークをアレンジしたようなロゴがオシャレ。
やっぱりアンティークが好き
前の記事で「私はこれまで3000円くらいのオモチャみたいな腕時計しか買ったことがなく、それらはすぐに動かなくなった。だから次は、ちゃんとした国産時計メーカーの時計を買いたい」と書いたが、それは記憶違いだったことが今朝になって判明した。私が前に持っていた腕時計はSEIKO。れっきとした国産時計メーカーのものなのに、どうして間違って記憶してたんだろう。
たぶん、腕時計の文字盤に「SEIKO」の文字がなく、代わりに「ALBA」と入っていたからだと思う。当時から世間知らずだった私は、「ALBA=SEIKO」とは全く意識していなかったのだ。買ったときも、「SEIKOの時計を買った」なんて意識はまったくなく、ただデザインが好みだったから買った。買った店も覚えている。なんばシティ南館二階の電気ショップみたいなところ。隣がレコード屋さんだった。あの頃の南館二階は雑貨屋さんがいっぱいで、しかも南海電車のホームにすぐ出られる改札があるので、難波に出た帰りにはよく寄っていたっけ。チープな雑貨好きにとってはパラダイスみたいなところだったけど、しかし私にとって最高のパラダイスは、南館のすぐ隣にある大阪球場の古本屋街だったことは言うまでもない。(説明不足かもしれないので補足・球場の1階に古本屋の集合スペースがあったのだ。他にスケートリンクとかもあった)

とまあ、そんな20年前のどーでもいい話はよく覚えているのに、覚えていないこともある。なぜ、同じ時計を二つも買ったかということだ。

私の学生時代に流行した、ALBAのムーンフェイズ。色んなバージョンがあったようだけど、私は全く同じものを、なぜか二つも持っていた。バージョン違いをコレクションするならともかく、なぜ、全く同じものを?
うっすらと覚えているのは、最初に買った時計が電池切れ、もしくは故障で動かなくなり、購入店に持っていったところ、「これやったら修理するより、新しいの買うた方が安いで」と店員に言われ、同じものを購入したのだろうということ。しかしその時計もすぐに動かなくなり……。そもそもそんなに腕時計に必要性を感じていなかった私は、以来、腕時計とはパッタリ縁が切れたのだった。

しかしこうして、20年ぶりに改めてムーンフェイズを見てみると、20年前も今も、私の好みってほとんど変わってないんだなあと実感する。当時これを買ったのも、アンティークな雰囲気が気に入ったからだし。そして今、購入を検討している腕時計もアンティーク風。その時計のケース幅が22mmなので、「そういえば前に持ってた腕時計は何mmだったんだろう」と思いだし、箱の中から取りだしたのが、20年ぶりの再会のきっかけだった。どちらももう全く動かないのに、捨てずにとっておいたのは、それだけ気に入っていたからだろう。今見ても、やっぱり上品でいい感じ。20年の月日を経て程よく劣化し、「アンティーク風」から、なんだか本当のアンティークっぽくなっているし(笑)。

朝と昼は太陽が、夜は月が現れる文字盤はもちろん、周りの金色のベゼルやケースも、ずっと見ていても飽きない趣がある。とはいえ、電池を交換してまた使おうとは全く思わない。だってベルトがムレるんやもん。これがイヤで、次第に時計をはめなくなっていった記憶があるし。
じゃあベルトをなるべくムレない素材、例えば金属のものに交換するかというと、それもしたくない。この時計には、やっぱりこの黒い革(合皮だけど)のベルトがぴったりだと思うから。

ちなみに、腕時計に対する価値観=恋人に対する価値観らしい。つまり私はシンプルで、アンティークな人が好みということか。……え、ちがう?「そろそろ腕時計がほしいけど、別に今、特に必要じゃないし」とかいった、腕時計そのものへの価値観が、恋人への価値観ということ? 分からないけど、後者の説の方が正しい気がする。一つの腕時計を気に入ってずっと大事に使い続ける人って、恋人にも一途そうだし。ようは、いつも一緒にいるパートナーへの価値観ということかも。
終わり良ければ全て良し。
バラックのレヴァークーゼン最終試合のハイライトを、YouTubeでようやく見た。火曜日に私が見た時点で、再生回数たった7回(笑)。えらくマイナーな動画だったけど、私にとっては宝物。もちろん保存しました。
キースリンクの二点目は、バラックの絶妙スルーバスから生まれたってことも、この動画を見て初めて知った。最後の最後になって調子が上向いてきたのが悔しいというか、この絶妙なタイミングの悪さがいかにもバラックらしいというか。でも最後の最後にレヴァークーゼンファンに、「さすがバラック」というところを見せられて良かった。交代でピッチを出るときには、スタンディングオベーションで見送ってもらえたし。終わり良ければ全て良し。優勝こそできなかったけれど、5位になって来季のEL出場権も確保できたし、円満退団と言っていいだろう。去年10月に、ドイツでレヴァークーゼンの13番ユニを買っといてよかった。
そして交代してベンチに下がった時、スタッフ全員と握手していたのを見て「本当にレヴァークーゼンから去るんだなぁ……」とちょっとしんみり。だがそんなしんみり気分は、「バラックとフリンクスがチームメイトに?」という噂を聞いて吹っ飛んだのだった。といってもその噂に驚いたんじゃなく、あまりにもありがちすぎる噂に白けたというか……。だって、もしバラックがMLSに行くとしたら、誰もが真っ先に考えそうなことだもんね。「MLSでかつての名コンビ復活か?」って。
おかしかったのは、記事では代表で名コンビだったことは書いていても、バイエルンで一年だけ一緒にプレーしたことには、ひと言も触れていなかったことだ(笑)。もしかして「なかったこと」になってるんだろうか、バイエルンであの二人がチームメイトだったことは。確かに「コンビとしては」あまり活躍してなかったような。というかそれ以前に、二人同時にピッチに立っていたこと自体、少なかったような……。私も、バイエルン在籍時のフリンクスで覚えているのは、バイエルンユニが異様に似合わなかったことだし。だからマスコミからも「なかったこと」にされている、という訳ではないだろうけれど。
まあそれはともかくその移籍(バラックのトロントFC行き)は実現しないと思うし、もし実現してもうまくいかないと思うなぁ……(汗)。
白の闇
※ネタバレあり。

『白の闇』
ジョゼ・サラマーゴ/雨沢 泰 訳 NHK出版

女は強し! というのが第一の、そして最大の感想。作者がこの物語でもっとも伝えたかったことは、そういうことじゃないとは思うんだけど。でも読んでる間も、読み終わったときも、真っ先に出てきた感想がそれ。女は強い。それに対して男たちの、なんと頼りないことか。主人公が女なので、彼女が活躍するのは仕方ないとしても、他の男が役に立たなさすぎる。役に立たないだけでなく、卑劣な手で食糧を独占し、女たちを征服しようとするのも男だ。それに対して激しく抵抗することもなく、自分の妻をおとなしく悪党に差し出す夫たち。状況が状況とはいえ、ちょっと情けなさ過ぎ。
男たちがそんなだから、悪党をやっつけるのも当然、女の役目である。どこまでも強い女たち。特にヒロインがタフで、さらに心優しいときた。自分の夫が若い 娘と浮気しても、夫に愛想尽かすことなく守り、愛し続けるし。そこらへんがちょっと「男にとって都合のいいヒロイン」すぎて、白けてしまった。作者が男なのも納得である。
都合がいいといえば、黒い眼帯の老人と、サングラスの娘の恋愛。この小説を書いたときの作者が70代半ばだったことを知ると、「作者の願望混じってるのかなあ」と邪推したくなる(笑)。

主人公グループで最年少の少年もなあ。物語の冒頭では「ママに会いたい」と泣いていた少年が、次第にたくましくなっていく……なんてことは全くなく、最後まで女たちに守られっぱなし。もしこれが少年ではなく少女だったら、たぶんそれなりに活躍したんだろうなあ。

結局、もっとも頼りになる「男」は、ヒロインになついている犬だという(笑)。あ、でもこの犬が雄とは限らないか。まあ犬の性別はともかく、人間の男より犬の方がよっぽど役に立っているのは事実。物語の後半、みんなの視力が回復すると分かったときにヒロインが泣きながら抱きしめたのが夫ではなく、この犬 だったというのが分かりやすい。

とまあ、男たちの頼りなさが際立っている本作だが、全体的にはなかなか楽しめた。まわりの人間全てが視力を失っていくなか、ただ一人視力を失わないヒロイ ン。ただ一人「見えている」にもかかわらず、彼女はまるで自分も目が見えないかのように話す。そのことを突っ込まれたときに、返した言葉が印象的だっ た。「あなたたちの目が見えないから、わたしも目が見えない。たぶん目の見える人がもっと増えたら、もっと見えてくるでしょう」――ひとは「見える」だけでなく「見られる」ことで、生を実感できるのだろうと、考えさせられた。

それにしてもこの作者は政府や軍隊といった「国家権力」に大きな不満を持っていることが、読んでいて分かる。目の見えなくなった人を病院に隔離して放置、 建物から出ようとすると射殺って、政府をあまりにも「馬鹿で強圧的」に描きすぎ。リアリティゼロ。いやこの物語にリアリティを求める方が間違ってるとは思 うんだけど、近代国家ならもうちょっと穏便な対策をとるだろ、フツー。後書き読んで、作者は共産党員と知って納得したのがちょっと悲しい。
国産腕時計に、日本女性の「幼さ至上主義」を見る。
今年も「あの日」が近づいている。5月15日。バラックが、最後の大舞台となるはずだったW杯を怪我で断念させられた日。彼の運命はあの日から一変した。あの日以来、時が止まったような感覚になっているファンも多いのではないだろうか。
だが過去を悔やんでみても始まらない。「過去のことをクヨクヨしてはいけません。過去はすでに死物です。大切なのは現在であり、その積み重ねの未来です」とジョゼフ・マーフィーも言っている。
過去を振り返るのはもうよそう。だから私はほぼ20年ぶりに、腕時計を買うことにした。買って、腕につける日は5月15日と決めている。あの日以来、止まっている時計の針を先に進めるために。大切な現在(いま)をみつめ、未来へと積み重ねていくために。

というのはもちろん言い訳(笑)。
ただ単に、急に腕時計が欲しくなっただけである。いやもちろん「あの日以来時が止まったみたい」というのは嘘じゃないけど。でもそれと、腕時計を買うこと自体は全く何の関係もない。
きっかけは外出時に、時間を確認するのにいちいちケータイを取り出すのがなんだか不自然に思えてきたから。大人の身だしなみとして、そろそろちゃんとした腕時計をつけるべきかも、という思いもある。そう、次に買うのは「ちゃんとした」時計。私はこれまで、3000円くらいのオモチャみたいな腕時計しか買ったことがなく、それらはすぐに動かなくなった。だから次は、一生使い続けられそうな、国産の時計メーカーの時計を買いたい。
そういう訳でさっそくネットで、セイコー、シチズン、カシオ、オリエントのレディース腕時計をチェックしてみた。しかし機能的には申し分ないものの、どうにも好みのデザインに出会えない。なんで国産メーカーのレディース時計って、どれもこれも無駄にゴテゴテ光ってるの。「研ぎ澄まされたシンプル」とかキャッチのついた時計ですら、全然シンプルじゃない、キラキラゴージャスなデザインだし。色もピンク、シルバー、ゴールドの3色ばっかりだし。
そして全体的に、雰囲気が幼い。やっぱりこれって、「幾つになっても幼く、可愛く見られたい」という日本女性の心理を反映した商品デザインなのかなあ。どのメーカーの時計も「可愛さ」を強調した幼いデザインで、20代ならともかく、30越えた女が持つにふさわしいデザインの時計はほとんどなかった。
「そんなに国産レディース時計が気に入らないなら、メンズの時計でもしてろ」と思われるかもしれない。でもちがうんだ。ああいうゴツくて、存在感のある時計がほしい訳じゃないんだ。(機械式時計には惹かれるけど)
ほしいのは、つけているのを忘れるような、軽くて華奢な時計。一見シンプルで目立たないけど、よく見ると上品な女らしさがキラリと光る時計。でもないんだよなー。

とまあ、ネットで商品を見て軽く絶望していたのだが、実際に商品を見てみたら、また印象が変わるかもしれない。そこで昨日、仕事で大阪市内に出たついでに、時計屋に寄ってみた。――結果、ネットで見た印象とまったく変わらず。これ見よがしに「可愛さ」をアピールする時計ばかりで、がっかりした。甘い甘い、どの時計も甘ったるいぜ! でもこんだけ似たようなデザインが並ぶってことは、それだけ需要が多いってことでもある。みんなそんなに若く、幼く見られたいか? 「女子」って言葉がもてはやされるくらいだし、やっぱり日本の女性って「幼さ至上主義」なのか? と葛藤を覚えつつ、一応店のカタログをもらって帰った。帰りの電車内で、そのカタログを見ていたら。「これこれ、こんな時計を探してたねん!」と、ある商品に一目惚れしてしまった。
それがこの時計である。マーガレット・ハウエルらしい、シンプルで飽きのこないデザイン。どんな服にも合わせやすそうだし、作っているのはシチズンだから品質も安心だし、コレ買っちゃおっかな〜♪と、すっかりその気になったのも束の間。ネットで調べたら、すでにどこも売り切れていた……(泣)。
2001年の人気モデルの復刻だったみたいだし、やっぱりステキな時計はすぐ売り切れるんだな。また近いうちに復刻してほしい。今度は電池交換のいらないソーラーテックとして登場してくれると、なお嬉しい(笑)。

ちなみにこの時計もいいなと思った。だが革は汗で痛みやすいので却下。デザインは好きなんだけど。宝石の使い方も、さりげなくて嫌みがないし。
愛される理由
マスコミ、それもスポーツマスコミというのは、とかく極端な報道をしがちだ。彼らの記事に登場するのは「偉大なる勝者」か「哀れな敗者」の二種類しかいない。その中間はないのだった。(もちろん新聞を売るために、あえて極端な見出しをつけていることは分かっている)
だからバラックが今シーズン限りでレヴァークーゼンを去ることについても、やたらとネガティブな方向で記事をまとめたがる。確かに怪我もあって期待していたほどの活躍はできなかったけど、最後はファンからあたたかい声援を受け、お別れセレモニーもしてもらって、いい形でクラブを去ることができた。ファンは「二年間ありがとうバラック」と、大団円……とまではいかなくても、まあまあハッピーエンドでバラックを送り出そうとしているのに、バラックをあくまで「不運の選手」にしておきたいマスコミは、この感動的な別れについてもネガティブな記事しか書かない。そういう記事を読むと、せっかくのほのぼのとした感動に水をさされるので、私は読まないことにしている。かつてはドイツのマスコミについて「ドイツ人は真面目だから、他国のマスコミのような情報操作はしないだろう」という盲信めいた信頼感があったけど、普通に情報操作するってこともこの二年間で分かったし。一つ例を挙げると、昨年6月の、バラックの代表引退騒動のとき。フェラーは「レーヴの気持ちも分かる。だが彼にはもっと別のやり方ができたはずだ」と、レーヴを批判していた。それをある新聞は「フェラーはレーヴ支持」と正反対の見出しをつけ、記事では最初の「レーヴの気持ちも分かる」の部分だけを掲載し、「だが」に続くコメントを意図的に削除していたのだった。

そんな訳で、もうマスコミには振り回されない。それより目の前の試合を見て判断したい。昨日の試合では、対戦相手のFCニュルンベルグのファンもバラックをリスペクトしてくれたと、レヴァークーゼンのファンフォーラムで読んだときには嬉しくなった。そう言う私はその時間、熟睡してました……(-_-)zzz
最後の試合だから見なきゃと思って、試合前までは起きていた。しかし試合が始まるまでの時間つぶしに、ベッドで横になって本を読んでいたのが間違いだった。ハッと気づいた時には朝になっていたという……(泣)。あー、一試合丸ごととか贅沢は言わないから、バラックのお別れセレモニーや、彼がピッチから去るときの動画、またYouTubeとかにアップされないかなあ。

それにしても、ファンがあそこまでバラックに愛情あふれる声援を送るのって、もちろん彼のここまでの功績もあるだろうけど、バラックが最後までファンを裏切らなかったことも大きいと思う。確かに、「レヴァークーゼンを優勝に導いてくれる」というファンの期待は裏切ったかもしれない。でも、首脳陣に干されて試合に出られない時期にも移籍せず、「レヴァークーゼンの契約を全うする」と明言し、それを実行した。そんなバラックの「レヴァークーゼン愛」にファンが応える形で、あのあたたかい声援があるのだと思う。それに、バラックのそういう性格――いらんこと言いで余計な騒動も起こすけれど、基本的に嘘は言わない。言ったことは実行するし、途中で翻したりもしない。そういうまっすぐな性格も、ファンから愛されている理由でもある。まっすぐすぎて衝突し、損をすることも多いけど、そういう不器用さもファンは愛しているというか。今シーズンも、ホルツハウザーから突き放された時点で移籍していれば、もっと試合に出られたかもしれない。だが愚直にレヴァークーゼンとの契約を全うし、結果的にファンから賞賛を浴びて堂々とクラブを去ることができた。8年ぶりのレヴァークーゼン復帰については賛否両論だろうけど、でも間違いなく、バラックとファンの絆は以前より強くなった。バイアレナ外壁に飾られている肖像画は、今後もファンから愛情こめて見上げられることだろう。
あー他にもいろいろ書きたいけど、昨日の試合を見てないからうかつに書けない。うっかり寝過ごした代償は大きい。
阪急沿線プチトリップ〜「ツマガリ」編
デパ地下じゃない、街の独立したケーキ屋に行くことが最近めっきり少なくなった。手みやげにお菓子を買う場合も、デパ地下で買うことが多いし。安い舌だから、甘いものが食べたくなったらコンビニスイーツで充分だし。
ケーキ屋に行くこと自体が減っているから、そのケーキ屋の喫茶室でお茶とケーキを楽しむ……なんて優雅なことをしたのは遥か昔のことに思える。だって高いし。お茶とケーキだけで1000円飛ぶし。それに数年前、一日に6件くらいケーキ屋を取材したときに、「ケーキの撮影後に試食」を繰り返して気持ち悪くなったことも理由の一つかもしれない。やっぱりケーキは、特に普通のケーキ屋で売られている400円前後のケーキは、一日にせいぜい2個が限度だと思った。
そういう訳で久しくケーキ屋に行っていなかったのだけれど、この連休中はたまたま、以前から気になっていたケーキ屋の近くに行く機会があったので、数年ぶりに「ケーキ屋でケーキを食べる」という贅沢なことをしてきた。
まあ近くといっても、「ケーキ屋の近くを通りかかった」とかではなく、「ケーキ屋の最寄り駅を通る電車に乗った」という程度なんだけど。田舎者なんで、「この電車のこの駅で降りると、あの店に行ける」というだけで「近い。今がチャンス」と思ってしまう。でもそんな風に「わざわざ行く」ケーキ屋というのは、そう多くはない。
甲陽園の「ツマガリ」はそんなケーキ屋の一つだ。数年前に仕事でこの前を通りかかったとき、名物のシュークリームを買って、車の中で食べたことがある。……なんかちっとも優雅じゃないなあ(^_^; ま、このときは仕事中だったし! 次はプライベートで来て、二階の喫茶室でゆっくりとお茶とケーキを楽しみたい、と思い続けてはや数年。ようやく先日の連休中、友人と二人で行くチャンスに恵まれた。

あのイチローも、オリックス在籍時代に並んでいたという噂があるツマガリ。噂の真偽はともかく、そういう噂が立つくらい、人気のあるケーキ屋であることは確か。なんたって店頭に、お客が自由に飲める給水器がある! 人気のケーキ屋は数あれど、店頭に給水器のあるケーキ屋って、ここくらいしか見たことがない。つまりそれだけ「行列が多い」ってことだと思う。夏場にはとくにありがたいサービスじゃないだろうか。

ツマガリはデパ地下(大丸の梅田店と神戸店)にも出店しているけど、鮮度が大事な生菓子は甲陽園の本店でしか販売していない。そういう「こだわり」も、このケーキ屋を特別なものにしていると思う。私もシュークリーム以外の生菓子を食べるのは初めてなので、大いに期待して行った。が、最寄り駅の甲陽園に着いたのが午後6時。あたりはすっかり暗くなり、せっかくの甲陽園の風情ある街並みが見れなかったのは残念。でも店に行くのが遅くなったおかげで、全く並ばず店に入れ、喫茶室にも入れたのはラッキー。
だが喫茶室が空いていたのは、あと30分で閉店するからだった……。「あと30分しかないですけどよろしいですか?」と確認する店員さんに、「はい」と即答。閉店前になんとか滑り込めてよかった。しかし喫茶室、せまっ! 外から見ていたら、もっと広そうなイメージだったけど。ちっちゃなカウンターが1つとテーブルが2つで、せいぜい10人くらいしか座れないのでは。これは、並ぶはずやわ……と思いつつ、一階に降りて、ショーケースからケーキをセレクト。津曲社長がスイスで修業したこともあり、ケーキはスイス菓子がベースに見えた。キツネ色に焼けた生地をしっかり見せているケーキが多く、「生地のおいしさに自信があるんだろうな」ということが伝わってくる。また、お酒を使っているケーキがほとんどなく、使っているものにはちゃんと「お酒を使っています」と注意書きがされている。
店名を冠したケーキ「ツマガリ」と「ナポレオン」のどっちにしようか真剣に迷ったあげく、パイ生地の多さから「ナポレオン」を注文。注文といっても店員さんに伝えるのではなく、喫茶室でもらった注文票に自分で記入する仕組み。これだと店員さんの手を患わせなくて効率的だ。これも、超人気店だからこそ生まれた仕組みなのだと思う。

喫茶室のテーブルに戻り、今度は飲み物を注文。ブレンドコーヒーにバターを溶かした、名物の「バターブレンドコーヒー」をオーダーする。

少しして、コーヒーとともにケーキが運ばれてきた。さっき、ショーケースで見たときよりも大きく見える。食べ始めてみると、実際に大きい。といってもドイツのケーキほど巨大ではないけれど、日本のケーキの標準よりは大きめ。これで362円(たぶん)はお得だ。

さらに感心したことは、ナポレオンが最後までバラバラにならずに、一体化していること。これまでの経験だと、この「ナポレオン」は食べている途中でスポンジとパイ生地が分かれてしまい、食べにくい。だがこの店のナポレオンは、スポンジとパイ生地の間に塗られたカスタードクリームが、ケーキの分離を防いでいた。パイ生地もサクサクで、フォークで簡単に切り分けられる。なので最後まで、生クリーム・スポンジ・カスタード・パイ生地の4重奏が楽しめる。こういうさりげない工夫が、このケーキ屋の人気の秘密なのだと感じた。
バターブレンドコーヒーも、コーヒーの酸味をバターのコクが程よく中和させていて、飲みやすかった。喫茶室は、古き良き純喫茶という感じで、観葉植物とクラシック音楽が似合う落ち着いた空間だった。惜しむらくは、閉店間際で、30分しかいられなかったこと。次に来るときは、もうちょっとゆっくりしたい……と思いつつ、その「次」はまた数年後になるんだろうなあ。
わたしを離さないで
※ネタバレあり。

『わたしを離さないで』
カズオ・イシグロ/土屋政雄 訳 早川書房

物語の冒頭から、それとなくほのめかされてはいた。でもはっきりと「ああ、そういうことか」と気づいたのは、ルーシー先生が「あなた方は特別な生徒です」と言ったとき。「ですから体を健康に保つこと、とくに内部を健康に保つことが、わたしなどよりずっとずっと重要なのです」
この「内部」という単語への違和感。それは、私が「そういう話だったのか」と気づいたポイントだったけれど、このときだけでなく、物語の他の箇所でもさまざまな形で違和感を感じた。たとえば、自分は素晴らしいことをしたのだと、主人公たちを前に得意げに語るエミリ先生への違和感。自分たちの運命について、なんの疑問も葛藤も持たない主人公たちへの違和感。
だが読み進めていくうちに気づく。「限られた命を生きる 」ということは、私たち読者も、主人公たちとなんら変わりはないことを。私たちも、主人公たちよりは長く生きるというだけで、いつかは死んで灰になる運命を受け入れ、淡々と毎日を生きているということを。
だから私たちは、誰一人逃げず、抵抗せず、自殺もしない主人公たちに違和感を感じながらも、いつしか彼らに感情移入し、その運命に胸を痛めるのかもしれない。
どんな人間も、多かれ少なかれ、制限の中で人生を送っている。その制限の中でどう生きるか。与えられた人生をどのように過ごすか。そのことを考えさせられた。

それにしても、この作者は心理描写、特に子ども心の描写が巧みだ。ややもすると荒唐無稽な設定に深みとリアリティが感じられたのも、淡々とつづられていく丁寧な心理描写があってこそ。同じ作者の『わたしたちが孤児だったころ』は正直、今ひとつだったけど、同時にこの作品を図書館で借りていてよかった。この作者がなぜ、評価が高いのか分かったような気がしたし、今後も作品を読んでいきたいと思う作家に出会うことができた。
ちなみに、物語に出てくる大人たちのなかで、もっとも「いい人」なのは実はケファーズさんじゃないかと思う。ルースから押しつけられた宝物を、初めは「引き取ってくれそうな店はないな」と言っていたのに、ルースが「ほんとうにいいものばっかりだ」と訴えると、「よく見たら、確かにいいもんばっかりだ」と言うシーンにはじーんときた。きっと、普段は無愛想なのも、深く関わってしまうと主人公たちの運命に心をかき乱されてしまうから、あえて距離を置いてるんじゃないだろうか。
まあ「いい人」かどうかはともかく、とても人間的な人のように思う。少なくともヘールシャムの先生たちに比べると。(除くルーシー先生)
阪急沿線プチトリップ〜「La Zucca di napoli」編
私の「食べたいもの」にかける執念はすごいと、我ながらつくづく思う。ここ二ヶ月の「食べたいもの」ナンバーワンは、なんといってもナポリピッツァ。というのも3月に、ナポリピッツァで有名な赤穂の「さくらぐみ」を取材したものの、取材が終わって食べる頃にはピッツァは醒めてしまっていた。が、それでも生地はもっちりとおいしかったのだ。醒めてもこれだけおいしいなら、焼きたてならどんなにおいしいことだろう……と、その時から私のナポリピッツァへの執念の旅が始まった。
本来なら再び「さくらぐみ」に行くのがベストなのだろうけど、赤穂はちょっと遠い。なので近場で、おいしいナポリピッツァが食べられる店を探していた。しかし3月〜4月は忙しくて、外食する機会もあまりなく、ナポリピッツァへの夢はふくらみ続けるばかり。
そんなとき、友人が阪急園田駅近くに引っ越したと聞き、新居に泊まりに行くことに。阪神地区にはめったに行かないので、この機会にこのあたりのおいしい店に行こう!と検索したら、ナポリピッツァをウリにしている店が見つかった。しかもなかなか評判がいい。店名にも「ナポリ」と入っているくらいだから、ナポリピッツァにかなりこだわりのある店とみた。という訳で、友人とのランチは西宮の「La Zucca di napoli(ラ ズッカ ディ ナポリ)」に決まり!

DSC_2436.JPG
場所は阪急西宮北口駅の近く、西宮ガーデンズの裏手。青いパラソルとイタリア国旗、白いスクーターが目印だ。

DSC_2438.JPG
「ピッツァ」ではなく、一般的に馴染みのある「ピザ」表記。この「ピザ」表記からも、気取らない、肩の凝らない店ということがうかがえる。

ランチタイムは11時半〜15時まで。私たちは14時半頃に行ったけど、それでもまだお客さんがいっぱいで、入口の椅子で10分ほど待った。入口にはピッツァを焼く石窯があり、周囲はかなりの高温に。この熱気のなか、オーナーシェフらしき若い女性が手際よくピッツァを焼いていた。女性のピッツァ職人なのでピッツァイオーラだ。カッコよい。

DSC_2452.JPG
一階はカウンター、二階はテーブル席になっており、しばらく待つと二階へ案内された。私も友人も、ピザランチ(1200円)を注文。ピッツァは赤と白の二種類から選ぶのだけど、二種類味わいたいということで、それぞれ赤と白をオーダー。複数で行くとこういうことができるので便利。
ランチのドリンクは数種類から選べる仕組みで、私はジンジャーエールを注文。
店内は南国リゾートをイメージしているらしく、壁には木のイラストが描かれ、グラスを乗せるコースターも南国の葉っぱの形。南国リゾートといってもハワイとかではなく、バリをイメージしているっぽいことが、白と木のコントラストなどからうかがえる。

DSC_2442.JPG
お皿にたっぷり盛られて出てきた、サラダのボリュームが嬉しい。「ピッツァの前には野菜をたっぷりどうぞ」というこの心遣い、やはりシェフが女性なだけあって、女性の気持ちをよく理解していると思った。事前に野菜をたっぷり食べると、「これからカロリーの高いものを食べる」という罪悪感がほんの少し薄らぐのだ(笑)。

DSC_2444.JPG
この二ヶ月、食べたいと夢見続けてきたナポリピッツァがついに登場。この日の「赤」はマルゲリータ、「白」はクアトロ(4種のチーズ)。食べる前から期待が高すぎるといざ食べた時にがっかりすることも多いのだけど、このピッツァに関しては期待を裏切ることなく、むしろ期待以上。生地がふっくらもちもちで、これこれ!この食感を待ってたんよ〜と、感動すら覚えてしまった。

前の「さくらぐみ」の記事では「『ピッツァは焼きたてに限る』か?」と疑問符をつけてみたけれど、この焼きたてピッツァを味わってしまうと、「やっぱりピッツァは焼きたてに限るかもな〜」と、前言撤回したくなる。いやいやでも、本当においしい生地は醒めてもおいしいと、「さくらぐみ」のピッツァで味わったし。でもどうせ食べるならやっぱり焼きたてを食べたいし……と悶々。
答えを出す必要なんかないんだろうけど、一つだけ答えを出すとしたら、今後もピッツァを食べるときにはタッパー持参しようということ。食べきれずにお持ち帰りしたピッツァでも、充分おいしく食べられるから。ただし本当においしいナポリピッツァに限る……かも。

DSC_2449.JPG
4種のチーズがとろーりトロけるクアトロ。かなり濃厚で、チーズ好きにはたまらない。私は友人と半分ずつ食べたので最後までおいしかったけど、一人でこれ一枚食べていたら、ちょっとしんどかったかも。

DSC_2456.JPG
このお店では、ドリンクは「同じ種類に限り」無料でおかわりできるそう。私もさっそくジンジャーエールをもう一杯おかわり。お喋りに花が咲く女性客には、特に嬉しいサービスだと思う。喋ると喉が渇くしね。
引退への助走
前の記事で「試合後、さよならセレモニーとかあったのだろうか」と書いたけれど、実は試合後ではなく試合前に、ささやかなセレモニーがあったらしい。バラックと同じく、この試合がホーム最後となるアドラーとともに花束を贈呈され、その花束をスタンドにかかげている写真がネットに上がっていた。
それだけで終わっていたら、ちょっと寂しいお別れだったかもしれない。だがチームが勝ってくれたことで、試合後、最高の雰囲気のなかで、ゴール裏のファンに挨拶することができた。このときもアドラーと二人で客席に上り、ファンの「ミヒャエルバラック!」コールがスタジアムを揺るがすなか、涙をこらえ、言葉につまりながら挨拶するシーンはなかなか感動的だった。
客席からピッチに戻った後は、すでにピッチで父親を見守っていた三人の子どもたちと手をつなぎ、ファンと一緒にバンザイ三唱。男児ばかりの3兄弟はそれぞれ個性があってかわいいけれど、特に長男のルイス君を見て、「あの赤ん坊が……」と思わず10年前を思い出したレヴァークーゼンファンも多いのではないだろうか。10年前、優勝がかかったリーグ最終節で、バラックは先制ゴールを決めた。彼が歓喜の疾走をしながらユニフォームを脱ぐと、下に着ていたTシャツには、生まれたばかりのルイス君の写真がプリントされていた。その赤ん坊も、もう10才。下の兄弟たちと比べると、こういう場にも慣れているせいか、誇らしげな笑顔で父とともにバンザイしていた。(でもバラックが「サッカーの素質があるかも」と言っているのは次男の方だったりする(笑)。)

バンザイの後、バラックは三人の子どもの頭を一人ずつ撫で、彼らとともにピッチを去っていった。その背中を、いつまでも鳴り止まない拍手が追いかけていた……と言いたいところだが、You Tubeの動画は、バラックが帰りだしたとたんに終わってしまった(笑)。でもこうした、現地にいた者しか見れなかったシーンをすぐにネットで見れるのはありがたい。
同じくYou Tubeで、バラックがついこの前、ZDFにスタジオ出演したときの動画も見た。スタジオに設置された的に向かってボールを蹴り、いくつ的中させたか競うゲームに、その日の一般参加者とともに興じていた。すでに番組を見たドイツのファンが「ミーヒャは6本中4本を的中させた、すごい!」とネットに書き込んでいるのを読んでいたので、ゲームを見ながらドキドキはしなかった。それでも、ひょいと軽く蹴るだけで的に当てるのは凄いと思ったし、ボールコントロール術が衰えていないことを知って嬉しくなった。確かにこれだと、あと2年くらいは現役を続けたいと本人も、そしてファンも願うだろう。
だが楽しく動画を見ながら、気づいてしまった。バラックはもうユニフォーム姿よりも、この番組で見せた私服姿の方が「サマになってる」ということを。
黒い革ジャンに色あせたジーンズを着こなしているバラックは、相変わらずスターのオーラがあり、実年齢より若々しく見えた。対して試合中のユニフォーム姿は、単体で見るとそうでもないが、自分より遥かに若い選手たちに囲まれていると、やっぱりオッサンになったなあと思うし、どことなく「無理してる」感が漂っているように見える。たぶんこれが、引退の時期が近いということなのだろう。若者と同じユニフォームを着て走り回るよりも、自分に似合う私服をカッコよく着こなして、ピッチ脇でチームを指揮する方が似合う年齢。で、たまに往年の名選手を集めたチャリティーゲームに出場して、「相変わらずうまいなあ」とファンを感心させる、そういうキャラにバラックもなってきたんだなあと。
もちろん、本人がまだ現役を続けたいなら、応援するけれども。指導者としてのバラックの姿が、以前よりはっきりイメージできるようになったのは、その時期が近づいているということだろう。
そしていつか、指導者としてレヴァークーゼンに戻ってきてほしい。きっと大歓迎されるだろう。彼のことだから、毎試合、普段着のようなジーンズ姿でピッチ脇に立つだろうけれど。でも優勝決定戦などの「ここぞ」というときにはビシッとスーツを着こなして、ファンをキャーキャー言わせてほしい(笑)と、妄想は広がっていくのだった。