何年たっても、まだ狂ってる。
Still Crazy After All These Years (Paul Simon)
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ゲーマーな日々、再び。

年末、急に思い立ってPS4とPSVitaを買いまして。年末年始は旅行にも行かずゲームに熱中してました。
そして唐突に思い出す、約30年前のこと。初めて買ったパソコンはPC88。ええ、PC98は高かったのでPC88。まだマニアくらいしかパソコンを持ってなかった時代に思い切ってパソコンを買った理由は、「ゲームがしたかったから」。
なんや、ゲーマーの走りやったんや、私って(笑)。
しかしそれからしばらく後にMacユーザーになってからは、「Mac用のゲームが少ない」おかげですっかりゲームから遠ざかり…。ここ20年くらいは全くゲームしてませんでした。
それが、「日本史を勉強するにはゲームがいいかも」という安直な理由から『信長の野望 創造PK』に目を付け、それをプレイするためにPS4を購入。もちろんこれが初めてのPS。ついでに電車の中とかでもゲームできるようPSVitaを購入。ここ20年全くゲームしてなかったのに、いきなり最新ハードを二つも購入とか、極端すぎるわ私。

あとはもう、ゲーマー街道ずるずると。『信長の野望 創造PK』の次は『GTA5』にはまり、「GTAやるんやったらオンラインやらんと」という周囲の声に誘惑されてPSプラスにも加入。無料でプレイできる「フリープレイ」ゲームも、貧乏性ゆえさっさとダウンロードしてぼちぼちプレイしてたんですが、そのうちの一本『EVE burst error R』が面白かった。
コマンド総当たりしなくちゃストーリーが進まないのは、最近のゲーマーにとってはめんどくさいかもしれないけれど、私はかえって懐かしかったり。そうそう、80〜90年代のアドベンチャーゲームってこんな感じだったよなあ。フロッピーディスクが何枚もあって、それを次々に入れ替えなくてはならなかったり。

ストーリーも面白かったんだけど、なんといってもロス=御堂。このキャラの魅力にやられた。最後まで旧国王への忠誠を貫く潔さ。彼に比べると、計画の発案者なのに途中で怖くなって逃げ出した桂木や、優柔不断なアクアがしょぼく見える。一本芯の通った悪役って本当に魅力的だ。
まあ、御堂が黒幕であることは割と早い段階から分かるんだけど、それ以降は、テラーの正体なんかよりも、「御堂が最後まで渋い悪役でありますように。小物っぽくなりませんように」と、そればかり気にかけていたといっても過言ではない(笑)。
結果、最後までかっこよくてホッ。本性を表してからも、まりなに対して「法条さん」とさん付けで呼んでいたり、最後までクールで知的な悪役だった。死んだ時はショックよりも、「かっこいいまま死んでくれてよかった」という安心感があったりして。まあ、最後に死ぬキャラな事は分かりきっていたしね。

女キャラで好きなのは氷室。今までツンデレの魅力ってあまり分からなかったんだけど、氷室で初めてツンデレの可愛さに気づかされた。
ツンデレといえば弥生もそうなんだろうけど、彼女は父親が探偵事務所所長で、なんか「お嬢さん」なイメージもある。対して氷室はバックボーンが何もなくて、同じエージェントなのにまりなにはかなわないことを知って悔しがったり、小次郎に翻弄されたり、「天才にはかなわない努力タイプの秀才」って感じで共感できる。

そんな訳で面白かった『EVE burst error R』。また、EVEシリーズの続編がフリプに落ちてくれたら嬉しいな。(結局フリプ待ちかよ、っていう)

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ゴムの木虐待疑惑

部屋に観葉植物を飾りたくて、ずっと探してた植物のひとつがフランスゴムの木。しかも「斑入り」で「曲がり」というちょっとレアなやつ。実際に実物を見て買いたかったからネットで買う気はなくて、時たま行く園芸屋さんに入荷してたらいいな、くらいの軽い気持ちだったんだけど、なんせちょっとレアだからなかなか出会えない。それがこないだの日曜日、ようやく出会えた。

4つくらい同じ品種が並んでいて、曲がり具合を見比べてから購入。だがなぜかどの鉢にも、値段は書いていても品種は書いていない。それでも曲がり仕立てなんだから、フランスゴムの木に違いない。念のため、店主らしき店員さんに「フランスゴムの木の班入りですよね?」と確認してみたら「そうです」とのこと。

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だが家に持ち帰ってよーく葉っぱを見てみたら、私が知ってるフランスゴムの木の葉っぱとは、どうも斑の入り方が違う。フランスゴムの木は、もっと細かく斑が入る感じ。それに茎や歯柄、新芽の部分もこんな風に赤くない。
ネットで調べてみたら、どうも同じゴムの木の仲間の「デコラ・トリコロール」もしくは「ティネケ」という品種じゃないかという気がする。

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しかしネットでは、「デコラ・トリコロール」もしくは「ティネケ」が、「曲がり仕立て」で売られている例はない。曲がり仕立てで売られているのはフランスゴムの木のみ。……もしかして、「ゴムの木は曲がりが人気だから」ということで、フランスゴムの木じゃないゴムの木まで、無理やり「曲がり」で育てられたのか? それってまるで、清の時代に幼女の足を無理やり曲げて固定し、纏足(てんそく)にしたのと同じレベルの虐待じゃないか?(汗)。

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まあ別に私も、どうしてもフランスゴムの木が欲しかった訳じゃなく、ただ「班入りの曲がり仕立てのゴムの木」が欲しかっただけだから、別に品種にはこだわらない。これはこれで気に入ってるし、購入したお店の店員に「フランスゴムの木と言ったけれど、違うじゃないですか!」とクレームつけて返品しようという気もない。ホントは曲がり仕立てにできる品種じゃないのに、無理やり曲がり仕立てにされたとしたら、なんだか不憫でよけいに愛情がわいてくるし。

……と見せかけて、これはやっぱりフランスゴムの木で、ただ普通とはちょっと違う突然変異種なのかも。誰か正解を知ってる方がいたら、教えてください。

 

 

 

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『忍者武芸帳 影丸伝』白土三平

図書館に置いてある漫画っていいよね。なんたってタダだし。
そんな訳で先日、久しぶりに漫画読みたいなーと思い、とりあえず有名な『カムイ伝』を借りてみた。が、イデオロギッシュすぎて、私には合わなかった……。ちなみに読んだのは一部のみ。二部はきちんと完結してないというし、読みたいという気は今のところない。

でも『カムイ伝』だけでは白戸三平は分からないと思い、次に借りたのが『忍者武芸帳 影丸伝』。これは面白かった。階級闘争というテーマは『カムイ伝』と同じようだけど、この階級闘争に全く絡まない「我が道を行く」重太郎が、主人公の一人であることが話を面白くしている。もう一人の主人公である影丸が、農民たちのために闘う自己犠牲精神あふれるヒーローなのに対し、重太郎は父の仇を討つことしか眼中にない。そのことで恋人の明美をやきもきさせ、その明美の死でようやく目が覚めたかと思ったら、今度は明美の仇討ち。最初から最後まで、清々しいほど自分の感情のみに生きている。だがこの、ある意味自己中心な生き方が、今、読むと鮮烈で、魅力的な生きざまに映った。非業の死を遂げた両親や家老たちの仇を討ちたいという思いは、いつの時代も人類共通のものだし、感情移入できる。だから重太郎は、今から約60年前に創られたキャラにも関わらず、今、読んでも古びていない。作中でイデオロギッシュな説教をかます人物が、今、読むとどことなく古びて見えるのとは対照的だ。
というかそういう登場人物って、まんま「作者の代弁をさせられてる」感じであんまり生きたキャラクターとして魅力を感じない。性格や行動も品行方正だし。まあこの作品は、そこまでイデオロギッシュではないけれど。

重太郎と甚助の対比も印象的だ。読み返すと、甚助が物語のかなり早い段階から登場していることに驚く。そしてその初登場シーンから、彼は重太郎と間違われるなどして、重太郎の「対」となる存在として描かれている。
この二人は「仇討ちに生きる男」という設定は同じだが、その性格は対照的だ。重太郎が激情型なら、甚助は(重太郎に比べると)冷静沈着な思考型。
主膳と瓜二つの光秀に対する、二人の対応の違いにそれがよく現れている。甚助は最初、光秀を主膳と勘違いして仇を討とうとしたものの、光秀に「よく顔を見てみろ」と言われると、主膳との違いを認め、詫びを言って引き下がる。
かたや重太郎は光秀から「私は主膳ではない」「落ち着け」と言われようと全く聞く耳持たずで攻撃するのみ。
活躍シーンも、重太郎が剣劇アクション中心なのに対し、甚助はアクションよりも、無風道人や影丸との対話シーンが目立つ。
とりわけ甚助と影丸の対話は、この作品の思想的クライマックスといってもいいくらいの重要シーンだ。これらの対話を通して、甚助は武士であろうと農民であろうと命は等しく尊いことを知り、自分の人生を考え直していくのだけれど、重太郎がそういう深いことを考えるシーンはあまりない(笑)。

そんな、似ているようで実は対照的な二人だからこそ、この二人がついに会合するシーンが光るのだ。重太郎は甚助と出会い、「病におかされ、命をすりへらし」ながら10年間も仇を追い続けている彼を見て、初めて客観的に自分の人生を見つめ直すのである。もし甚助と出会わなければ、重太郎は自分の仇討ち人生の虚しさに気づくことはなかったのではないだろうか。

ラストシーンの二人は、残酷なほど対照的だ。弟子を連れ、見違えるような立派な服を着た甚助に対し、さらにつぎはぎが増えたボロ服を着て、たった一人で歩き去っていく重太郎。甚助の呼びかけに応じようともしない。愛する人を守れず、仇も討てず、ただ生き延びる重太郎を「不憫でならない」と感じる人も多いようだが、同じ仇討ちものの『鬼ゆり峠』を読んでる私は、重太郎がそれほどかわいそうとは思わない。って、SM官能小説と比べる方が間違ってるか(笑)。でもいくら自分の手で仇討ちできなかったとはいえ、返り討ちにされるよりはましではないか。実際の歴史では、そうした返り討ちも多かったそうだし。

そんな訳で予想以上に面白く、本を買い揃えたくなるほど気に入った『忍者武芸帳 影丸伝』だけど、全く不満がない訳ではない。作者が前の巻のナレーションで「生死をかけた闘い」と煽っていた影丸対重太郎の闘いが、しょぼかったこととか。というか影丸逃げてばかりで闘ってないし。あのあたりは作画も荒くて、展開も急ぎ足で残念。もっとじっくりペンを進めてほしかったと感じる。

それでも買い揃えたいと思うのは、読み返すたびに新しい発見があるように思うからだ。今回も一回目に読んだ時は、重太郎をだまして伏影城を焼き落とした後は姿を消し、その後も重太郎の前には変装でしか姿を表さない影丸をズルイと感じたものだった。仇討ちにかける重太郎の必死な思いを知りながら、主膳を逃がすのも酷いし。だが読み返すと、あの時主膳を逃がして重太郎に後を追わせたのは、重太郎を他の野武士たちのように城内で焼き殺したくなかったから、とも読める。
だがあの落城について、その後、一度は影丸の口から重太郎に何らかの説明があってもよかったとは思う。ラストで重太郎に襲われたとき、影丸は「なぜうぬが!」と驚いてたけど、アンタかつて重太郎をだましたことを忘れたのかと。
そのへん、大島渚監督の映画『忍者武芸帳』は上手かった。偶然影丸を見つけた重太郎が、「なぜ城を焼き落としたのだ」と詰め寄り、それへの影丸の返答が(原作では甚助への返答)物語の肝となるように改変されていた。
映画自体も独特の味わいがあって、かっこよい。あーでもやっぱり、次はちゃんとした(?)動くアニメで見てみたい。主人公が四角い顔のオッサンというのが、なんとも斬新で良いではないか。

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団鬼六とキリスト教

『鬼ゆり峠』を再読していたら「おや」と思った箇所があったので、本のレビューとは別の記事として書いてみる。

団鬼六の作品に時々出てくる、キリスト教関連の描写について。

 

団鬼六はミッション系の名門である、関西学院大学の出身だ。なので大学では、キリスト教の授業を受け、聖書を読み、学内のチャペルでの礼拝に出席するなどして、それなりにキリスト教の知識と教養を身につけたはず。そしてそれを後の作品に活かしていることが、幾つかの作品から読み取れる。

先に書いた『鬼ゆり峠』では、処刑されるため松林に引き立てられて行く菊之助の姿を、「屠所へ引き立てられる小羊のよう」と表現している。これは明らかに、菊之助を、十字架につけられるため引き立てられていくイエス・キリストに見立てていると分かる。「屠られるいけにえの小羊=キリスト」は、少しでもキリスト教に触れた人なら誰でもすぐにピンとくるキーワードだ。

私小説『美少年』では、もっとはっきりと「キリスト」という言葉が出てくる。「私」と別れ、全ての望みを失った菊雄が自棄になり、自ら淫獣たちに身を投げ出す姿が「少年キリスト像」のように見えたと、「私」に描写させているのだ。
また、私は読んだことがないのだが、これも代表作の一つである『肉の顔役』では、被虐対象となる美貌の母と娘は「敬虔なクリスチャン」という設定だとか。そして実際に聖書の言葉が、物語中で効果的に使われているそうだ。同じく『花と蛇』にも、敬虔なクリスチャンである女性が二人、登場するとか。

私は団鬼六のほんの一部の作品しか知らないが、それでもざっと思いつくだけでこれだけキリスト教と関わる描写があるのだから、探せば、恐らく他にももっとあるだろう。
上に挙げた例のうち、『肉の顔役』『花と蛇』での、「ヒロインが敬虔なクリスチャン」という設定はわりと分かりやすい。恐らく「敬虔なクリスチャン女性=聖母マリアのような清らかな女性」というイメージが彼にあり、そうした女性を陵辱することで、より読者の興奮を高めようという狙いだろう。他の官能小説やポルノ映画などでもよく見かける、修道院のシスター陵辱と同じ構図である。

『鬼ゆり峠』『美少年』の場合はどうか。この二作品では、悪漢達に陵辱され、殺される少年をキリストに見立てている。(菊雄は直接殺される訳ではないが、陵辱事件の二年後に自殺しているので、実質殺されたようなものだろう)
キリストは人類の罪を救うため、自ら犠牲になって十字架につけられた人物だ。『鬼ゆり峠』では物語の前半、菊之助が浪路を守るため、自ら犠牲になる形で悪漢達に捕らえられるシーンがある。そしてその結果殺されるのだが、それもふまえて団鬼六は処刑されようとする彼を「小羊」と表現したのだろうか。

もう一方の『美少年』には、菊雄が自己犠牲精神を発揮するようなシーンはない。だが彼は、自分を辱めている「敵」に対しても気遣いを示すのだ。このあたりは、十字架上で「父よ。彼らをお許し下さい」と神に祈ったキリストに、似ている部分がなくもない。(ちょっと自信ない)

何より特徴的なのは、菊之助にしろ菊雄にしろ、自分を責める醜いものたちに嘲られても、決して嘲り返さない、気高い存在として描かれている事だ。それを団鬼六は、「のしられても、ののしり返さず、苦しめられても、脅すことをせず(ペテロ第一 2章23節)」、毅然とした態度で十字架刑に処せられたキリストに見立てているのではないだろうか。
醜いものたちにどんなに肉体は汚されようとも、決して汚されることのない気高い無垢な魂ーー。そんな少年を団鬼六は「小羊」「キリスト像」と表現した。そんな気がする。

ちなみにこの二作品、どちらの少年の名にも「菊」が使われているが、これは別に深い意味はないだろう。団鬼六は被虐対象となる主人公の名に「菊」の字を使うのが好きらしく、他の作品にも「菊江」や「菊代」という名のヒロインが登場する。『新 夕顔夫人』にも、再び「菊雄」という名の美少年が登場するし、あまりネーミングについてのこだわりはないっぽい。

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鬼ゆり峠

『鬼ゆり峠』〈上〉〈下〉
団 鬼六/幻冬舎アウトロー文庫

※ネタバレあり

6年ぶりに再読。結末も含めただいたいのあらすじは覚えているけど、細かい内容は忘れていたから、新鮮な気持ちで読み進められた。

団鬼六は偉大なワンパターン作家だ。彼のメーンフィールドである官能小説に限っていえば、話の内容は「高貴な女性が監禁されて、身分の低い下種な男女に陵辱される」ものばかり。「上流の女=清く正しい性格で、容貌も美しい。下流の男女=ひねくれたいじわるな性格で、容貌も醜い」という設定もお決まりだ。
確かに文章は流麗で読みやすい。だからスイスイと気持ちよく読み進められる。が、表現のボキャブラリーが少ないように感じることも。何度も繰り返し同じ表現が出てくる。誤字脱字もわりとある。これは作家のせいというよりも、掲載誌であるSM雑誌編集部の校正不足ではないかと思う。

私が初めて「団鬼六」の名を知ったのは、学生時代に書店でアルバイトをしていたとき。売場に本を並べていたら、当時、角川文庫から出ていた『花と蛇』が眼に留まったのがきっかけだ。角川にしては扇情的な表紙に興味をひかれて、休憩時間にその本をぱらぱらと開いたところ、独特の文体に一気に引き込まれた。ちょうど京子が責められている場面で、えんえんと続くその責め描写にこれはエッチな小説だと気づき、ちょっとうろたえたものの、かわいそうな京子の運命が気になって、彼女が解放されるまで読もうと思った。
そう、その時はまだ、酷い目にあっている奴隷は必ず最後には解放されて、悪者たちがやっつけられると信じていたのだ。
だがその本は官能小説で、しかもSMだった。京子への責めはえんえんと続き、さらに新たな奴隷として小夜子がとらわれる。うんざりしてきた私は結局、その一冊を読み終えただけで、それ以上そのシリーズを読むことはなかった。
だがあの独特の流麗な文章にはひきつけられた。

それから20年くらいたった頃だろうか。『花と蛇』は一般的に団鬼六の代表作といわれているが、実はそれと並んで『鬼ゆり峠』もかなり評価が高いことをネットで知った。時代物というのにも興味を惹かれた。『花と蛇』は途中で飽きて読むのをやめたけれど、久しぶりにあの美しい文章にひたりたくて、『鬼ゆり峠』も読んでみようと購入したのだ。
が、初めて読んだそのときは、どんな感想を持ったのかよく覚えてない。覚えてないってことは、たぶんそんなに感動しなかったんだろう。「官能小説に感動?」と思われるかもしれない。だが今回の再読で私はこの小説に感動し、特に物語の終盤ではずっと涙を流しながらページをめくっていたのだ。

確かに残酷で救いのない物語かもしれない。だが、これほど美しい物語もそうそうない。汚虐の極みの中にあるからこそ、よりいっそう美しく輝く姉弟の絆。この小説はジャンルとしては官能小説だが、その根底に流れるテーマは、最期の瞬間まで互いを思いやる姉弟の純愛にあるように感じた。

そう、これは姉弟の物語である。
被虐対象となる主人公が姉妹ではなく、姉弟というのは、団鬼六作品ではわりと珍しい。官能小説という性格上、それは当然だ。読者対象は圧倒的に男性だから、姉と妹、または母と娘など、タイプの違う美女二人を責めるストーリーが主流を占める。
『鬼ゆり峠』の原型といわれている、この小説より先に発表された団鬼六の『無残花物語』もそうだ。確かにストーリーは『鬼ゆり峠』によく似ているが、こちらの主人公は姉妹。一応、妹の婚約者である美青年も、姉妹とともに悪漢たちにつかまるのだが、彼の出番はほとんどなく、もっぱら被虐対象は姉妹の方だ。

『無残花物語』も悪くはないが、やはり『鬼ゆり峠』の方が圧倒的に面白く、物語生がある。基本となるストーリーに違いはほとんどなく、あるとすれば主人公の姉妹を姉弟に変えたことくらいだが、実はこの変更がけっこう大きい。

ヒロイン浪路の弟の菊之助は、由緒ある武家の家柄である、大鳥家の後継者という設定だ。この設定は男である「弟」ならではで、武家女である浪路が、家を継ぐ事になった菊之助の命だけは救おうと、執拗な陵辱に耐える姿勢に説得力を持たせている。浪路が家名を守ろうと陵辱に耐えれば耐えるほど、浪路の武家女としての矜持が引き立ち、そんな高貴な女性を陵辱し、ついには屈服させる描写に読者は興奮するのだろう。

「菊之助が大鳥家の後継者に決定した」ということは、悪漢達に捕われる直前、旅館にいる姉弟に、姫路からの手紙で知らされる。
父親が殺され、大鳥家が取り潰しになるのではと心配だった浪路にとっては待望のニュースで、浪路は久しぶりに心から幸福そうな微笑みを見せる。
女中の千津も、菊之助に「若様、おめでとうございます」と祝いの言葉をかけ、菊之助が照れるという、微笑ましいシーンなのだが、この「菊之助が大鳥家の後継者に決定した」という喜ばしい知らせが、後にこの姉弟に自害を許さず、えんえんと地獄に縛り付ける「足かせ」になるのである。だから後から読み返すと、この時の千津の「おめでとうございます」の言葉が実に皮肉でいい。

捕らえられたのが一人ではなく、姉弟二人というのもポイントだ。もし、捕らえられたのが自分一人なら、浪路は素っ裸にされた時点でさっさと舌を噛んで死ぬだろう。だが大鳥家の後継者である弟を救い出すまでは、死ぬに死ねないのだ。
その後も、浪路が屈辱に耐えきれず舌を噛みたいと漏らすたびに、悪漢たちから「浪路どのが死ぬと、菊之助も処刑する」と脅される。弟を救って家名を守るためには、執拗な陵辱に耐え続けるしか道はない。浪路が「自分一人ならとうに舌を噛みきって死ねるのに」と、ふと菊之助を恨めしく思うシーンは、それまで弟思いの姉として描写されてきた浪路だけに、どきっとする意外性がある。と同時に、浪路の屈辱感がひしひしと伝わってくる。このあたりの心理描写のうまさが、この小説が一部から「団鬼六の最高傑作」といわれている理由の一つだろう。

家名を守るために、執拗な陵辱に耐え続ける浪路。また菊之助の方も、敬愛する姉から「耐えるのです。決して自分で命を断つような真似をしてはなりません」と何度も厳しく命じられているので、どんな屈辱を受けても死ぬことができない。彼は物語の序盤、悪漢達につかまった時点で、「これ以上、生恥をさらすよりいっそ、この場で舌を噛みーー」と漏らすのだが、浪路は「なりませぬっ」と強い口調で叱咤するのだ。

「あなたがここで死ねば大鳥家は断絶、お殿様やご家老様を裏切ったも同然のことになる。私は見苦しいあがきと思われても、最後の時がくるまであなたの命を守り抜くつもりです」
大鳥家を断絶させてはならぬ、という点に浪路は異常な執念を見せるのだった。(『鬼ゆり峠』上巻より)

その後も浪路は、さらに過酷になっていく陵辱に耐えきれず、自害を選ぼうとする菊之助に、ひたすら「耐えるのです。最後の最後まで、望みはあります」と叱咤し続ける。すでに物語の結末を知っている私は、そういう浪路が自己中心的に感じることもあった。浪路は菊之助の辛さを思いやるよりも、お家断絶の方を恐れて、つまり武家女としての矜持を守るために、菊之助に自害を許さず、「耐えるのです」と非情な命令を下しているように思えたからだ。そんな浪路に、「そこまでして私たちは命を守らねばならぬのですかっ」と反発しながらも、それでも最後まで従おうとする菊之助が哀れだった。

だが物語の終盤、いよいよ処刑される日。浪路はそっと菊之助の手をまさぐりながら、「死ぬより辛い恥ずかしめをよく姉と一緒にここまで耐えてくれました」といたわり、だがその努力が徒労に終わったように感じて、「菊之助、浪路はあなたに何と詫びていいか分かりませぬ」と嗚咽するのだ。私はここで涙がこぼれた。不屈の精神力を持ち、ここまで体は陵辱され尽くしても決して精神は屈しなかった浪路が、遂に敗北を認めて、弱さをさらけ出した瞬間に思えた。

嗚咽しながら「菊之助、許して」と繰り返す浪路。そんな浪路に、菊之助は「いいえ、姉上。菊之助は幸せでございました。美しい姉上を妻にできたのですから。今生に思い残すことはございません」という。その言葉は、浪路を慰めるための詭弁だろうか。それとも彼は、姉弟相姦を強制されているうちに、いつしか姉を愛している自分の気持ちに気づいたのだろうか。そしてそれは、彼が最後の最後になって得た「望み」ではなかったか。ーーたとえそれが、浪路が言い続けていたような「望み」ではなかったとしても。
この菊之助の言葉についての、私の考えはこうだ。彼は17才という若さで無念の死を遂げねばならぬ自分を納得させるために、「敬愛する姉上を妻にできたのだから、もう思い残すことはない」と、いわば自分に言い聞かせたのではないだろうか。だが真意は分からないし、別にどちらでもいい。そんなことよりもこのシーン、初めて浪路と菊之助が強制ではなく、自らの意思で抱き合い、唇を触れ合わせる描写が美しく、胸を打つ。

二人は最後の別れの際にも、衝動的に緊縛された裸身をぶつけ合う。
「許して。武士の子であるあなたにこんな恥ずかしめを与え続けたこの浪路を許して」
「いいえ、恨みには存じませぬ。菊之助は姉上と共にこの恥ずかしめに耐えぬき、ようやく共に死ねるのだと思うと幸せでございます」

陵辱がいよいよ激しくなってきた物語の中盤では、「死んではならぬという姉上を恨みます」とはっきり姉に毒づいていた菊之助だが、いよいよ処刑という段になって、彼は姉を許したのだ。私はここに、この物語の「救い」を感じた。

姉弟は引き離されようとする直前、名残りを惜しむように強く唇を重ね合い、舌を吸い合う。
二人が互いに向ける愛情は姉弟のそれか、それとも男女のそれか。読者にもわからなくなってくるところがこの小説のキモで、これもこの小説がよくある姉妹ものではなく、姉弟ものであるからこそ、だろう。

だが浪路と菊之助の関係が、単なる姉弟以上のものであることは、小説の前半からうっすらと暗示されている。

それは先に紹介した、この小説の元ネタである『無残花物語』と比べるとよく分かる。『無残花物語』のヒロインお蘭は人妻で、だから憎い父の仇に陵辱されたとき、真っ先に心の中で(あなた、許して)と夫に詫びるのだ。それは人妻として、ごく全うな心理だろう。
だが『鬼ゆり峠』は違う。人妻である浪路は、憎い父の仇に陵辱されたとき、なぜか夫ではなく、弟の菊之助に(菊之助、許して)と詫びるのだ。そしてその後も、陵辱されるたびに、浪路は心の中で菊之助だけに詫びる。夫には遂に一度も詫びなかった。

おかしいだろ。

別に浪路が夫と不仲であるとか、そんな描写は一切ない。浪路の夫が不能で、浪路が性的に満足していないという設定はあるものの、普通に仲睦まじい夫婦という設定だ。なのになぜ。読みながら、ちょっと浪路の夫が不憫になってくる私であった。

 

■かわいそうな人たち
仕置き場につれていかれた姉弟は、遂に処刑される。ヒロインが処刑されたことを匂わせて終わる鬼六作品はわりとあるが、この『鬼ゆり峠』のように、はっきりと処刑シーンを描いた作品は珍しい。そしてそのことが、この作品を「鬼六作品にしては最高レベルの凄惨さ」といわしめているのだが、私はこうした残酷描写は時代ものならではで「アリ」だと思う。
それに、処刑シーン、それも潔い処刑シーンを書いてもらえる登場人物たちは幸せだ。人間の真価は、極限状態でどういう態度をとれるかで決まるからだ。
浪路は最後まで菊之助の命を救うことをあきらめず、救援隊が来るまで時間を稼ごうと、自ら痴態を演じてみせる。その健気さ。 菊之助は、自分の愛刀で玉を斬り落とされるという屈辱に耐え、観念して静かに処刑を待ち受ける。その潔さ。物語の導入部で、同じ玉斬りで処刑された雪之丞という登場人物がいるのだが、最後まで「嫌っ、嫌ですっ」と抵抗していた彼とは対照的だ。というか、雪之丞は玉斬り刑の残酷さを伝えるためだけに出て来たような人物で、この物語中、もっともかわいそうなのは実は彼だと思う。かっこいいシーンは一つもなくて、ただみっともなく泣きわめくだけの役回り。おまけに彼の恋人だったお小夜は、彼の死後、コロッと菊之助に乗り換えるし。お小夜切り替え早すぎ。

※余談だが雪之丞は、射精直前に完全に「女」になりきったり、自分を責める相手に気を配るところなど、作者が晩年に書いた『美少年』の菊雄の原型のように思える。というか、作者が精神的にいじめたという、実在のオカマちゃんがもともとの原型か。

だがお小夜もお小夜でかわいそうである。愛した男が二人とも、次々に玉斬りで処刑されるとかトラウマものだ。
それに、菊之助と相思相愛になったと思いきや、実はお小夜の片思いだったことが、物語の終盤で分かってくるし。菊之助は衝動的にお小夜と唇を重ね、お小夜の愛の告白に「菊之助もお小夜どのをもう離したくない」と応えるものの、それはどうやら本心ではなく、お小夜を傷つけないようにとりつくろっただけらしい。その証拠に、お小夜が菊之助を好きだという心理描写はあっても、菊之助には一切ない。
処刑の直前も、菊之助は「姉上、おさらばでございますっ」と浪路にだけ挨拶して、目の前にいるお小夜はスルーだし。お小夜立場なし。

 

■貫かれた「滅び」の美学
姉弟は陵辱され尽くしたあげく、性器を切断されるという無様な死を遂げる。「あまりにも救いのない物語」という感想も多いが、果たしてそうだろうか。武家女と武士の誇りを無残に打ち砕かれた姉弟にとっては、死は「救い」ではなかったか。浪路はたとえ救援隊に救われても、その後自害する決意でいたし、菊之助もまた、姉が死んで自分一人が助かるよりは、このまま姉とともに死ぬことを望んだ。
千津から救援隊が近づいていることを知らされた菊之助は、「千津。気持ちはありがたいが、たとえ、今、救い出されたとしても、菊之助は生きていく自信がない」と言う。姉上は、菊之助が救われるのを見届けて、自害する決意でいる。そのようなことはさせぬ。姉上だけ死なせて、どうして一人生きてゆけようか、と菊之助は泣く。
そんな菊之助を情けないと思う読者もいるだろうが、私は彼の気持ちがわかる。姉への思いはそれほどまでに強く、またそれほどまでに受けた陵辱が過酷で、とても自分一人だけで抱えきれるものではないのだろう。
彼にとって浪路は、ともにあらん限りの陵辱を受けた同志なのだ。姉だけが彼の辛さを分かってくれる。その姉が死んだら、自分一人で地獄の体験を抱えて、生きていかなければならない。それはあまりにも辛いのだろう。
だから、もし最後、姉弟が救出されたと仮定する。物語としてはハッピーエンドだし、読者はほっとするだろうが、私はこの姉弟がその後、幸せになれるとは思えない。浪路は自害するだろうし、それを見た菊之助も後を追うか、または精神を病んでしまうのではないだろうか。
それを思うと、姉弟がともに死んで行くこの結末は、もはや「これしかない」見事な締めくくり方だと思う。

姉弟はともに陵辱を受け、ともに死んでいく。団鬼六は妥協することなく、徹底した「姉弟の悲劇」を書ききったのだ。その姿勢には美学すら感じる。

姉弟ものは鬼六作品ではわりと珍しいと先に書いたが、姉弟揃って処刑されるというのも、実は珍しい。姉妹ものの場合、たいていメインヒロインである姉だけが処刑されて、妹は生き残る。
この作品でも、浪路が必死で救おうとしてきた菊之助だけは最後に助かるのかなと読者に思わせておいて、二人とも処刑されるという救いのなさ。だがそのことがいっそう、この作品を忘れ難くしている。
登場人物の死は、それが衝撃的であればあるほど、登場人物の生き様を鮮烈に引き立たせ、読者の脳内に強く刻み付けられる。
読み終えて本を閉じた後も、登場人物は読者の脳内で永遠に美しく咲き続けることができるのだ。

 

■男にも「奉仕」する男たち
官能小説なので、物語の中心は、囚われた姉弟が「これでもか」とばかりに責められるシーンになる。責めといっても、そこは団鬼六、肉体を痛めつける描写はほとんどない。この作家の特色である「羞恥責め」が中心で、大衆の前で姉弟を徹底的に辱める。尿意を極限まで我慢させ、耐えきれずに皆が見ている前で放尿させたり。男性器に鈴をくくりつけ、腰をゆすってその鈴を鳴らすことを強制したり。由緒ある武家育ちの姉弟だからこそ、青竹でぶったたかれるような単純な責めよりも、そうした「精神的な責め」の方がよほど辛い。

もちろん羞恥責めだけでなく、実際に体を陵辱される場面も多い。だがそれらのシーンも、男が一方的に自分の欲望を満足させるのではなく、逆に男が女に奉仕する形になっているのが団鬼六の特徴だ。女が最高の快感を得られるよう、男たちは徹底的に奉仕する。形としては女を縛りつけての陵辱だが、男たちが実際にやっていることは奉仕で、精神的には、逆に男が女の奴隷になっている。団鬼六がフェミニストといわれるゆえんだろう。

だから団鬼六の小説は、責められる女がどんな風に快楽にひたっているかは丁寧に描写されても、責める男の快楽射精描写はほとんどない。それもそのはず、男は自分の快楽は後回しで、女に最高の快楽を与えるために奉仕している奴隷だからだ。

SMとは女を責めさいなむ残酷な行為ではない。SMとは男が女を責めているように見えながら、実は男が女の美しさを引き出し、その美しさに身も心も捧げていく心優しい献身である。(中略)団鬼六のSM小説は、このことを言い続けている。(川本三郎「お柳情炎」解説より)

この小説で面白いのは、ヒロインの浪路だけでなく、その弟の菊之助も被虐対象になっていることだ。いくら女と見まがうばかりの美少年とはいえ、それでも男には変わりない。だがその男に対しても、悪役の男たちは奉仕する。熊造が菊之助を犯す場面、熊造は何度も射精しそうになりながら、それを歯を食いしばって我慢する描写がある。自分一人がさっさと先に射精するのではなく、今、自分が犯している菊之助をもっともっと高ぶらせてから、二人一緒に思いを遂げようとするのだ。こんなことは現実の強姦ではありえない。自分一人がさっさと射精して、欲望を満足させるはず。だが熊造はうっかり先に射精した後も、菊之助のそれを握りしめている伝助に「ぼんやりしねえで早く昇らせてやらなきゃ駄目じゃねぇか」と叱咤するのだ。こんな気遣いにあふれたレイプ犯がいるだろうか。

もちろん、そうして望まぬ絶頂に追いやられることが菊之助にとって最高の屈辱だと分かっているから、熊造はそうするのだが。だが自分一人が楽しむのではなく、抱いている男にも最高の快楽を与えようとする彼の行為は実に献身的である。
そうして熊造がたっぷりと「奉仕」したことで、菊之助は相手が憎い父の仇ということも忘れるほどの快楽に溺れ、熊造とうっとり口づけを交わすほどになる。それを見てキャーと黄色い声を上げるお銀とお春、あんたらは元祖腐女子か。(この小説が書かれたのは1970年代)

熊造はそれ以外でも、薄暗い地下の階段を縛られたまま降りて行く菊之助に「足元に気をつけるんだよ、お坊っちゃん」と声をかけるなど、妙にやさしい。重四郎もまた、浪路がめまいをおこしかけると「大丈夫か」とその肩を支えるなど、被虐対象に気遣いを見せる。終盤になると、重四郎はさらに浪路に対して感傷的になり、雲助たちが勝手に浪路に触ろうとすると、叱りつけて手出しを許さないシーンもある。
重四郎にはまた、「形見にする」ため、姉弟の尿を混ぜ合わせて、それを徳利に入れて一人悦に入るシーンがある。女だけでなく男の尿まで徳利に注ぎ、それを揺すって尿が流れる音を楽しむなんて、普通の神経では考えられないが、重四郎は姉弟の尿をまるで聖水のように大事に扱う。それは彼が、精神的にはこの姉弟の奴隷になっているからに他ならない。

と、いうようにこの小説、女だけでなく男も被虐対象になっていることで、「責める側が被虐対象の奴隷になる」という鬼六作品の特徴が、よりはっきりと現れているように思うのだ。


それにしてもーーいくら衆道が盛んな江戸時代の話とはいえ、出てくる男たちがどいつもこいつも揃って衆道の趣味も持ち合わせてるってどうなのよ(笑)。姉弟が裸で縛られていて、それを見た男たちが真っ先に食いつくのはもちろん浪路なんだけど、続いて菊之助の裸にもねっとりと好色な眼を注ぐ、そんな描写がたびたび出てきて、なんというか、「鬼六先生も律儀だなあ」と。主な読者層は圧倒的にノーマルな男性だろうし、そんなに何度も「淡い小麦色の、しなやかで滑らかな裸身」とかしつこく男の体を描写して、喜ぶ読者がいったい何人いるのかと。
だから終盤、「俺には稚児遊びの趣味はねえ」と、菊之助を責めることを嫌がる雲助が妙に新鮮だったり。ふ、ふつーはそうだよね(汗)。


■最後に
読者が「なんとか間に合ってほしい」と待ちわびていた救援隊は、姉弟の死の直後に到着する。それが読者をよりいっそう、やりきれない思いにさせる。「今頃何をしに来たのだ」とばかりの千津の冷酷な眼差しは、そのまま読者の感情を代弁している。そしてその後、再び50年後の千津の場面に戻るのだ。
姉弟をなぶり殺した男たちは、この後、救援隊に復讐されたであろうということが、その千津の場面でさりげなく暗示されている。千津が、切断された浪路と菊之助の性器を保存していたからだ。本来ならばこの二つの性器は、三五郎が所持しているはずだから。
だが小説は、悪者たちが復讐されるシーンなど一切書かないし、後日談として「その後、悪者たちは退治されました」などということも書かない。その後のことは読者の推量にゆだねている。単純な勧善懲悪ものにせず、ただ、美しい姉弟の徹底的な悲劇を描くのみ。その潔さが胸を打つ。

 

この小説は1980年に東京三世社から出版されたが、1997年に太田出版から再出版される際、大幅に書き直されたらしい。作者が残虐と判断した場面を修正したそうで、だから今、出版されているバージョンは「毒気を抜かれたもの」だとか。そう聞くと、書き直される前のオリジナルもいつか読んでみたくなってくる。

最後に、『鬼ゆり峠』で検索すると、ひっかかってくるBLコミック『美剣士』について少し。『鬼ゆり峠』をベースにしたBLだそうで、あの小説をいったいどうやったらBLにできるのか、逆に興味をひかれて、読んでみた。

……うーん。作者はあとがきで「『鬼ゆり峠』を下敷きにした」と書いているけど、「どこが?」という感じ。登場人物の名前だけ借りた、『鬼ゆり峠』とは全くの別物で、こんなもんは勝手にオリジナルでやってくれと言いたくなる。菊之助という名の若侍が囚われて陵辱されれば、もうそれで「鬼ゆり峠がベース」ということになるのだろうか。
その陵辱も、「にっくき父の仇に陵辱される屈辱」がキモだった原作と違い、何の関係もない雲助たちからの陵辱だから、屈辱感ゼロ。「体だけでなく心も陵辱し尽くす」という鬼六作品のスピリットがきれいさっぱり抜け落ちてるから、読んでてちーっともドキドキしない。よくこんなんで「原作 団鬼六」と本の著者欄に記載できるわ(呆)。
「原作を読むと、菊之助の相手役は重四郎かなと」感じたと、作者はあとがきに書いているが、これも謎。いったい原作のどこをどう読めばそう感じるのか……腐女子フィルターって凄いですね。
もし仮に私が『鬼ゆり峠』をBL化するとしたら、浪路を男にして、美形兄弟の受難物語にするかな。そしたら、原作のストーリーそのままでBLになるし。それか、重四郎と定次郎をカップルにして、悪役視点の話にするのも面白いかも。って、いったい何の話だ。

仮に「鬼ゆり峠がベース」という見方をなくして、全くのオリジナルとして読んだとしても、絵も雑だしネームも稚拙だし、がっかりな作品だった。

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お一人様にはツラい鼎泰豊。
■三日め〈12月27日〉

台湾に行ったら、小籠包で有名な「鼎泰豊」には一度は行ってみたいと思う。でも長時間並ぶのはイヤ。調べると、土日は朝9時からオープンしているらしい。これならそんなに並ばなくても入れそう。そう思い、台湾に来て三日目の朝はあえてホテルで朝食を食べずに、東門駅近くの「鼎泰豊」で朝食を食べることにした。
ちなみに7泊した「エリンホテル (伊倫商務会館)」の朝食はなかなか手がこんでいておすすめ。毎日メニューが変わるので飽きないし。

「鼎泰豊」に着いたのは朝の8時45分頃。でもすでにオープンしていて、一階、二階は満席だった。店員が流暢な日本語で「三階にどうぞ」と言うので、三階に上がる。するとここはまだ私一人。4人テーブルからしかなかったので、それに座る。
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わりと希少かもしれない。空席だらけの「鼎泰豊」。後から気づいたけれど、部屋の奥は10人掛けのテーブルになっている。後は全て4人テーブル。
頼むメニューはもちろん小籠包。でも一人なので5個入りを頼む。それと、旅行中の野菜不足を補うために野菜料理。ここは台湾ならではの野菜ということで、メニューから空芯菜炒めをオーダーしたら、店員さんが「ありません」とのこと。
だったらメニューにそう書いていてほしいところだし、日本ならお客からクレームが来そうだが、台湾なら別に無問題なのだろう。台湾人はおおらかだと聞いているし、それくらいでクレームはつけなさそう。
と思ったが、後から次々に入ってきたお客は全て日本人。あっという間に三階の全テーブルが日本人で埋め尽くされた。

気の毒だったのは、4人テーブルが全て埋まった後にやってきた一人客と、カップル客。奥にある10人掛けのテーブルに相席にさせられたのだ。後から別のカップル客も来たけれど、その人たちもそのテーブルに相席になっていた。一つのテーブルに二組のカップルと一人客が相席……きまずい。

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空芯菜炒めがなかったので、代わりにオーダーしたほうれん草炒め。おいしいけれど、複数で取り分けること前提の料理なので一人で食べるのはちょっとしんどい。こういう時、お一人様の不便さを感じる。

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その後、すぐ小籠包も運ばれてきた。5個入りからでも頼めるのはお一人様にとっては嬉しいけれど、ビジュアル的には、5個入りというのはいかにもスカスカで、ちょっと寂しい。
味はもちろんおいしい……のだけど、北京でも、地元に住む日本人に「小籠包がおいしい店」に連れて行ってもらったので、そんなにびっくりするような感動はなかった。つまり北京で食べた店とそんなに大差なかった。私はグルメではないので、店ごとの小籠包の微妙な味の違いとか分からないし。

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食べ終えて店を出ると、店の前には長蛇の行列が。そして聞こえてくるのは日本語ばかり。この行列の中、一人で待つのはちょっとしんどい。朝一番に来てよかった。

この日は朝から雨模様。こんな日は屋内の博物館見学にもってこいだ。という訳で台北二二八記念館に行く。
受付で日本語のオーディオガイドを借りる。おかげで展示内容がよくわかった。
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雨に濡れる台北二二八記念碑。

二二八記念館を出た後は、近くの台大病院へ。大阪の中之島公会堂(大阪市中央公会堂)を彷彿とさせる、ネオ・ルネッサンス様式の壮麗な建物は圧巻。日本人建築家による設計だという。
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日本はアジアで唯一宗主国になった国だが、他の欧米の宗主国との大きな違いは「植民地に自国の伝統建築を建てず、西洋建築を建てたことだ」と、「台湾の歴史」という本で読んだ。確かに言われてみればその通りで、それだけ昔の日本は「西洋かぶれ」だったんだなあと、これらの建築を見ると実感する。

だがこの台大病院のもっとも凄いところは、築110年以上の歴史を持ちながら、今も現役の病院というところ。この石造りの建物が、いかに頑強かがよく分かる。
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内部も当時のまま使われている。患者でもないのに、病院内をうろうろするのはちょっと気が引けたが、好奇心には勝てずに階段をのぼり、中庭に出た。看護師と患者が隣同士に座り、何か話し合っていた。
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今日は12月27日。クリスマスはもう過ぎていたけど、窓にはまだ「聖誕快樂(クリスマスおめでとう)」のシールが貼られていた。この漢字の字面だけ見ると、台湾がキリスト教国に感じる。

この日は日曜日なので、午後からは北門の近くにある国際日語教会の礼拝に出席。行きは最寄りのMRT北門駅まで行ってそこから歩いたけれど、実は台北駅からも充分歩ける距離だった。台北駅の地下街を通って行くルートが分かりやすい。

国際日語教会は、台湾のキリスト教界ではもっとも信徒が多いといわれる台湾基督長老教会に所属。午前中は同じ台湾基督長老教会の城中教会がこの会堂で礼拝をして、午後からは国際日語教会が会堂を借りて礼拝している。こういう例は、海外の日本人教会に多い。
台湾にあるこの教会が他の海外の日本人教会と異なるのは、日本人だけでなく、日本語が話せる台湾人も礼拝に連なっていること。なので教会名も「日本人教会」ではなく「日語教会」なのだ。(たぶん)

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礼拝に出た後、せっかくなのですぐ近くの北門を観光。清の時代に建てられた台北府城の唯一の遺跡だ。だが観光の中心地からはちょっと離れているせいか、観光客はほとんどいない。門のすぐ隣を高速道路が走っているのも、ちょっと情緒に欠ける。当時の日本政府が、清代の門を一つだけ残してくれただけでもありがたいと思うべきか。

帰りは、礼拝に出席していた日本人に教えてもらったルートで台北駅まで帰る。地下街を通っていくと迷わずに駅まで行けるので便利。昼食もまだだったので、地下街にある「花蓮扁食」というワンタンのチェーン店に入った。もちろんワンタンを頼むんだけど、それだけだとお腹が空くのでワンタンと魯肉飯の定食を注文。ワンタンが看板の店だから魯肉飯にはあまり期待してなかったんだけど、想像を上回るまずさだった。そぼろ肉が脂っぽくてべとべと。シンプルな料理だけに、素材の善し悪しが大きく味を左右するのね…。
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口直し(?)に、晩ご飯はホテルの近くの韓国料理店で。石釜でじゅうじゅう湯気を立てながら運ばれてきたビビンバをいただく。ごはんのおこげもおいしくて完食したけど、水がほしい。が、日本みたいに水は無料でサービスされない。
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そこで帰り道、韓国料理店のすぐ近くにある「Walker.in」というお店でタピオカドリンクを購入。ホテルの部屋で飲み干した。
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ビビンバを食べた後にタピオカドリンクを飲む。海外旅行中ならではの取り合わせだけど、意外とイケる。次にこの韓国料理店に入る機会があったら、先にタピオカドリンクを買ってから店に入ろうと思う。
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『綉春刀』続編始動。一作目のファンを失望させた制作発表とは。
低予算で作られた無名監督の映画が好評を得て、「それじゃ続編を」となり、投資する会社が増えて潤滑な資金で続編が企画されたとき。いざ制作が発表されると、主役の俳優以外はがらっと前作からキャストが変わったときのもやもや感は、やっとの思いでW杯初出場を勝ち取った弱小国のチームが、本大会出場時にはキャプテン以外がらっと選手が入れ替わっていた時のもやもや感に似ている。
何が言いたいかというと、映画『绣春刀』のことだ。
※日本公開時の題名は『ブレイド・マスター』だが、私はこの邦題が好きじゃないので原題『绣春刀』のまま話を進める。そもそもこの映画が日本で不人気なのは、『ブレイド・マスター』という汎用的すぎるカタカナ名のせいもあると私は見ている。『ブレイド・マスター』というタイトルだけ聞いて、「どんな映画だろう、見てみたい」とはまず思わない。

この映画は一作目が2014年に中国で公開され、2015年には日本でもミニシアターでひっそりと公開された。映画の感想についてはこちらの記事を読んでいただくとして、ここでは先日制作発表会が行われた、続編について書きとめておきたい。

この映画の原作者で、脚本も書いた路陽(ルー・ヤン)監督の話によると、『绣春刀』続編の企画は、一作目が公開された二ヶ月後、2014年10月に持ち上がったらしい。つまり一作目の制作時には「あわよくば続編を」という考えはなかったわけだ。映画は路陽監督の監督三作目で、彼は当時、ほぼ無名の新鋭監督だった。低予算なため宣伝もほとんどできない状態だったが、口コミでじわじわと人気が広まり、結果的にはなんとか制作費をペイできる小ヒットになったという。
映画自体の評価も高かったため、続編が企画された。続編企画が進行中と公表された2014年11月には、路陽監督はインタビューで「続編は一作目の前日譚になる」と発言。これを受けて続編のタイトルは、以後、便宜的に『绣春刀前传』と称されるようになった。
続編では資金が一作目の3倍以上にアップし、「キャストも全面的にグレードアップする」と監督。この時点ですでに、「一作目の味わいが失われるのでは」と危惧していたファンは少なからずいた。私もその一人で、一作目のあの、低予算の中でなんとかやりくりしているB級っぽさがこの映画の魅力の一つだと思っていたからだ。
それにキャストも全面的にグレードアップって? 一作目の出演俳優ががらっと入れ替わる可能性もあるってこと? 
いやいや一作目の人気は魅力的な登場キャラクターたちによるところも大きかったし、さすがにそれはないだろう。一作目の前日譚ということは、主役の三兄弟の出会いや、義兄弟の契りを結ぶ過程などを、どうしたってファンは期待するだろうし。
それに私は知らなかったが、監督は「前传は丁修と靳一川の師兄弟と、三兄弟の過去の話になる」と言ったらしい。特に師兄弟の話が核心になるとか。この映画の脚本も書いている監督がそう言うのだから、ファンは期待しない訳にはいかない。とりわけ一作目でもっとも中国の観客、特に女性たちに人気が出たのが、丁修と靳一川の師兄弟なのだから。この二人は「相思相愛」ならぬ「相愛相殺」の関係だと、ファンの間では言われている。
ちなみに中国での绣春刀人気には、腐女子たちもおおいに貢献していると私は思う。その腐女子人気を支えていたのが丁修、靳一川の師兄弟だ。

そんな訳で監督の「キャストを全面的にグレードアップ」発言に一末の不安を感じつつも、ファンは『前传』の撮影開始を心待ちにしていた。その状態が約一年半続いた。

で、先日3月16日に正式に、『绣春刀前传』の制作発表会が行われた。正式タイトルは『绣春刀 修羅戦場』。主要キャストも発表されたが、なんと前作でも主役を演じた張震(チャン・チェン)以外はがらっと総入れ替えに。当然ストーリーもガラッと変わって、前作のような三兄弟が軸の話ではなく、全く新しいキャラクターが新しいストーリーを展開するとのこと。

ちょっと待て。それって果たして『前传』か?

だが監督はきっぱり「タイムラインからいって、一作目の前传と言えます」と言う。確かに時代設定は天啓七年で、まだ魏忠賢の専横時代。一作目の数年前の設定だ。
だが時代設定が一作目の前というだけで、『前传』と名乗るのはちょっと苦しい。『前传』というからには、ファンは当然三兄弟と、師兄弟の過去話を期待していたのだから。
それを大胆に裏切ったこの発表。一作目のファンからは当然非難の声も上がっているし、私も残念だが、一方で納得もしている。だって今回もまた三兄弟を主役にしたところで、彼らはこの作品では死なないと分かっているし。どんな危険な状況になろうとハラハラドキドキしないし、危険を乗り換えた時の喜びもない。それって三兄弟のファンは「キャラクター映画」として楽しめても、それ以外のファンにはつまんない映画になるのではと思うからだ。
そのことについては、この続編で初めて「監製(プロダクションマネージャーのことか?)」としてスタッフに加わった寧浩(ニン・ハオ)も同じ考えらしい。彼は映画の全面的グレードアップを計る路陽監督に依頼されて監製となったが、路陽は最初、三兄弟が主役の脚本を書いて寧浩に見せたところ、書き直しを命じられた。理由は「彼らはすでにその運命が確定しているから、観客の予想外の喜びや悲しみには限りがある」から。私もそれに同意する。
その後、路陽は書き直した脚本を寧浩に見せてはダメだしをくらい、五稿目でようやく寧浩からOKをもらったとか。映画は脚本が命だし、なんだか期待できそうではないか。一作目のスタッフだけで進めるのではなく、外部から監督としても監製としても実績のある寧浩を招いたことは、良い結果につながるのではないだろうか。

それに前作の主役だった沈煉はまだ引き続き主役で、演じる俳優も張震のままだ。軸となる俳優がそのままだから、よく「失敗した続編映画」として名の挙がる『スピード2』や『マスク2』のようなことにはならないのでは。張震は以前、「異なる役を演じることが好きだ。再び同じ役を演じるのは好きじゃない」と言ったそうで、確かにこれまで同じ役を再び演じることはなかった。それについて路陽は、「今回の役は(沈煉という役は同じでも)新鮮な感じがあるから、張震は引き受けたのでは」と語っている。
また、張震以外はがらっとキャストが変わったことについては、「寧浩と討論した結果、新しいストーリーと役柄を採用した。沈煉を核心に、彼に新しい人物とからませ、新しい冒険をさせる」とのこと。その一方で、「『绣春刀2 修羅戦場』で新しく登場する役柄の何人かは、一作目の『绣春刀』の役柄と複雑で入り組んだ関係にある」とも漏らしている。
さらに、発表された主要キャストには名前がなかったが、監督いわく、実は張震以外にも、一作目に続いて出演する俳優はいるらしい。それも一作目と同じ役で。だが彼らは主演ではなく、いわば特別出演のような形で、短時間の出演になるのではないだろうか。

そうした期待はあるものの、とりあえずはっきりしたことは、続編は一作目とは違い、三兄弟が主役の話ではないということ。また一作目で鮮烈な印象を放った丁修が登場するかどうかも未定だ。そのことに失望しているファンは多く、「監督は、前传は師兄弟の話だと言っていたのに」「詐欺師」と、監督を非難する声も少なくない。
そうしたファンの反応は、監督は充分予想していただろう。それでもあえてガラッと主要キャストを入れ替えた。前作のキャストをそのまま引き継げば前作のファンはまず映画館に足を運ぶだろうし、ある程度固定客は確保できたはず。だがその固定客を切り捨ててまで、作品のグレードアップに踏み切ったのだーーと、私は好意的に解釈したい。というのも、一作目は作品としてはいろいろ惜しい部分もあり、完成度は決して高くなかった。だから寧浩を監製に招いた続編は、一作目を上回る作品になるのではないかと期待している。

だがその一方で、なんともいえないもやもや感が残る。冒頭にも書いたように、苦労してなんとかW杯の出場権を勝ち取った弱小チームが、本大会ではがらっとメンバーが入れ替わっていた、あのもやもや感に似ている。一作目の出演俳優たちは、ほぼ無名の青年監督の低予算映画にもかかわらず、脚本の良さや、スタッフの情熱に惹かれて出演したのだ。それが高評価を得て、前作より資金が大幅にアップした続編には、前作のキャストはほとんど呼ばれず、かわりに人気のスター女優が出演する。もやもやするけど、発表されたポスターがカッコいいのでやっぱり期待してしまう。劇画調で、青年コミックの単行本の表紙にも見える。

よく見ると、飛魚服のデザインが前作とは変わっている。実際に映画でもこのデザインだったら、飛魚服もグレードアップということになる。

撮影開始は4月3日から。公開は来年になる見込み。もし中国でヒットしたら、日本でも前回のようなミニシアターではなく、ロードショー公開される見込みがあるかも。
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白菜どこ〜? in故宮
■二日め〈12月26日〉

台湾旅行二日目のメーンイベントは、夕方からの故宮博物院。今年いっぱいは、16時半からの入場は入場チケットが安いと聞いたからだ。
夕方からだとツアー客も少なくて比較的ゆったり見れそう。それに故宮は普段の開館時間は18時半までだが、金・土は21時まで開いている。なので16時半から入館しても、鑑賞時間に余裕がある。故宮に行くなら金・土の16時半からに限る! そして旅行中はこの日がチャンスだった。

夕方からの故宮博物院鑑賞に備えて、日中はなるだけ体力を消耗しないようにしようと思っていた。なのに結局、無駄に道に迷ったりして歩き回り、夕方にはいつもと同じくらい疲れていた。それでもこの日を逃したら、ゆったり鑑賞できるチャンスはない。

16時頃、士林駅下車すぐの所にある、故宮博物院行きのバス停に行く。九份に向かうバス停の時は長蛇の列ができていたが、故宮行きのバス停は列が作られておらず、みな適当にバス停を囲んでいた。
思えば、九份行きのバスの行列が特異だっただけで、台湾では(というか中国でも)バスに乗るのにいちいち行列とか作らないのかも。

ほどなくバスが来て乗り込む。故宮博物院へは10分ほど。それでもその間立ちっぱなしなのは疲れる。やはり日中歩きすぎたか。
夕方からの入場はチケットが安くてお得だけれど、体力的にはやはり、朝から観光する方がラクかも。
夕方からだと、いくら日中体力を消耗しないでおこうとしても、どうしてもじっとしてるのがもったいなくてあちこち観光してしまうし。

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故宮博物院到着。正門前で、かめはめ波を撃っている人がいた。

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鑑賞を終えて帰ろうとする人の群れとすれ違いながら、階段を登る。
館内はけっこうな人。それでも昼間よりは人が少ないらしく、302号室にある肉形石もゆったり見れた。
が、この部屋のもう一つの目玉、というか故宮博物院屈指の作品である翠玉白菜がどこにもない。部屋にいた学芸員らしきおばさんに聞くと、「別の博物館に貸出中」とのこと。なんてことだ……。
展示品はどれも興味深かったけれど、先に北京の中国国家博物館で膨大な数の文物を見ているので、正直、それほどインパクトはなかった。中国国家博物館の方が展示されている文物が多いし、展示方法も、石器時代に始まって、中国最古の王朝である殷、春秋戦国、秦……と時代ごとに部屋が分かれており、それを順番に見ていけるので、技術の発展などがわかりやすい。私が見落としただけだと思うけど、なぜか楚漢戦争と、その後の漢の時代の部屋がなかったのが謎だが。だがその部屋を改めて探そうという気力や体力がないほど、広大な博物館で見応えがあった。

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博物院にいたのは3時間半ほど。鑑賞を終えて外に出ると真っ暗で、地面が濡れていた。雨が降っていたようだが、博物院を出た20時半頃にはすでにやんでいた。

再びバスに乗って士林駅に向かう。すぐにMRTに乗るつもりだったが、駅の近くに火鍋屋を発見。寒かったこともあり、吸い込まれるようにその店に入った。
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鍋のメニューはたくさんあったが、私が選んだのは羊肉の鍋。だが肉が固くて、「素直に牛肉にすればよかった」と後悔する。
だが旅行中は不足しがちな野菜がたくさん取れたのはよかった。一人用の鍋が充実している火鍋屋は、一人旅行者にはありがたい。
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クー嶺街を歩く。
■二日め〈12月26日〉

台湾旅行二日目は、朝、自然と早くに目が覚めた。さっそく身支度を整えて、中正紀念堂に向かう。9時からの衛兵交代式に間に合うと思ったのだ。
中正紀念堂に着いたのは8時50分くらいだけど、すでに衛兵交代式が始まっていた。
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バッキンガムの衛兵交替式に比べて、衛兵の服装が地味。特に工事現場の作業員みたいな白いヘルメットが目立つ。観光客用のショーのように捉えられがちな衛兵交代だけど、れっきとした軍事行事ということが、この服装から感じられた。
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体型はともかく、みんな背丈がほぼ同じなのがすごい。整列美を演出するため、あえて同じ身長で揃えたのだろうか?

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中正紀念堂。1980年に建てられたそうで、別に皇帝専用の道とか必要ないだろうに、なぜか階段の真ん中に皇帝専用の道(白い部分)があるのが面白い。蒋介石を皇帝と見立てたのだろうか?

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蒋介石像。数年前にワシントンのリンカーン記念館を訪れたことがあるが、あのリンカーン像を彷彿とさせる造りだ。歴史の本を読んだだけでは、この人が台湾でこんなに巨大な像を建てられてるとは思いもよらなかった。私はわりと蒋介石が好きなのだが(毛沢東に負けたという判官びいき込みで)、それでもこれは意外だった。こんな銅像になるほどの偉人じゃないやろー、と思ってしまう。
でもこの像と、この広大な紀念堂とその敷地を見ただけで、蒋介石がこの国で長年、絶対的な権力者だったことが分かる。百聞は一見にしかず。歴史の本を何冊も読むよりも、たった一度その国を訪れた方がより歴史を実感できる。

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でも観光客は蒋介石の像よりも、もっぱら、その前に立つ衛兵にカメラを向けていた(笑)。蒋介石人気ない…。

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地下に降りると、そこはギャラリーになっていて、ここで個展を開催しているアーティストがスピーチしていた。

階段を上がると、そこは「中央通廊」という広々とした展示スペース。この日は中華民国の抗日戦争展をしていた。
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南京大虐殺の絵。上から見下ろし、笑っている日本兵の顔がいかにも悪役。そういえば去年のGWに行った北京の中国国家博物館でも、南京大虐殺がテーマの彫刻の展覧会があった。

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紀念堂の前では「アナと雪の女王」のアトラクションが開催されており、そのテントがどーんと建てられていた。アナ雪は台湾でも人気らしく、親子連れの長い行列ができていた。

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正門から見た紀念堂。中国旅行の後だと、台湾のこういう中華風建築の新しさ、きれいさを痛感する。台湾ってほんと、まだ新しい国なんだなあ。

この日のお昼ご飯はどこにしようか決めていなかったが、『歩く台北』を開くとこの付近に魯肉飯の人気店「金峰魯肉飯」があるのを発見。さっそく地図を頼りに店に向かうが、方向音痴のため反対方向に歩いたりして迷ってしまい、ようやく店にたどりつけたのは1時間半後だった。
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迷ったせいでもう13時半になっていたが、それでも店の前は長蛇の行列。日本ではわざわざ行列に並ぶなんてことはしないけれど、旅行先では並ぶ。めったに来れない異国、どうせならおいしい料理が食べたいし。
回転が早いのか、行列はわりとサクサク進んだ。この時にはすでに「イーウェイ(ひとり)」という中国語をマスターしていたので、店員に「イーウェイ」と伝えると、スッと店内に入れてくれた。やっぱり一人って身軽。

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魯肉飯だけだと物足りないので、苦瓜排骨湯も頼んだ。メニュー名からは肉が入ってなさそうなのに、骨付きの牛肉がゴロゴロ入っていた。食べきれるか不安だったが、やさしい味わいのスープだったこともあり、ぺろりと平らげられた。
看板メニューの魯肉飯も、油っこくなくて、肉そぼろも程よくパサついていておいしい。この時はまだ他店で魯肉飯を食べていなかったので比較対象がなく、金峰の魯肉飯も「こんなもんかな」と感じたが、翌日にワンタンの店で魯肉飯を食べた際、金峰の魯肉飯がいかにおいしいかを実感した。まあワンタンの店に、ワンタンにセットでついてくる魯肉飯の味を期待するのがそもそも間違ってるかもしれないが。

遅めのお昼ご飯の後、腹ごなしに周囲を散策しようと地図を広げたら、ふと、見覚えのある地名を見つけた。

牯嶺街。

これはあの台湾映画の名作「牯嶺街少年殺人事件」の舞台となった街の名前ではないだろうか。
映画はかつて、牯嶺街で実際に起きた事件を元にしているという。
あいにく私はその映画を見ていない。見たいのだけど、日本ではDVDが出ていないようなのだ。
なので映画に思い入れはないのだけれど、せっかく牯嶺街の近くに来たのだから、ぜひその街を歩いてみたいと思った。

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牯嶺街と名付けられたこの通り。経済発展なんてどこ吹く風というような、古い建物が多い。飲食店の値段も安く、地元民しか通らないような庶民的な通りだった。
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牯嶺街で印象的だったのは、古本屋が多いこと。古本屋街とまではいかなくても、ちょっと歩いただけで3件くらい古本屋を見つけた。使用済みのハガキを売っている店もあって、なかなかマニアックな通りだ。
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額縁屋?が二件並んでいる。あまり観光客には縁のなさそうな店が多い。

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かと思えば、ガレージと二階の窓に、一つ目小僧のオブジェを飾っている家があったり。

歩き疲れてきたので牯嶺街を後にして、最寄りの駅である古亭駅に向かう。その途中で、「南福宮」という小さい廟を見つけ、中に入った。後でネットで調べてみると、航海・漁業の守護神である道教の女神、媽祖の廟らしい。
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歩き疲れてきたので牯嶺街を後にして、最寄りの駅である古亭駅に向かう。その途中で、「南福宮」という小さい廟を見つけ、中に入った。後でネットで調べてみると、航海・漁業の守護神である道教の女神、媽祖の廟らしい。
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廟の奥には媽祖の像があった。私が会話帳を指差しながら中国語で「写真撮っていいですか」と聞くと、中にいたスタッフは笑顔で快諾してくれた。が、その時は中でお祈りしている人がいたので、建物の外で待っていた。するとほどなくしてさっきのスタッフがやってきて、日本語で「今なら、中に入って撮ってもいいですよ」と教えてくれた。見ると、お祈りしていた人がもう帰った後だった。
日本語で意思疎通ができるのもすごいが、わざわざ教えに来てくれる、そのやさしさが胸にしみた。
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媽祖の像。

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台湾でもスターウォーズが公開中。帰りに利用した、古亭駅のホームにも看板があった。ハン・ソロのハンは、やはり中国語では「韓」なのね。
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冷風しか出ない「エアコン(暖)」
私はホテルごとあちこち移動する旅行よりも、一カ所にじっくり滞在して、ホテルを拠点に日帰りであちこち行く旅行が好きだ。なので台湾でも、台北に7泊する予定を立てた。つまり同じホテルに7連泊するわけで、なるべく利便性がよく、居心地のいいホテルに泊まりたかった。
今回、選んだのはエリンホテル (伊倫商務会館)。ここを選んだ理由は、なんといってもMRTの駅から近いこと。松江南京駅から徒歩1分もかからないし、松山新店線と中和新蘆線、二つの路線を利用できるのも便利そう。
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旅行中、毎日利用した松江南京駅。この7番出口から、ホテルまでは徒歩1分弱。
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細い路地を挟んだ二棟の建物がエリンホテル (伊倫商務会館)。私が今回、泊まったのは右側の棟。

「便利そう」という理由で選んだこのホテル、実際とても便利だった。交通至便なことが一番の理由だったので、室内の設備は最低限のものがあればそれで良かったけれど、嬉しい事にバスタブがあった。
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インテリアもクラシカルで女性好み。毎日の清掃も行き届いていて清潔だった。

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私が泊まったのは202号室。中国語だと「アー、リン、アー」で、毎日のようにこの単語をフロントに告げて鍵をもらっていたので、覚えてしまった。
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ホテル内の階段もクラシカル。

難点としては、エアコンの暖房がきかないこと。一応、エアコンで「暖房」は選択できるのだが、どうみても冷風しか出てこない。後で台湾在住の人に聞いた話では、台湾のほとんどの建物は暖房設備が整っていないそうで。なので夏はともかく、冬の室内はとても寒い。夜、ホテルで寝るだけならまだしも、私はホテルで仕事をしなければならなかったから、室内の寒さはこたえた。コートを着て布団を脚に巻き付け、震えながらパソコンで原稿を書くはめに。

そんな訳で室内の暖房がきかないことは辛かったけれど、それ以外は大満足のホテルライフだった。特に立地。実際に泊まってみて分かったけれど、「MRTの駅に近い」だけでなく、周辺に地元民向けのローカルな店が多くて、散策するたびに新たな発見があった。
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ホテルのすぐ近くにある四平街陽光市場。服やバッグ、靴などのお店が多く、「地元OL御用達」の市場だそう。

でもこの市場に一軒だけ、日本だと「マルシゲ」のようなお菓子屋さんがあり、珍しい台湾のお菓子がいろいろあって、見ているだけで楽しかった。「譽展蜜餞行」というお店で、他から仕入れたお菓子だけでなく、このお店がオリジナルで作っているお菓子もいろいろとある。そのうちのひとつがこちら。
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このお店で買ったお菓子はこれ一つだけだけど、当たりだった。たっぷりのレモンクリームをサクサクのクラッカーでサンドしたお菓子で、「台湾ならでは」という感じがしないのでお土産には不向きかもしれないが、旅行中の「自分のおやつ」にはうってつけ。

他にもマンゴーをはじめとしたドライフルーツや黒ピーナッツなど「台湾ならでは」のお菓子も豊富に揃っているので、お土産探しにも便利なお店だ。迪化街をぎゅっと凝縮したような品揃えで、かといって迪化街ほど観光客が多くないので、お店の人がお客を放置してくれるのがいい。迪化街のように、すぐに店員が話しかけてこないので、おいしいお菓子探しに没頭できる。ドライフルーツ類は試食もできるし。

そして、ホテルのすぐ隣には四平公園があり、私の泊まった部屋の窓からはその公園が一望できた。
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小さな公園だけど子ども用の遊具と、大人も利用できる運動設備があり、毎朝、ここで年配の方が運動していた。
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