何年たっても、まだ狂ってる。
Still Crazy After All These Years (Paul Simon)
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殉職した教師に捧げる「サウンド・オブ・サイレンス」
 

ポール・サイモンサイトの掲示板で、沼崎マコトさんから教えていただいたニュース。昨年12月14日にアメリカ・コネチカット州の小学校で起こった銃乱射事件。生徒らを守るために銃の前に立ちはだかり、銃弾に倒れたヴィクトリア・ソートー先生の葬儀にポール・サイモンが出席。ギター1本で「サウンド・オブ・サイレンス」を歌い上げた。
記事によると、ポールが登場した際に特に紹介などはなく、歌い終わった後も、会場から拍手はなくただ静けさが場内を包んだという。

元記事
http://nmn.nifty.com/cs/catalog/nmn_topics/catalog_121221087905_1.htm

紹介のアナウンスもなく壇上に上がり、弾き語りで「サウンド・オブ・サイレンス」を演奏した後、シーンと静まり返る中を、自分の席へと戻るポール・サイモン。
記事を読んで浮かぶのは、なんとももの哀しい情景だ。だがそういった哀しいシーンに、ポールという人は実にすんなりとけ込むのだ。
一般人の葬儀に有名ミュージシャンが出演。だがそこには華やかな歓声も、拍手もない。そもそも、ポールには「出演」という意識すらないだろう。彼はミュージシャンとしてではなく、「遺族の友人」として葬儀に出席した。記事によるとポールは、彼の義理の妹を通じて遺族のソートー家と付き合いがあったらしい。
だからたぶん、登場時の紹介などは、ポールの方から断ったのではないだろうか。自分は友人として葬儀に出席するのだから、アナウンスはいらないと。そして他の出席者たちが黙祷を捧げる代わりに、彼は歌を捧げた。捧げた歌は「サウンド・オブ・サイレンス」。
「やあ暗闇、僕の古い友達。また君と話にやって来た」というフレーズで始まるこの歌は、「現代人の孤独」「都会人のコミュニケーションの欠如」を歌っていると言われている。今、改めて歌詞を読み、そしてあの銃乱射事件の犠牲者の葬儀で歌われたのだと思うと、どきっとするほどその歌詞の内容がリアルに感じられる。というのも、事件の犠牲者に捧げた歌だったにもかかわらず、その歌詞は犠牲者よりも、彼女を殺した犯人の心情に、より近いように思えたからだ。
とりわけ、下記のフレーズが生々しい。

Hear my words that I might teach you
Take my arms that I might reach you


僕の言うことを聞いてくれ
僕の差し出した腕をつかんでくれ


だが歌の中では、彼の言うことを聞いてくれる者は誰もいない。
ポールが歌い終わった後に拍手がなかったのも、もしかしたら出席者たちはこの歌から「現代人の孤独」を突きつけられ、その孤独から生まれた「心の闇」が、このような事件を起こしたのではないかと考えさせられたからではないだろうか。
とはいっても、私はたとえこの事件の犯人が深い孤独や「心の闇」なんかを抱えていたとしても、犯人に共感や同情の気持ちなどはわかないのだが。ただ、ポールが犠牲者の葬儀で、数ある歌の中からあえて「サウンド・オブ・サイレンス」を選んだというその事実。なぜ、この歌なのか。たとえば、生徒をかばって銃弾に倒れた教師の自己犠牲の精神をたたえるなら、「自分を犠牲にしてでも愛する人を守りたい」と歌う「明日に架ける橋」なども、ふさわしかったように思うのだが。

だがポールがこういった場で「サウンド・オブ・サイレンス」を歌うのは、実はこれが初めてではない。
米同時多発テロから10年後の2011年9月11日にニューヨークで行われた「9・11追悼式典」で、ポールは当初「明日に架ける橋」を歌う予定だった。だが当日になって急きょ曲目を変更し、「サウンド・オブ・サイレンス」をギター1本で静かに歌いあげた。彼が歌い終えると、「遺族たちは『この曲が一番よかった』とつぶやいた」と、当時の朝日新聞の記事は伝えている。
「なぜ、曲目を変えたのかは推測するしかない。米国型民主主義を世界中に押し付けるあまり、『対話』をおろそかにしてしまったのではないか。サイモンからのそんな問いかけではないかと思えて仕方がないのだ」(2011.9.21朝日新聞より)

今回の銃乱射事件。犠牲者の葬儀でポールが「サウンド・オブ・サイレンス」を歌ったのも、同じような理由からだろうか。
確かに事件は痛ましい。だが、ただ犠牲者に涙し、また犯人を憎むだけでなく、「なぜこのような事件が起こったのか」その原因を考えることが必要じゃないだろうか。そんな問いかけが秘められていたのかもしれない。

それにしても発表から50年近くたっても、今もなおリアリティをもって心に迫ってくる、この「サウンド・オブ・サイレンス」の歌詞の普遍性には驚かされる。
一般的には「サウンド・オブ・サイレンス」というと、真っ先に思い浮かぶのはサイモン&ガーファンクルのバージョンだろう。二人の美しいハーモニーとポールのギター、それにエレクトリック・ギター、ベース、ドラムなどが加わったフォーク・ロック調の軽快なリズム。
だがポールファンならご存知のように、元々はポールがギター1本で歌い上げる、彼のソロナンバーだ。そしてポールがソロで演奏する「サウンド・オブ・サイレンス」は、サイモン&ガーファンクルが歌うそれよりも、演奏と歌声がシンプルな分、よりダイレクトに歌詞の内容が心に響いてくるように思う。
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アンダー・アフリカン・スカイズ
※ネタバレあり

『アンダー・アフリカン・スカイズ』
監督:ジョー・バーリンガー/出演:ポール・サイモン、ダリ・タンボ/2011年制作

懐かしいLPレコードに針を落とすシーンから、映画は始まる。レコードのタイトルは「グレイスランド」。南アフリカ音楽のエッセンスと、ポールの持ち味である都会的ポップスを融合させた野心作で、ソロとしての最高傑作かどうかは人によって評価が分かれるところだが、ソロとしてもっともヒットしたアルバムであることは間違いない。
アルバムが発表されたのは1986年。当時のニュース映像が流れ、キャスターが「グレイスランド」が500万枚を売り上げる大ヒットであることを伝える一方、激しい議論を呼んでいることを伝えている。アルバム制作のため、南アフリカを訪問して現地のミュージシャンとセッションしたことが問題になったのだ。
当時の世界情勢を知らない人は「なぜ、そんなことで」と思うかもしれない。だが当時、南アフリカではアパルトヘイト政策(人種隔離政策)が行われていた。少数の白人を優遇するため、白人から黒人を隔離する政策で、黒人たちには外の通りを自由に歩く権利もなく、常に通行許可証の携帯が義務づけられていた。当然、この人種差別政策に反対する運動が活発になり、国際世論もそれに同調。アパルトヘイトを撤退させるべく、南アフリカに経済制裁を加えるなどした。国連もまた、南アフリカへの処置として、文化的交流のボイコットを呼びかけた。この「文化的交流」には音楽家たちも含まれる。南アフリカでコンサートを行ったり、レコーディングをしたりすることは禁止されていたのだ。そうして南アフリカを世界から孤立させることで、アパルトヘイト撤退へ追い込むことが目的だった。
他の音楽家たちは、アパルトヘイト反対の立場から、国連が定めたこのルールに従っていた。だがポールは「グレイスランド」制作で、そのルールを破ったのだ。

このあたりのいきさつーーいわゆる「グレイスランド論争」については、これまでも伝記『ポール・サイモン(パトリック・ハンフリーズ著/音楽之友社)』などで読んで、知識として知ってはいた。だが今回この映画を見て、さらに当時の状況がリアルに伝わってきた。というのも、この映画には当時、ポールを批判していた側の代表である「ANC(アフリカ民族会議)」の人間も登場して、自分の意見を述べていたからだ。(ANCは、黒人解放運動の中心を担ってきた南アフリカ共和国の政党。かつてネルソン・マンデラも所属しており、副議長、議長を歴任した)
前述したポールの伝記では、やはりポールを擁護する記述が多く、彼を批判する側の声はほとんど載っていなかった。だからどことなく「不公平だな」という読後感があった。
しかしこの映画では、ポールを批判していた側の人物にもスポットを当て、彼の声をたっぷりと紹介している。その人物が、「アーティスト・アゲインスト・アパルトヘイト」創設者のダリ・タンボ氏。だがその肩書きよりも、「ネルソン・マンデラと並ぶ反アパルトヘイト運動の伝説的指導者、オリバー・タンボ氏の息子」という肩書きの方が分かりやすいかもしれない。
オリバー・タンボ氏は元ANC議長で、60年に拘束を逃れてイギリスに亡命。以後、90年に南アフリカに帰国するまで、海外からアパルトヘイト撤廃を世界に訴えた。
グレイスランド論争の際にも、ANC議長としてポールを批判する側だったオリバー・タンボ氏の息子が、映画に登場するダリ・タンボ氏だ。このタンボ氏、初登場のシーンから「ポールの音楽性や才能を南アフリカ音楽と融合させるなんて、素晴らしい発想だ」とまずはポールを持ち上げつつも、その直後に、「だが当時の世界情勢を考えてほしい。彼の行動は無益だった」と、世界中のポールファンを「なにィーー!」と憤らせる挑発発言をかましてくれる(笑)。これはうまい構成だと思った。タンボ氏のこの「宣戦布告」ともいえる発言によって、ファンはこの映画が、単純なポール賞賛の映画ではないことを知る。映画の早い段階で、タンボ氏という「敵役(しかし悪役ではない)」が登場することで、視聴者はぐいと映画に引き込まれるのだ。

アパルトヘイト政策下で抑圧され、警官に連行されている黒人の映像をバックに、タンボ氏は語る。「私たちはアパルトヘイト撤退のために闘った。そして世界中の音楽家に伝えた。今、私たちの運動を支援したいと思うなら、南アフリカには来ないでほしいと」「そんな中で、ポールの南アフリカ訪問は脅威に映った。差別撤廃運動家としては、彼の行動は認められない」
タンボ氏のポール批判の後、カメラは、約20ぶりに南アフリカの地に降り立ったポールを映す。グレイスランド発表から25周年を記念し、アルバムに参加したミュージシャンたちとセッションを行うため、再びこの国にやってきたのだ。
空港から街へと走る車の中で、ポールは25年前を振り返って言う。「アルバムと僕自身への非難に、僕はひどく傷ついたよ」
ポールの率直な発言だが、あれから25年たった今もなお、被害者意識たっぷりなポールにちょっと苦笑してしまう。というのも、グレイスランド論争について調べれば調べるほど、あれはポールの「自業自得」だったと思えてくるからだ。
もちろん私も、ポールにはANCの黒人解放運動を邪魔する気持ちはなかったのだと信じている。ましてや「ポールは裕福な白人の権力で、貧しい南アフリカの黒人ミュージシャンから搾取した」などという一部の批判は、全くの的外れだと感じる。ポールにそんなつもりがなかったことは、これまでの彼のキャリアを見ても明らかだ。彼はS&G時代からワールドミュージックを愛し、そのエッセンスを意欲的に自分の音楽に取り入れてきた。
「グレイスランド」は、そんな彼のキャリアの集大成ともいえるアルバムだ。偶然出会った南アフリカ音楽に惚れ込み、いてもたってもいられなくなって南アフリカに飛び、現地のミュージシャンたちとセッションをした。当時の政治情勢や、国連が定めた文化ボイコットのルールなど全く無視したその行動を、「音楽家としての本能に従っただけ」「ポールは純粋すぎたのだ」と擁護する人は多い。

だがいくら動機が純粋だからといって、他の音楽家たちがみな守っているルールを破っていいものだろうか。他の音楽家だって、南アフリカでセッションしたいと思っていたかもしれなくて、それでもアパルトヘイト撤退のために現地に行くのを我慢していたかもしれないのに。
だから私はこの論争について、「ポールには悪気なんかなかったし、結果的に素晴らしいアルバムができたんだからいいじゃん」とは言えない。そこまで開き直れないのだ。「グレイスランド」は大好きだけれど、それとこれとは問題が別。ファンの私でさえそう思うのだから、黒人解放運動の中心だったタンボ氏なら、なおさらだろう。彼が「問題はポールではなく、黒人を解放できるかどうかだった」と言うのももっともだと思う。ポールが素晴らしいアルバムを作ったどうこうなどは、彼にとって全く関係ないのだった。
もっとも、ポールも悪気はなかったとはいえ、事前にハリー・ベラフォンテに南アフリカ訪問を相談し、彼から「行く前にANCから了解を取るように」と言われていたにもかかわらず、それを無視して南アフリカに飛んだのだから、彼に全く非がないとはいえない。その理由についてベラフォンテは「ポールは、音楽家の表現する権利は、何よりも優先されると考えたんだ。組織に懇願するような真似はしたくなかったのさ」と語る。またポールも当時、ANCと話し合った時、ANCから「なぜ事前に許可を取らなかった」と責められたことについて、「音楽家を支配するつもりか」「どうしていちいち政治家にお伺いを立てなきゃならないんだ」と苛立たしそうに語っている。
だがこの問答はおかしい。ポールは意図的になのか、それとも素なのか知らないが、問題をすりかえているように思う。ANCが南アフリカ訪問の許可を取らなかったことを責めたのは、音楽家を支配したいとかいう欲からではなく、ポールの行動が黒人解放運動の妨げになる危険があったからだ。
もしかしたらポールはANCと話し合ったとき、その口調や言い回しから、ANCに威圧的なものを感じたのかもしれない。見かけによらず(笑)誇り高くて気が強いポールは、「自分は素晴らしいアルバムを作ったのに」という自負もあって、ああいう感情的な返答になったのかもしれない。
だがたとえ威圧的なニュアンスがあったとしても、この場合、何よりも優先されるべきは南アフリカの黒人を解放することであり、ポールの「政治家の言いなりになりたくない」という音楽家としての意地やこだわりは、後回しにされても仕方がない。

ーーと、いかにも正論っぽいことを書いてみたけれど。しかしこの映画の冒頭シーンのように、いざ「グレイスランド」にレコード針を落としてみると、そんな正論なんかどうでもよくなって、「ああポール、当時の政治状況や国連のルールなんか無視して、南アフリカに飛んでくれてありがとう!」という気になってしまうのだった(笑)。だってもしポールがあの時、ベラフォンテの意見を素直に聞いてANCにお伺いを立てていたら、たぶん南アフリカ訪問はなかっただろうし、そうすると「グレイスランド」も生まれなかっただろうから。そう思うと、やはり時代を作る名作というものは、あらゆる規制や弊害を超越して生まれるものなのだと感じる。
それまでポールはどちらかというと、おとなしい、優等生的な音楽家だと考えられていた。政治体制に歯向かうようなことまず、しないだろうと。そのポールが突然、国連のルールを破ったのだから、さぞや周囲はびっくりしただろうと思う。だがそうして作ったアルバムが、結果的には彼の最高傑作となったことに、何か運命的なものを感じる。ポールは「グレイスランド」でそれまでの殻を破って新しい音楽を創造するとともに、「おとなしい優等生」という従来の音楽家像をもかなぐり捨てたのだった。

ふたつの旅

この映画には「Paul Simon's Graceland Journey」という副題がついている。その「Journey(旅)」とはもちろん、ポールの約20年ぶりの南アフリカ訪問を指しているが、実はもう一つの旅が隠されていると思う。かつて自分を批判した、ANCとの和解に至る「心の旅」だ。
会心の大ヒットアルバムを作ったポールには、南アフリカ音楽の素晴らしさを世界に広められた、自分は南アフリカの黒人たちに良いことをしたんだという「自負」も少なからずあっただろう。だから黒人解放運動家たちから思わぬ批判を受けたことがショックで、これまでずっと心のどこかで引きずっていたのだと思う。約20年ぶりの南アフリカ訪問は、そんな長年の「心のわだかまり」を解消するための旅でもあった。

街へ向かう車の中で、ポールは「僕とアルバムへの非難に傷ついた」と言いながらも、「議論の深いところまでは知らないんだ」と言う。そして「南アフリカの人々の意見をもっと聞いてみたい」と、タンボ氏の自宅を訪問する。ここから、この映画のもう一つのメインストーリーともいうべき、ポールとタンボ氏の対話が始まる。
かつて自分を批判していた人物と初めて対面し、警戒心を隠せないようなポールを、タンボ氏はにこやかな笑顔で出迎える。これは「グレイスランド論争で自分が言ったことは正しい」と確信しているからこその、余裕の笑顔だろう。
ソファーに座ってポールと向かい合いながら、タンボ氏は言う。「文化ボイコットの件について、君に悪意がなかったことは知っている。そして残念に思ってる。君の傑作が、政治的状況に巻き込まれてしまったからだ」
「誤解されたのは残念だったし、ずっと心にひっかかってた」とポール。「だから僕も話すから、君の意見も聞かせてほしい」と、彼はグレイスランド制作のきっかけを話し始める。
全ての始まりとなったのは、一本のカセットテープ。そこから、南アフリカへの旅が始まった。現地ミュージシャンとのセッション、そしてレコーディング。その音をニューヨークに持ち帰って、曲を作り、歌詞を乗せていく地道な作業。南アフリカのミュージシャンたちをニューヨークに呼び寄せてのアルバム録音。アルバム発表と、それに続くワールドツアー。
アルバムは大ヒットしたが、同時に文化ボイコット破りへの批判も噴出した。ツアー中も批判はやまず、アルバム不買運動なども起こる。アルバムに参加した南アフリカの黒人ミュージシャンのほとんどはツアーにも参加していたが、彼らにも抗議の矛先は向けられた。黒人解放運動をしている白人から「南アフリカへ帰れ」と暴言を浴びせられ、レイ・フィリが激怒したというエピソードが印象的だ。「アパルトヘイトで酷い目にあってるのは俺たちなのに、なぜそんなことを言われなきゃならないんだ」と。

ポールについては「批判されたのも自業自得」と思ってしまう私だけど、アルバム制作に協力し、ツアーにも参加した南アフリカのミュージシャンたちについては、単純に「自業自得」とは言い切れない。彼らも文化ボイコットは知っていただろうし、そのルールを破ってポールに協力することのリスクも知っていただろう。母国の黒人たちから、もしかすると「裏切り者」呼ばわりされるかもしれないリスクさえも。
「文化ボイコットについてもちろん知っていた」と話すのは、南アフリカの音楽プロデューサーであるコロイ・レボナ。だが彼はポールの求めに応じて、アルバムを作るための現地ミュージシャン集めに協力する。リスクを承知の上でプロジェクトに参加したのは、「それまで三流のように扱われていた南アフリカ音楽を世界にアピールする、またとないチャンスを逃したくなかった」からだ。
彼に「ポール・サイモンがミュージシャンを探している」と声をかけられた南アフリカのミュージシャンたちもまた、同様に「チャンスだ」と思ったに違いない。それを「立志出世の欲に負けて、反アパルトヘイトのルールを破った」と、誰が偉そうに批判できるだろう。そもそも、いくらアパルトヘイト撤退のためだとはいえ、南アフリカのミュージシャンを世界から隔離するのはおかしい。母国でも白人たちから隔離され、世界からも文化的に隔離されーーヒュー・マサケラも言う。「文化ボイコット自体は役に立ったと思うが、ミュージシャンへの規制には反対だった。優れた音楽家を世界から隔離することにはね。それは人々の苦しみを増すだけだ」
私もマサケラの意見に同感だ。だから南アフリカのミュージシャンたちが、ポールと出会ったことでその名を世界に轟かせられたことは素直に嬉しい。だがタンボ氏の次の言葉を聞いて、はっとした。
「確かに南アフリカのミュージシャンたちは、君のアルバムに参加することで世界にその実力をアピールできた。だがそんな彼らも国に帰れば、政府に抑圧され、通行許可証を義務づけられているんだ」
この言葉には胸を突かれた。確かに、そうだ。ポールのワールドツアーに同行し、ステージで世界中のファンから喝采を浴びようとも、それはほんのいっときだけで、ツアーが終わって国に帰れば、実は彼らの日常は何も変わっていない。
アルバム制作にしたってそうだ。ポールはたかだか二週間南アフリカにいただけで、セッションの録音が終わるとすぐまたニューヨークの、セントラルパークを見下ろす高級マンションに帰ってしまう。だが彼と共演した南アフリカのミュージシャンたちは、ポールが去った後も抑圧された過酷な日常を生きなければならないのだ。
ましてや、ミュージシャンでもなんでもない、大多数の南アフリカの黒人たちは? ポールは「アーティストが表現する権利」を主張し、「仲間」である南アフリカのミュージシャンたちの権利は守ろうとするけれど、それ以外の、南アフリカにいる名もなき黒人たちのことまで視野を広げられていない。自分の周りの木だけを見て、森を見ていない。自分たちの活動が、黒人解放運動の妨げになるかもしれないとは想像できない。だから批判されたとき、かなり驚いたのではないかと思う。「傷ついた」というのも、それが全く予期せぬ批判だったからだろう。

ではポールが「グレイスランド」でやったことは、本当に黒人解放運動の妨げになったのだろうか? それとも映画が示唆しているように、アルバムの大ヒットによって世界中の人に南アフリカの問題をリアルに感じさせ、むしろ黒人解放運動を後押ししたのだろうか?
確かな答えはどこにもない。確かなことはただ一つ、1990年2月にアパルトヘイト法が全廃したということのみ。「グレイスランド」発表から4年後のことだった。

25年目の和解

私が「グレイスランド」に惹かれる理由の一つに、アルバムの中に「プロテストソングが一曲もない」というのがある。文化ボイコットを破ってまで南アフリカに行き、実際にアパルトヘイトで苦しんでいるミュージシャンたちと共演したのだから、普通ならプロテストソングの一曲くらい作りそうなものなのに。ポールも一時はプロテストソングを作ることを考えたと、映画の中で語っている。だが結局はその考えを放棄した。理由は「僕の得意分野じゃない」から。
その、いかにもポールらしい理由に嬉しくなると同時に、だからああいう批判を浴びたんだなとも思う。前述した、「裕福な白人が、南アフリカの黒人から搾取した」という批判だ。もしポールがアルバムに、アパルトヘイトへのプロテストソングを入れていたら、こうした批判は起こらなかったーーまではいかなくとも、かなり少なくなっていたのではないだろうか。
だがポールはプロテストソングを作らなかった。そして「いかにもアフリカ的」な曲も作らなかった。南アフリカ音楽のリズムとコードは取り入れたものの、完成した曲にはアフリカの土着的な匂いはほとんど感じられない。都会的にソフィスティケートされたポップソングだ。歌詞にも南アフリカについて触れたものはなく、南アフリカの地名も登場しない。代わりにニューヨーク、ミシシッピなど、これまで同様アメリカの地名が登場する、アメリカを舞台にしたアメリカ人の歌になっている。そこが、いかにも「自分の都合のいいように南アフリカ音楽をつまみ食いした」風に思われて、反感を持たれたのだろう。日本の音楽雑誌でも、当時、そのような批評を読んだのを思い出す。
だがポールは、どの国の音楽に影響されようとも、結局はポール・サイモンであることを変えられない人なのだ。いやむしろ、どんな国の音楽も「ポール・サイモン風」にできるからこそ、あらゆる国の音楽を取り入れられるのだと言える。彼を支えている根本的なものは決して揺るがないし、ブレない。映画の中でポールは言う。「プロテストソングは作らなかった。僕はただ、最高の音楽をつくりたかっただけだ。南アフリカの苦境を歌ってくれと頼まれたわけじゃない」
いくら南アフリカのミュージシャンと共演したとはいえ、彼らの苦境を訴えるために不得意なプロテストソングを作っても、それはポールの思う「最高の音楽」にはならない。だから彼はプロテストソングを作らなかった。単純明快で、潔くさえある。この潔さは、自分の音楽に絶対的な自信を持っているからこそ生まれるものだ。そのことをこの映画で再確認して、ますますポールが好きになった。

もうひとつ、ポールを好きになったシーンがある。映画のラスト、彼が文化ボイコット破りについて、タンボ氏に謝ったシーンだ。
正直このシーンは唐突で、なぜ急にポールがタンボ氏に謝ったのか、そこに至るまでの心の変化がよく分からない。それまでのタンボ氏との対話の中でのポールの発言からは、自分の過ちを認めているとは感じられなかったからだ。
だが「ずっと心にひっかかってた」というグレイスランド論争と向き合い、自分を批判していたANCの人間と向き合い、彼に自分の意見を話すことで、ポールの中で何かが吹っ切れたのだろう。
「君に謝るよ。君たちの活動を邪魔するつもりは全くなかったんだ。それは分かってほしい」と言うポールに、タンボ氏も「過去は水に流そう。君たちを歓迎するよ」と答え、二人は抱擁を交わす。25年目の和解の後、映画は「シューズにダイヤモンド」のライブ演奏をバックにエンドクレジットが流れる。そして始まりのシーンと同じように、ライブ演奏が終わってレコード盤から針が上がったところでジ・エンド。

ポールがタンボ氏に謝ったことを、残念に思う人もいるかもしれない。彼が謝ったことで、「グレイスランド」の栄光にケチがついたような気分になるかもしれない。
だが私はポールが謝ったことに感動した。初めは唐突すぎて「えっ?」と思ったけれど、その後、タンボ氏と抱擁するポールの心から安堵した笑顔を見て、「ああ、彼はずっとこうして和解したいと願っていたんだな」と感じた。文化ボイコットを破ったことで、反アパルトヘイトに非協力的だという誤解を解きたかったのだと。そしてその願いがかない、長年の胸のつかえがとれて、本当に良かった。そのシーンの背景に流れているのが「ホームレス」というのがまた良い。そしてその後、エンドクレジットで流れる「シューズにダイヤモンド」のライブ演奏のさわやかなこと。ポールとレディスミス・ブラックマンバーゾの息のあったハーモニーが聴けるこの2曲こそ、人種の壁を越えた絆を描くこの映画のラストを飾るのにふさわしい。

「当時の政治問題はもう存在しないけれど、音楽は今でも人をひとつにすることができる」ポール・サイモン
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レイと阪神帽とカセットテープ
前の記事にも書いた「グレイスランド25周年記念盤(CD+DVD)」。レコード会社の紹介記事を読むと、アルバム収録のCDよりも、メイキング映画が収録されたDVDの方をプッシュしているように感じる。「映画が凄い!」とか、「既に数多くの映画祭に出品され高い評価を得ており、全米では映画としての公開が決定」とか。確かにいくらボーナストラック付きとはいえ、26年前の作品をプッシュするよりも、新作映画をプッシュした方がファンの購買意欲をそそるだろう。実際、私は大いにそそられてるし(笑)。でも今みたいな、CDとのセット販売ならいらない(セコッ!)。いったい何枚買わせる気なんだグレイスランドって話だし。だからDVDだけ単独で売ってよと。アメリカでは映画として公開されるほど完成度が高いなら、なおさら単独で売ってもいいはずだ。

それに、なかなか評判の高い映画だけど、内容自体にはそれほど新鮮味を感じないっていうのも、私が買うのをためらってる理由でもある。「アンダー・アフリカン・スカイズ」という題名がついてるけど、前に発表された「メイキング・オブ・グレイスランド」とどれだけ違うんだっていう。いやもちろん、映画祭に出品しているくらいだから、「メイキング〜」の焼き直しなんかじゃないだろう。それはわかっている。でも映画のトレーナーを見ると、「メイキング〜」や、ジンバブエでのコンサートビデオ「グレイスランド ジ・アフリカン・コンサート」の映像がばんばん出てくる。だから懐かしいっちゃ懐かしいんだけど、既視感がありまくりで、「同じ映像を何回使い回してんねん」という思いがふつふつと(笑)。そういう、過去に発表した映像に、ポールたちの最新インタビューや、南アフリカ再訪の軌跡などを新たに加えて、映画作品として再構築したって感じだろうか。監督も、これまで一般映画を撮ってきた一流の監督さんだし。既視感はあるものの、やっぱり期待してしまう。でも映画として作られたならなおのこと、映画館の大スクリーンで見てみたい。レディスミス・ブラック・マンバーゾの躍動感あふれるダンスシーンなんか、アメリカの観客は一緒に踊りだしちゃうんじゃないだろうか。いいなあ、アメリカ行きたいなあ。でもこの映画を見るためだけにアメリカ行くのはさすがに厳しいなー(汗)。

以下は、ポールの公式サイトで見た映画トレーナーについての、とりとめのない感想です。

◎ギタリストのレイ・フィリは、年をとってもカッコよかった。相変わらずスリムで、昔の面影がちゃんと残ってるのが嬉しい。ポールが加齢とともに太った(幸せ太りですな)だけに、なおさらレイの変わらないカッコよさが際立っていた。

◎あの頃、ポールがよくかぶっていた阪神タイガースの帽子がちょくちょく映るのがツボ。日本のポールファンにとってあの阪神の帽子は、グレイスランド制作旅行や、その後のコンサートツアーの象徴のような気がする。そしてあの帽子を見るたび、ポールが「夜のヒットスタジオDELUXE」でその場にいない阪神の選手に向かって、「サインボールを送ってほしい」とお願いした空気の読めなさを連想するのだった。……まあ、本国ではポールはスーパースターですからね。ああいう唐突なお願いにもきちんと答えくれるのでしょう。でも残念、ここはソロとしての知名度が抜群に低い日本だった。おそらくあの後ポールの元に、阪神の選手からサインボールが送られてくることはなかったであろう。

◎グレイスランド制作のきっかけとなった、南アフリカの音楽がつまったカセットテープ。そのテープをポールが今も大事に持っていることにちょっぴり感動。カセットテープ自体の、カタチの懐かしさにも感動。カセットテープを見て、自分の若かりし頃を思い出す人も多いだろう。古き良き青春の象徴って感じ。カズオ・イシグロの小説『わたしを離さないで』でも、カセットテープは「大切な思い出」の象徴として描かれていた。そして今、連載中のキン肉マン。カセットテープを武器に戦うステカセキングの約30年ぶりの再登場は、今は亡きカセットテープへの郷愁を多くの人に思い起こさせただろうと思うのだ。

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ボーナストラックは必要か?
ワーナー・ミュージックのポール・サイモン公式サイトが、2009年6月でニュースの更新が止まってる。公式なのにけしからん!と思ったら。そうだ、ポールはもうソニー・ミュージックに移籍してたんだった(笑)。

それはともかく、7月に発売された「グレイスランド25周年記念盤(CD+DVD)」。CDはリマスター&ボーナストラック付き、DVDには映画としても公開される「アンダー・アフリカン・スカイズ」を収録。掲示板の書き込みによると、ピーター・バラカン氏も絶賛のようで。
しかし私はまだ買ってない。だってもう持ってるしグレイスランド。1986年に出たLP盤も、90年代に出たCD盤も、2000年代に出たデジタルリマスター盤も持っている。

そんなにグレイスランドばっかり何枚もイランわ。
付属のDVDだけ売ってくれ。


だいたい、なんで今になって25周年? 1986年発売だから去年が25周年のはず……と、細かいことはもう言うまい。気に入らないのは、昔のアルバムにボーナストラックをつけて売ろうとする「ボーナストラック商法」の方だ。
すでにそのアルバムを持ってる人に、ボーナストラックつけてまた同じアルバムを買わせようとするのはちょっとセコい。でもそのボーナストラックを喜ぶ人もいるだろうし、私がとやかくいうことでもないのかもしれない。
でもなー。グレイスランドのような、すでに完成されているコンセプトアルバムに、ボーナストラックなんて邪魔なだけな気がする。
アルバム、特にコンセプトアルバムは、一つのテーマに基づいて構成されているわけだし。グレイスランドの場合も、11曲の音楽が互いにつながり、一つの「流れ」「物語」をつくっている。もちろんそのことはレコード会社もわかっていて、その「流れ」をさえぎらないよう、ボーナストラックはアルバムの最後に収録されている。とはいえ、すでに完結している物語に付け加えられた余計な加筆のようにも思えて、すっきりしない。

最初に発表されたオリジナル盤を持っている人なら、「これは別もの」と割り切って、純粋にボーナストラックを楽しめばいいのかもしれない。でもボーナストラックがついた記念盤で、初めて「グレイスランド」に触れる人だっているわけで。そう思うと、あの完成された世界観が、後から追加されたボーナストラックによって邪魔されないだろうかという不安が残る。つまりそれほど、オリジナルのグレイスランドは素晴らしいってことだけど。ああでも、その素晴らしさをもっと多くの人に広めるためには、こうして「25周年記念盤! ボーナストラック付き!」と宣伝するのはいいことなのかもしれない。ただでさえポールって日本じゃ地味だし……と考えると、ボーナストラック付きの記念盤もやむをえない気がしてきた(苦笑)。でも私は買わないだろなー、いくら好きだからって、同じアルバムを4枚もいりませんって(^ ^; 
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再び、アフリカの空の下で。
ポールの記念碑的アルバム「グレイスランド」の25周年を記念して、「グレイスランド」の新しいドキュメンタリーフィルムを今春リリース。というニュースが、ポールの公式サイトに載っていました。
タイトルは「Under African Skies(アンダー・アフリカン・スカイズ)」。ディレクターはジョー・バーリンガー。エミー賞とピーボディ賞の受賞経験がある、ドキュメンタリー専門の監督さんのよう。

グレイスランド関連のビデオだと「メイキング・オブ・グレイスランド」があるけど、あれとはまた別の作りなのかな。「メイキング・オブ〜」は、現在のポールがアルバムの制作過程や、それぞれの曲について解説する、という作りだったけど。今年の春に出るのは「ドキュメンタリーフィルム」だから、当時の映像がメインなのかな。ジャケット画像(ジンバブエでのコンサート風景)を見ると、どうもそんな感じですね。
……と、いうことは。当時ポールがかぶっていた、あの「阪神タイガースの帽子」も登場するかもしれないんですね? いやーこれは楽しみだ。40代の若々しいポールが見れるのも楽しみ。(って、楽しみの順位が帽子の次……)

また、ボーナストラックが追加されたアルバム「グレイスランド/25周年記念盤」も同時リリースされるそうです。これで何枚目の「グレイスランド」になるんだろう(笑)。

でもここで素朴な疑問。「グレイスランド」って、1986年リリースですよね? なので正確には去年が25周年のはず……とまあ、細かいことは置いといて(笑)。「グレイスランド」大好きな私にとっては嬉しいニュースだ。アルバムもそうだけど、コンサートフィルムも「グレイスランド・ジ・アフリカンコンサート」が一番好き。 1987年7月に南アフリカのジンバブエで行われた歴史的コンサート。ポールのコンサートフィルムは数あれど、一曲もS&Gの曲が歌われない、恐らく唯一のコンサートだと思う。アメリカでの「グレイスランド・ツアー」の際にはアンコールで「ボクサー」を歌ったそうだけど、でもその一曲のみ。南アフリカで行われたコンサートでは、ついに一曲もS&Gの曲は演奏しなかった。代わりに、ヒュー・マサケラ、ミリアム・マケバ、レディスミス・ブラック・マンバーゾなど、南アフリカ出身の音楽家たちが自曲を演奏している。

※余談だが、グレイスランド・ツアーのアンコールで「ボクサー」を歌ったのは、やはりネルソン・マンデラをイメージしてるんだろうなと思う。当時、マンデラはまだ釈放されていなかった。

で、その「グレイスランド・ツアー」が今年、復活する可能性もあるんですよね? 去年11月に、ポールが「1987年にツアーをした南アフリカの音楽家たちと、来年、再びグレイスランド・ツアーをしたい」と発言したというニュース。聞いた時には「これは女房を質に入れてでも見に行かな!」と思ったんですが、あれから続報ないですね−。公式サイトにも載ってないし。まあツアーが実現したところで、日本に来ないのは分かりきってるんですが。せめてアジアに来てくれないかな。弟夫婦がタイにいるんで、タイに来てくれるととても助かる(笑)。

いやでも一番やってほしいのは、やっぱり再び南アフリカでコンサートをすることかな。世界ツアーは難しくても、一度だけのコンサートなら、25年前に一緒に演奏した音楽家たちも集まれるはず。そのコンサートをDVDで発売してくれたら、それでもう満足です。

それにしても「グレイスランド」が25周年か。25年前(正確には26年前)、市内のレコード屋で「グレイスランド」のLP盤を手にした時のこと、今でもよく覚えてるのに。きっとレコードの帯に書かれた「S&GのS」というコピーにムッとしたから、今でもよく覚えてるんだな(^_^;  怒りや悲しみといった負の感情がからむと、記憶ってなかなか薄れないものなのですね。

「グレイスランド」25周年記念ページ
http://www.paulsimon.com/us/graceland25
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レンタル在庫に見る、ポールとS&Gの「格差」。
「サイレント・アイズ」の記事でも書いたけど、「アメリカでポールのCDを買う」という体験をしたかった私は、アメリカ旅行中に「サプライズ」を購入。もちろん日本語の歌詞対訳はついてない。そのことに気づいたのは、家に帰ってCDの封を開いてから。日本語の解説がないのは分かってて、それは別にかまわないと思ってたけど、歌詞対訳がないのは不便だなあ。ポールの歌は歌詞が大切なのに……と後悔してももう遅い。仕方なく、自分で翻訳しようとしたけれど、やっぱり無理。難解で知られるポールの歌詞を、素人が訳そうとしたって無理。

そこで日本語版の「サプライズ」をレンタルすることにした。でも街のレンタルCD屋に行っても無駄足となることはこれまでの経験で分かっているので、ネットレンタルで探してみる。すると、ツタヤのネット宅配レンタル「ツタヤ ディスカス」に「サプライズ」があった!さすがツタヤ、大手は違うね。入会日から30日間はレンタル無料というのも嬉しい。ほしいのは歌詞カードだけだし、無料期間中にレンタルして、すぐ返せばお金もかからない。
さっそく入会して、「サプライズ」を予約リストに登録した。でも1枚だけだと発送できないらしいので、DVDも何枚か登録。あとは自宅に送られてくるのを待つだけだ。

が、ここからが長かった。というのも、予約リストの「サプライズ」の欄に、亀のアイコンが出ていたからだ。なんだろと思ってクリックすると、「お届け率マーク」というものらしい。このマークが100%だと「在庫あり」ですぐに発送できるけど、亀アイコンだと「1枚在庫のため、お届けに時間がかかります」……。
レンタルCD最大手のツタヤですら、「サプライズ」の在庫はたったの1枚。さすがポール、相変わらず日本ではマイナーだなあと、妙に感心する。でもその1枚を今、他の人が借りていると思うとちょっと嬉しい。
そう、この時点では、私にもまだ余裕があったのだ。今、借りている人が返したら、次は私が借りられるだろうと考えていた。
甘かった。2週間待っても3週間待っても、亀のアイコンが消えない。発送準備が整わないのだ。

このままやと、無料期間中にレンタル→返却がでけへんやないの。(セコい)

焦ってきた私は、ネットで「どうして発送が遅れるのか」を調べてみた。そして初めて、「1位登録者数」なるものがあることを知った。つまり、そのCDを「順番待ち」している人数だ。そこで改めて「サプライズ」をクリックすると、左隅の目立たないコーナーに、「1位登録者:3人」と表示されていた。
私を含めて3人も、このCDを待っているのか! と驚いてから、ふとむなしくなった。いや、3人って……少なくない? 
在庫が1枚というのもアレだが、その1枚を3人が待っているというのも、なんだか規模が小さすぎ。最初、3人と聞いて「そんなにも!」と驚いた自分もちょっと嫌だ。いったい、どんだけポールがマイナーだと思ってるんだか。ポールに対しても失礼だよね……と思いつつ、私は心置きなくツタヤディスカスから退会したのだった。

そして退会ついでに、他のポールのアルバムの在庫も調べてみた。「サプライズ」が1枚なら、他のアルバムは在庫何枚なんだろう? と気になったからだ。
ツタヤディスカスに登録されているポールのCDは9枚。うち3枚はベスト盤で、オリジナル・アルバムは6枚。「ソー・ビューティフル・オア・ソー・ホワット」「ひとりごと」「ポール・サイモン」「ワン・トリック・ポニー」「ハーツ&ボーンズ」は登録なし。最新作の「ソー・ビューティフル〜」は仕方ないとしても、古いアルバムは「需要なし」と見て、ツタヤさんは購入しなかったようだ。うーん、試しにそれらのアルバムを借りてから、ポールのファンになる人もいると思うんだけどな。残念。

かたや、サイモン&ガーファンクルは14枚のCDが登録されている。うちオリジナル・アルバム5枚、ベスト盤6枚、ライブ盤3枚と、充実の品揃え。「若き緑の日々」とか、ちょいマイナーなベスト盤も登録されているあたり、ほぼフルラインナップといえるのでは。さすがツタヤ、需要を的確につかんでますね。

それぞれのCDの在庫枚数を見ても、S&Gと、ポールのソロとでは大きな差がある。S&Gでもっとも在庫が多いCDは「Greatest Hits」の301枚。それに対し、ポールの在庫最高は「グレイスランド」の4枚。すくなっ!
まあS&Gでも、「ブックエンド」の在庫が1枚というのはちょっとどうかと思うけど。基本的にこういうレンタル商売って、「試しに聴いてみるか」という、一見さんならぬ「一聴さん」相手なので、オリジナル・アルバムよりベスト盤の方が在庫は多いみたいですね。名盤「明日に架ける橋」も、在庫7枚しかないし。
まあポールのCDに関しては、オリジナル盤、ベスト盤の種類を問わずに、基本1〜2枚しか在庫はない訳ですが(泣)。やっぱりポールの音楽を聴こうって人は、コアなファンが多いからかな。そういう人は当然、レンタルじゃなくて購入するし。ポールは一聴さんじゃなく、コアなファンに指示されるアーティストなのだ。うん、そういうことにしとこう。
かたやS&Gは、映画やドラマの主題歌にもなるなどメジャーだから、「試しに聴いてみるか」という方も多いだろうし。そこから、「今度はポールのソロも聴いてみよう」という人が出てこないとも限らない。

そういう訳で、「サプライズ」の歌詞カード探しは座礁した。でも今日になってふと、「そうだ、もしかして図書館にあるかも」と思いつき、ネット検索したら……あった〜! 大阪市内の図書館に「サプライズ」があった。こんな身近なところにあったなんて、まさに盲点だった。亀アイコンが消えるのを、じりじりしながら待っていたあの3週間はいったいなんだったんだ。おかげで、日本におけるポールとS&Gの絶大な「格差」が分かってしまった。いや前から分かってはいたけど、まさか「301対4」だったとは。どうりで、ツタヤディスカスのサイト内の、ポールの紹介文にはS&Gのことしか書いてないわけだ。「92年に女優と再々婚した」とか、明らかに間違った情報も書いてるし。(エディ・ブリケルは女優ではありません)
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サイレント・アイズ
毎年、この時期になると思い出す情景がある。
2006年のクリスマス。フィラデルフィアの中心街は、クリスマスの広告や飾りつけで賑やかだった。ショップが並ぶ大通りを忙しく行き交う人々。その流れに沿って歩きながら、ふと横を見ると、暗闇の中からじっとこちらを見つめる瞳と目があった。――「サプライズ」。この年、発売されたポールのアルバムとの思わぬ遭遇。そこは、すでに閉店していたタワーレコードの店舗だった。(米タワーレコードはこの年の8月に倒産)
閉店セールも終わり、誰もいなくなった店内は照明も落とされていた。だが「サプライズ」を含む4つのアルバムポスターだけは、バックから照明を当てられ、暗闇の中でそこだけぽつんと明るかった。
賑わう街並みを、忙しく通り過ぎていく人々を、暗闇からじっと見つめるもの言わぬ目。
なんてポール・サイモン的なシチュエーション。私はしばしその場に立ちすくみ、その瞳と対峙していた。胸に響くBGMは、もちろん「サウンド・オブ・サイレンス」。(続いて「サイレント・アイズ」)



闇の中から雑踏を見つめる、あの赤ん坊の目はポールの視点だ。
だが「サプライズ」が発表されたとき、私はあのジャケットが「ポールのアルバムにしては」あざとく感じて、あまり好きではなかった。いかにもジャケ買いされることを狙っていそうな、目を惹き付ける写真とデザイン。実際、閉店したタワレコの店内でも、4枚のアルバムの中でひときわ目立っていた。
確かに赤ん坊の顔のアップは目立つ。でも同じアップなら、おじいちゃんになったポールの顔をアップにしてくれたらいいのに。
そんなふうに思っていたが、その年のクリスマスに偶然、街中でジャケットと遭遇したとき。あの赤ん坊の無垢な瞳は、ポールそのものなんだと気がついた。
このとき、すでに私のカバンに「サプライズ」が入っていたかどうかは覚えていない。この日、大型書店内のCDショップで「サプライズ」を買ったのは確かだが。発売から半年もたってから購入したのには訳がある。12月にアメリカに行く予定だったので、「サプライズ」はアメリカで買いたいと思い、購入をとどまっていたのだ。「アメリカのレコード屋でCDを買う」という体験がしたかった、というのもある。(そんでもって、レジの人と「あなたポール・サイモン好きなの? 私もよ」なーんて会話ができたらなー、とか(笑)。しかしそんな会話は全くなかった……)
今思うと、日本語の歌詞対訳がついてないUS盤は不便だし、別にアメリカで買う必要はなかったんじゃないかと思う。だがあの日、フィラデルフィアで出会った「もの言わぬ目」が、その日に購入したことも含めて、このアルバムへの思い出を今も特別なものにしている。
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やっぱりソロが好き
2011年ももう終わろうかというのに、今頃になって、ポールのニューアルバム「ソー・ビューティフル・オア・ソー・ホワット」を聴いている。
2009年のサイモン&ガーファンクル(以下S&G)再結成を経て、つくられたアルバムである。果たしてS&G再結成の影響はあるのか? 私は「ない」と感じたが、「ある」と感じた人もいるだろう。
人は自分の思いたいように、物事を受け止めるものだ。私はS&Gよりポールのソロの方が好きなので、このアルバムで、ポールがさらに進化していることを嬉しく思った。そしてS&G再結成は、ポールにとって「懐かしの同窓会的イベント」であり、それ以上でもそれ以下でもないことが分かって安心した。再結成まっただ中の時にも、「S&Gでニューアルバム作成」なんて話は出なかったし。あの頃の自分に、「ポールはこの後、ソロで素晴らしいアルバムを出すから、そんなにむくれることないよ」と言って安心させてやりたい。

そう、あの頃の私はむくれていた。いくつになっても、それこそアラセブになっても、新しい音楽に挑戦し続けるポールに惹かれていた。なのでS&G再結成には、正直、失望に似た気持ちを抱いていた。それまでも時おり彼らがしていたように、国内で三日間だけS&Gのコンサートをしたり、互いのライブに飛び入り参加したりするくらいならともかく。S&Gとして世界ツアーなんて、まるで「過去の栄光よもう一度」あるいは「懐かしのメロディー」みたいで、ポールらしくない。彼はそんな、懐古主義を売り物にする「ノルタルジック・アーティスト」じゃないはずだ。
むくれていた私は、再結成したS&Gのあらゆるニュースから目を背け、来日コンサートにも行かなかった。91年のソロとしての来日から、実に18年ぶりのポールの来日にもかかわらず。
だがこの18年前のコンサートでの思い出が、S&Gのコンサートに行かなかった理由の一つでもあった。91年、東京ドームで行われたポールのソロコンサートに行った私は、会場に入ってから開演まで、たびたび後ろを振り返っていた。そしてそのたびに、やるせない気持ちになっていた。なんでこんなにガラガラやの……?
日本でのポールの人気・知名度の低さを、「これでもか」とばかりに見せつけられた思いだった。コンサートの主催者も「ポールのソロでは客は呼べん」と悟ったらしく、以後、一度もソロでの来日が実現していない。恐らく今後もないだろう。
その代わり、S&Gとしての来日は実現した。そしてきっと、コンサート会場は満員だろう。私はそれが面白くなかった。それまでもずっと、日本ではポールが「S&GのS」としてしか認識されていないのが不満だった。S&Gのコンサートなら満員になるけど、ポールのソロだと半分も埋まらない。その現実を見せつけられるのが嫌だったのだ。

今、振り返ってみると、私はちょっと意固地になりすぎていたかもしれない。幼なじみでもある二人が、再び一緒に歌うくらい、広い心で許容してやれよという感じ。でもそれも、こうしてポールのニューアルバムを聴いた今だからこそ、思えること。あの頃の私は、「もしやポールはもう、ソロとしての活動をやめてしまうのでは」とちょっと不安になっていたのだ。
でも、そうじゃなかった。彼は今後も、ポール・サイモンであり続ける。そのことの嬉しさを噛みしめながら、これからじっくりニューアルバムを聴きこんでいきたい。
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ゲッティング・レディ・フォー・クリスマス・デイ
今週の私は、ポール・サイモンの「ゲッティング・レディ・フォー・クリスマス・デイ」状態。クリスマスの準備、準備、準備をしなきゃ。
月曜日には、クッキーの型を買いに街まで。
火曜日には、クッキーを焼いて。
水曜日には、焼いたクッキーにアイシング。でもプレゼントとして配るには数が足りないと思い、木曜日の今日、さらに新しくクッキーを焼いた。明日、またアイシングして完成させる予定。
……って、たかがクッキーにどんだけかかってんねーん!(笑)。アメリカ人のクリスマスの準備は、もっともっと大変なのだ。とくにお父さんは。仕事をバリバリやるのはもちろん、家族サービスもきっちりやらなきゃ、女房に愛想つかされてしまうのがアメリカの父親。端で見ていて気の毒になる……と、かつてアメリカで働いていた義理の弟が言ってました。
まあ、ポールの「ゲッティング・レディ〜」を聞いても、クリスマスを前にした父親の焦燥(?)みたいなものが伝わってくる。そして5年前、クリスマスシーズンにアメリカを旅行したときのことを思い出す。妹と一緒にスーパーに買い出しに行ったとき、アメリカ人の主婦はもちろん、お父さんも買い物に来ていて、びっしり書かれた「買い物リスト」を手に、真剣な表情で食品をカートに入れていた。冷凍の七面鳥を、二個も三個もカートに入れている人も少なくなかった。アメリカ人にとって、クリスマスは「家族で盛大にお祝いする日」。「クリスマスに向けて準備に準備を重ねている」というポールの歌詞は、決して大げさではないのだ。
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クリスマスの時期になると、アメリカのスーパーには冷凍の七面鳥が並ぶ。
(クリスマス時期以外にも売られているけど、仕入数が少ないのではと思う)


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「彼は夕飯に七面鳥を食べるだろう」

この歌には、1920年代から40年代にかけて活動したJ・M・ゲイツ牧師の説教が組み込まれている。だが、あらかじめそのことを知ってから聞かなければ、「これがゲイツ牧師の説教か」とはほとんど気づかない。それほど、ゲイツ牧師の声が違和感なく歌に溶け込んでいる。まるでゲイツ牧師がこの歌のために、バックコーラスで参加しているような臨場感。ポールのギターに合わせて、ノリノリで歌っているような。牧師であると共にゴスペル・シンガーでもあったゲイツ師が「ええ声」をしているのも、バックコーラスに聞こえる理由の一つだろう。

このゲイツ牧師、日本ではあまり馴染みがない人物で、私もこの歌で初めて知った。日本版CDのブックレット、冒頭のエルヴィス・コステロの解説だと「J・ M・ゲイツ牧師」なのに、続く天辰保文の解説では「J・M・ゲイツ神父」。どっちやねん、と思って調べたら、アメリカではpastor(牧師)と表記されていた。つまり、コステロが正しかった。(牧師と神父をごっちゃにするのは、日本人にはありがちである)
ゲイツはバプテスト派の牧師で、数多くの説教を録音した。その説教の特徴は、罪人には地獄の刑罰が待ち受けているとの、強い警告だったそう(アメリカのウィキペディアより)。

…… 驚いた。アメリカって1920年代から、説教を録音して販売していたんだ(え、驚くところが違う?)。ゴスペルをこよなく愛するポールのこと、そういう「説教レコード」にも慣れ親しんでいたと思われる。マーティン・ルーサー・キング牧師の説教を聞いても分かるように、力強い説教には、まるで音楽のようなグルーヴ感がある。

「ゲッティング・レディ〜」に収録された部分だけ読むと、ゲイツ牧師の説教は「もうすぐクリスマスだと浮かれているけど、いつ死が訪れるか分からない。永遠の生命を得ようとするなら、悔い改めよ」という主旨のように思える。この説教を歌に組み込むことで、ポールは何を訴えようとしているのか、考えてみるのは面白い。もちろん、歌詞の意味など抜きにして、ポールのギターを聞くだけでも楽しい。罪人への刑罰を警告する説教を、シリアスなメロディーではなく、ノリのいいリズムに合わせてしまうところがいかにもポール。「あのゲイツ牧師の説教を歌にしてやったぞ」的なこれ見よがしなところが全くなく、言われなければ気づかないほど。このさりげなさが、ポール・サイモンの凄さなのだ。
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