何年たっても、まだ狂ってる。
Still Crazy After All These Years (Paul Simon)
<< December 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
中国人って……
ドイツやイギリスを旅行中、すれ違いざまにイギリス人から、何度か嫌悪の表情で「チャイニーズ!」と罵られた。「イギリス人」というのがポイントである。私がこれまで行った欧米の国はイギリス、ロシア、ドイツ、アメリカ、ポーランドなどだが、すれ違いざまに「チャイニーズ!」と罵ってきたのはイギリス人だけだ。他の国の白人たちも腹の中では罵倒しているかもしれないが、口には出さなかった。もちろんイギリス人にも親切な人はたくさんいた。だが一部のイギリス人(主に若者)はガラが悪く、人種差別意識が強いというのが私の印象だ。ちなみになぜドイツを旅行中に「チャイニーズ!」と罵ってきたのがイギリス人と分かったかといえば、彼らがサッカーのイングランド代表のユニフォームを着ていたからだ。単純すぎる決めつけかもしれないが、訪れたのがワールドカップ中だったので、たぶんあれはイギリス人だと思っている。

だがこの経験には別の側面もある。一部のイギリス人がガラが悪いということと、もう一つ。アジア系の人を見れば「チャイニーズ」と勘違いするほど、中国人旅行客が多いということ。そして見かけたら思わず罵倒したくなるほどに、中国人旅行客の評判が良くないということだ。
私はそうして「チャイニーズ!」と罵られるたびに、「私は中国人ちゃうわ!」と言い返したかったが、言い返そうと振り向いた時にはもう彼らは歩き去っている。まあ、ああいうガラの悪い輩とはかかわらないのが一番なので、下手に言い返さなくて良かったかもしれないけれど。
だが今年の5月、初めて旅行で中国に行ってからは、旅先でイギリス人から「チャイニーズ!」と罵られた時の反応がこれまでとは変わるだろうと感じている。むっとすることには変わりがないが、「私は中国人ちゃうわ!」ではなく、「中国人を差別するな!」と怒るだろう。つまり私は中国旅行で、中国人が好きになってしまったのだ。

確かに以前から噂に聞いていた通り、中国人は何かと騒がしくてマナーが悪かった。外を歩いていると頻繁に「ガーッ、ペッ」という音に出くわす。もちろん日本でも、主に中年以降の男性がタンを吐く音に出くわすことがあるけれど、比較的まれだ。だが中国では本当に頻繁に、この「ガーッ、ペッ」が聞こえてくる。これをやるのは日本と同じく中年以降の男性が多いのだけれど、中国では中年女性も人前でおおっぴらに「ガーッ、ペッ」とやるのが日本との違いだ。だがさすがに若い女性は「ガーッ、ペッ」はやらない。つまり中国人の間でも、一応「人前でガーッ、ペッとやるのはみっともない」という意識はあるらしい。そういう意識はちゃんとあるのに、にもかかわらず、年を取れば男も女も「ガーッ、ペッ」とやるのが図々しいのである(笑)。

そういえば中国映画のメイキングビデオを見ていても、俳優がマイクで話しているその声にかぶさるように、「ガーッ、ペッ」という音が聞こえてくる。で、その音に俳優の声がかき消されたりして。ちょっとちょっと、今、俳優のインタビューを撮影中やねんで? 
これだと中国の映画館でも、きっとあちこちから「ガーッ、ペッ」が聞こえてきそう。「今はシリアスなシーンだから我慢しよう」とかいう意識がなさそう。

だが北京の劇場で京劇を鑑賞していた時は、「ガーッ、ペッ」は聞こえてこなかった。普通の声の大きさで喋るおっちゃんはいたけれど。周りがシーンとしているから、そのおっちゃんの声がよく聞こえること聞こえること。でも周りは誰も気にしていなかったから、きっと中国では普通のことなのだろう。

この京劇の時にも感じたけれど、中国人は基本的に声が大きい。そしてあんまり周りに気づかいしない。すぐ近くに人がいることなんかおかまいなしに、人の耳元で平気で大声を出す。故宮などの、大勢の人で混み合った観光地では特にやかましい。
だがそういったマナーの悪さややかましさなんかどうでもよくなるほどに、中国人は見ず知らずの旅行客に、おせっかいなほどにやさしかった。日本語で書かれた中国語の会話帳を指さして道を尋ねたりしたから、私が日本人ということはすぐ相手には分かったはず。それでもやさしさは変わらなかったし、特に反日感情などは感じなかった。
たとえば、私は市営パスで移動することが多かったのだが、バス停で待っていると、地方から観光に来たっぽい中国人から、バスの行き先について何度かたずねられた。そのたびに私は「すみません、私は日本人です」と拙い中国語で答えたのだが、それで嫌な顔をされることは一度もなかった。また、京劇を見る前の待ち時間、劇場前の庭で出会った若い女性は、私が日本人だと分かると、スマホの翻訳機能を使って、懸命に日本語で会話しようとしてくれた。彼女との会話から、私はこの日の京劇の主演女優が有名な人だと知ることができた。

また、郊外にある798芸術区にバスで向かうとき。芸術区行きのバスが出るバスターミナルが駅からちょっと離れているので、私はうろうろしながら、とおりすがりの初老男性に場所をたずねた。その男性はみぶりてぶりで四角い箱を作って、懸命に私に何かを伝えようとしてくれた。その時は分からなかったが、行ってみて分かった。バスターミナルは大きなビルの中にあり、道からはバスが見えないため、あそこにターミナルがあると分かりにくいのだ。
売店でおみやげを物色していたら、若い店員から「コンニチハ」と話しかけられたこともあった。帰国後、中国語のサイトで中国人と交流して分かったことだが、日本語を勉強している人もわりと多いらしい。
親日とまではいかないかもしれないけれど、中国人は見知らぬ旅行客にやさしい。これは私が中国を旅行して、もっとも印象に残ったことの一つだ。

他にも中国では、これまで他の国では味わえなかった驚きがいろいろあった。
その一つがトイレ。故宮などの有名観光地のトイレは、さすがに外国人客向けに整備されていた。といっても決してきれいではなく、公園の公衆トイレレベルだが。それでも中国のトイレ事情において、「ドアがある」というのは充分整備されていると言えるのだ。
だが外国人客があまり来ないような場所、例えば私が798芸術区に行く際に利用したバスターミナルが入っているビルなどは、トイレにドアがなかった。マクドナルドなども入っている近代的な大型ショッピングビルなのに、そのマクドナルドの隣のトイレにドアがないのである。トイレスペースに入って行くと、きちんと化粧したおしゃれな若い女性たちが和式トイレにしゃがんで用を足している姿が丸見えで、思わず入口で固まってしまった。とっさにそこから立ち去ろうかとも思ったが、私もトイレに行きたくて差し迫った状況だったので、とりあえず周りを見回した。するとたまたま、一つだけドアがついているトイレを見つけたので、そこに入った。鼻がもげるかと思うほど臭くて汚かったが、この際そんなことは言ってられない。それは贅沢というものだ。
それにしてもなぜ、一つだけドアがあるトイレが残っていたのだろう。たぶん元々、全てのトイレにドアがあったのだが、老朽化してドアが外れ、だがドアがなくても誰も不都合を感じないので、そのまま放置されているのだろう。

排泄行為に対してあまり羞恥心がないというのは、トイレ以外の事例でも感じた。
天安門広場などの観光地でも見かけたが、小さい男の子がはいているズボンの股に、あらかじめ穴があいているのだ。わざわざズボンやパンツを脱がなくても、そのまましゃがんで用を足せるように。
とはいえ、さすがに天安門広場では、そのまましゃがんで用を足している男の子はいなかった。だが街中のちょっと路地裏に行くと、母親が穴あきズボンをはいた男の子に、道ばたで用を足させているのを見かけた。
そういう光景を見るにつけ、中国は経済的にめざましい発展を続けているけれど、住んでいる人間はそう簡単には変わらない。そんな感想を抱いた。
だから中国は面白い。時期によっては空気が悪くてずっとマスク着用だったりといろいろあるけれど、おせっかいなほど面倒見のいい人たちに会いに、またぜひ訪れたいと思う。


中国人観光客が多い街、北京。故宮を見下ろせる山の展望台で、仲睦まじい中国人ファミリーを見かけた。
web拍手 by FC2
皇帝トランプと「ラストエンペラー」
 DSC_2217.jpg

今、私の手元には、歴代の中国皇帝の肖像画トランプがある。今年のGWの一ヶ月前、唐突に「そうだ中国行こう」と思い立ち、7泊8日の旅行中に買ったのがこのトランプだ。旅行中はずっと北京に滞在し、あちこちの観光地を見て回ったが、その一つ、世界遺産である天壇公園の売店でこのトランプを購入した。
中国に行った理由は、半年前のタイ旅行がきっかけともいえる。あれでアジア旅行のお気軽さを知り、次はベトナムか台湾にでも行こうかなと考えていたところ、「でもアジアならやっぱりまずは中国やん?」と思い立った。

GWの一ヶ月前に行き先を決めたので、そこから慌てて中国の歴史本などを読んで付け焼き刃の知識を身につけた。映画「ラストエンペラー」も、「とりあえず中国行くならコレは見とかな」と、出発の三日前にようやく見た。印象的だったのは、ラストシーン。最後に再登場するコオロギ、あれはやっぱり溥儀をあらわしてるんだと思う。というのも、溥儀が見守る前で守衛の子どもが筒を開けたときは、コオロギは出てこなかった。だが次に子どもが振り返ったとき、溥儀の姿がこつ然と消えていた。あれはやっぱり溥儀の「死」をあらわしているのだろう。その証拠に、溥儀が消えた次の瞬間、コオロギが筒の中からあらわれたのだ。生涯檻の中に閉じ込められ続けた溥儀は、その死によって、ようやく檻から解き放たれた。そのことを、監督はあのコオロギを通して伝えたかったのだと思う。
その後のシーン、観光客を引き連れて大和殿にやってきたガイドが「最後の皇帝は溥儀。3才で即位し、1967年に亡くなった」と説明するシーンも印象に残った。簡潔極まりない人物紹介が、かえって心にしみる。というのも観客はその溥儀の、時代に翻弄された波乱の生涯を映画を通して見てきたわけで、だがその生涯も観光ガイドの口からはたった一言、二言のそっけない説明で終わらせられてしまう。そのギャップが切なく、心に残る。

先に紹介した、中国旅行のみやげであるこのトランプも、そんな切なさを感じさせる。
秦の始皇帝から始まる歴代皇帝たちの肖像画がずらりと並ぶが、最後の溥儀のカードだけは肖像画ではなく、肖像写真だ。また、カードにはそれぞれの皇帝の略歴も肖像画の下に書かれているが、溥儀の写真に添えられた略歴も、映画でガイドが話したのと同じようなものだ。「3才で即位し、1967年に亡くなった最後の皇帝」と。
他の皇帝たちも、それぞれ簡単な略歴が肖像画の下に添えられているが、彼らも皆それぞれに、溥儀と同じようにドラマチックな人生を送ったのだろうということが、この簡潔な略歴から鮮やかに想像できる。
いや皇帝たちだけではない。歴史に名を残さなかった大多数の人たちのそれぞれの人生も、たとえ略歴はそっけなくても、その行間の向こうにその人だけのドラマチックな生涯を想像できるようになった。それが今回の中国旅行で得た、かけがえのないものの一つかもしれない。

でも買ってから分かったことだけどこのトランプ、中国の歴代皇帝が全員載ってるわけではなかったわ。

web拍手 by FC2
TweetsWind