何年たっても、まだ狂ってる。
Still Crazy After All These Years (Paul Simon)
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『忍者武芸帳 影丸伝』白土三平

図書館に置いてある漫画っていいよね。なんたってタダだし。
そんな訳で先日、久しぶりに漫画読みたいなーと思い、とりあえず有名な『カムイ伝』を借りてみた。が、イデオロギッシュすぎて、私には合わなかった……。ちなみに読んだのは一部のみ。二部はきちんと完結してないというし、読みたいという気は今のところない。

でも『カムイ伝』だけでは白戸三平は分からないと思い、次に借りたのが『忍者武芸帳 影丸伝』。これは面白かった。階級闘争というテーマは『カムイ伝』と同じようだけど、この階級闘争に全く絡まない「我が道を行く」重太郎が、主人公の一人であることが話を面白くしている。もう一人の主人公である影丸が、農民たちのために闘う自己犠牲精神あふれるヒーローなのに対し、重太郎は父の仇を討つことしか眼中にない。そのことで恋人の明美をやきもきさせ、その明美の死でようやく目が覚めたかと思ったら、今度は明美の仇討ち。最初から最後まで、清々しいほど自分の感情のみに生きている。だがこの、ある意味自己中心な生き方が、今、読むと鮮烈で、魅力的な生きざまに映った。非業の死を遂げた両親や家老たちの仇を討ちたいという思いは、いつの時代も人類共通のものだし、感情移入できる。だから重太郎は、今から約60年前に創られたキャラにも関わらず、今、読んでも古びていない。作中でイデオロギッシュな説教をかます人物が、今、読むとどことなく古びて見えるのとは対照的だ。
というかそういう登場人物って、まんま「作者の代弁をさせられてる」感じであんまり生きたキャラクターとして魅力を感じない。性格や行動も品行方正だし。まあこの作品は、そこまでイデオロギッシュではないけれど。

重太郎と甚助の対比も印象的だ。読み返すと、甚助が物語のかなり早い段階から登場していることに驚く。そしてその初登場シーンから、彼は重太郎と間違われるなどして、重太郎の「対」となる存在として描かれている。
この二人は「仇討ちに生きる男」という設定は同じだが、その性格は対照的だ。重太郎が激情型なら、甚助は(重太郎に比べると)冷静沈着な思考型。
主膳と瓜二つの光秀に対する、二人の対応の違いにそれがよく現れている。甚助は最初、光秀を主膳と勘違いして仇を討とうとしたものの、光秀に「よく顔を見てみろ」と言われると、主膳との違いを認め、詫びを言って引き下がる。
かたや重太郎は光秀から「私は主膳ではない」「落ち着け」と言われようと全く聞く耳持たずで攻撃するのみ。
活躍シーンも、重太郎が剣劇アクション中心なのに対し、甚助はアクションよりも、無風道人や影丸との対話シーンが目立つ。
とりわけ甚助と影丸の対話は、この作品の思想的クライマックスといってもいいくらいの重要シーンだ。これらの対話を通して、甚助は武士であろうと農民であろうと命は等しく尊いことを知り、自分の人生を考え直していくのだけれど、重太郎がそういう深いことを考えるシーンはあまりない(笑)。

そんな、似ているようで実は対照的な二人だからこそ、この二人がついに会合するシーンが光るのだ。重太郎は甚助と出会い、「病におかされ、命をすりへらし」ながら10年間も仇を追い続けている彼を見て、初めて客観的に自分の人生を見つめ直すのである。もし甚助と出会わなければ、重太郎は自分の仇討ち人生の虚しさに気づくことはなかったのではないだろうか。

ラストシーンの二人は、残酷なほど対照的だ。弟子を連れ、見違えるような立派な服を着た甚助に対し、さらにつぎはぎが増えたボロ服を着て、たった一人で歩き去っていく重太郎。甚助の呼びかけに応じようともしない。愛する人を守れず、仇も討てず、ただ生き延びる重太郎を「不憫でならない」と感じる人も多いようだが、同じ仇討ちものの『鬼ゆり峠』を読んでる私は、重太郎がそれほどかわいそうとは思わない。って、SM官能小説と比べる方が間違ってるか(笑)。でもいくら自分の手で仇討ちできなかったとはいえ、返り討ちにされるよりはましではないか。実際の歴史では、そうした返り討ちも多かったそうだし。

そんな訳で予想以上に面白く、本を買い揃えたくなるほど気に入った『忍者武芸帳 影丸伝』だけど、全く不満がない訳ではない。作者が前の巻のナレーションで「生死をかけた闘い」と煽っていた影丸対重太郎の闘いが、しょぼかったこととか。というか影丸逃げてばかりで闘ってないし。あのあたりは作画も荒くて、展開も急ぎ足で残念。もっとじっくりペンを進めてほしかったと感じる。

それでも買い揃えたいと思うのは、読み返すたびに新しい発見があるように思うからだ。今回も一回目に読んだ時は、重太郎をだまして伏影城を焼き落とした後は姿を消し、その後も重太郎の前には変装でしか姿を表さない影丸をズルイと感じたものだった。仇討ちにかける重太郎の必死な思いを知りながら、主膳を逃がすのも酷いし。だが読み返すと、あの時主膳を逃がして重太郎に後を追わせたのは、重太郎を他の野武士たちのように城内で焼き殺したくなかったから、とも読める。
だがあの落城について、その後、一度は影丸の口から重太郎に何らかの説明があってもよかったとは思う。ラストで重太郎に襲われたとき、影丸は「なぜうぬが!」と驚いてたけど、アンタかつて重太郎をだましたことを忘れたのかと。
そのへん、大島渚監督の映画『忍者武芸帳』は上手かった。偶然影丸を見つけた重太郎が、「なぜ城を焼き落としたのだ」と詰め寄り、それへの影丸の返答が(原作では甚助への返答)物語の肝となるように改変されていた。
映画自体も独特の味わいがあって、かっこよい。あーでもやっぱり、次はちゃんとした(?)動くアニメで見てみたい。主人公が四角い顔のオッサンというのが、なんとも斬新で良いではないか。

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「忍空」再読。私はやっぱり原作派。
つい先日ネットで「忍空が完結した」という情報を聞いた私。懐かしくなり、さっそくネカフェへと赴きました。で、とりあえずファーストステージ全六巻を一気読み。いやー、約20数年ぶりの再読だからいい感じにストーリーを忘れてて、まるで初めて読んだ時のような感動と笑いを堪能しました。やっぱり忍空はおもしれえや(忍空キャラ風)。
忍空って、ぶっちゃけ世間ではアニメの方が人気があってメジャーみたいだけど、私は断然原作派。というか、原作とアニメを同じ土俵に乗せて「どっち派?」と比べる時点でおかしいと思う。これは何も忍空に限った話ではなく、「原作がある」アニメや映画、舞台など全ての作品に言える。どんなにアニメ化や映画化が成功して「名作」の評価を得ようとも、それでも絶対的に原作の方がえらいんですよ。なんたって原作は、何もない「ゼロ」の状態から全てを創造したのだから。
ゼロから物語を創造することがいかに大変か、少しでも創作に携わったものなら分かると思う。特に忍空なんてあの独特の世界観と設定、キャラの魅力が作品の魅力の大部分を占めているといっても過言ではない。その設定とキャラだけ拝借して独自のストーリーを作れば、そりゃ面白いアニメができるわな。そう思うとなんかズルいわアニメ。
こう書くと、私が忍空のアニメを嫌ってるように思われるかもしれないけれど、決してそんなことはなく。あれはあれで完成度の高い傑作だと思うし、私も嫌いじゃない。原作とは完全に「別物」になってることについても、もともと漫画とアニメはまったく別物だと思ってるので問題ない。むしろ潔くて良い。読む人を選びそうなクセのある原作を、「見やすい絵柄とわかりやすい敵」につくりかえて、多くの人に受け入れられそうな作品にした成功例として、物語をつくる者にはとても参考になる作品だと思う。
でもいくらアニメが成功したからといって、やたら「忍空のアニメは原作を超えた」とかいう声ばかり聞こえてくるのはどうしたものか。もちろん「原作よりアニメの方が好き」と言うのは個人の趣味だし自由だ。でも「超えた」という意見には違和感を感じる。いや、そもそも原作と、それを元にしたアニメ作品は同列にはできないでしょと言いたくなるのだ。

とまあ「原作派の主張」はこれくらいにして、忍空の魅力についても書いておこう。私が思うこの作品の魅力って、やっぱり世界設定は殺伐としててシリアスなのに主役たちがギャグキャラっていう、あのギャップが絶妙。まるで「北斗の拳」のような、暴力が支配する弱肉強食の世紀末世界なのに、正義のヒーローである干支忍たちがギャグキャラ揃い。でもだからこそ、ここぞというときに活躍して敵をやっつける干支忍たちがかっこいい。普段のギャグキャラとのギャップが、よりかっこよく思わせるんだと思う。あと、ベタな勧善懲悪ものなのも安心する。やっぱり悪者は退治されなきゃすっきりしない。

先日もまたネカフェに行って、セカンドステージと「干支忍編」4巻までを読んできた。一部で「続編は面白くない」と言われていたので心配だったけど、普通に面白かったし、初めての女性の干支忍も、絵に描いたような「美人くのいち」じゃないのが忍空らしくて味があった。これがもしアニメの方の忍空だったら、女性の干支忍はもっと美人に描かれるんだろうけれど、そういう「お約束」を裏切ってくれるのがこの作者らしい。一応、干支忍12人が全て揃ったところで完結したらしいけれど、もし続編が描かれることがあったらまた続きを読んでみたい。よく考えると、私が「続きを読みたい」と思う漫画なんて忍空くらいかも。好きな漫画は幾つかあるけど、そのどれもがきっちり完結してるから今さら「続きを描いてほしい」とは思わないし。でも忍空には「これからもっと面白くなりそう」という期待感がある。初めて読んだ20数年前からずっと。


追伸:いつも拍手ありがとうございます!10月13日に、ダッフルコートの記事に返信不要でコメントくださった方もありがとうございます。いつか理想のダッフルコートに出会えますように。
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だって少年漫画だもん。
ずっと恐れていたことが、とうとう現実になってしまった。スプリングマンが死んだとたん、キン肉マンを読むモチベーションがガクンと落ちてしまったのだ。

まあそうは言っても、今後もキン肉マンは読み続けるけれど。でもこれまでのように、日曜深夜の午前0時になるのをワクワクして待ち、更新と同時に「読む」ボタンをクリックする、ということはなくなるだろうな。「スプリングマンがもういない」初めての回である今週の話を読みながら、ひしひしと「もういない」寂しさを実感してしまったから。これまでさんざん「スプリングマンのキャラ変わっとるやん」と文句を言っていたくせに、いざいなくなると、心にぽっかりと大きな穴が空いたような喪失感が。
もう試合はしなくてもいいから、生き残ってほしかったな。でもあそこで死んでこそ華、という気もする。特に先週は完全に「主役」としての大活躍で、あれ以上を望むのは贅沢というものだろう。

これまで抱いていた「こんな熱血キャラはスプリングマンとちがう」という違和感も、先週の話を読んで吹っ切れた。ああいう熱血キャラにならないと、主人公級の活躍はできなかったと分かったからだ。だって少年漫画だもん、キン肉マンは。それも昔ながらの、「友情・努力・勝利」を貫く王道派少年漫画。作者のゆでたまごも、変にひねったりしない、ストレートに熱い展開の時がもっとも筆が冴える気がする。
それでも私はやっぱり、昔のクールでクレバーなスプリングマンの方が好きだけれど。でもあのクールなキャラのままだったら、今回のような大活躍はできなかっただろう。少なくとも、キン肉マンという漫画では。

「あれ?」と思ったのは、仲間達の闘いを観戦していたときはあれだけ「あのお方のために」を連発し、仲間が死ぬとサタニック・サインを繰り出していたスプリングマンが、自分の闘いのときはひとことも「あのお方のために」とは言わず、死ぬ間際にもサタニック・サインをしなかったこと。むしろ「あのお方」ではなく、全力でステカセのために闘っていた。……これはスプリングマンの心境が変化したというよりも、作者が「あのお方」うんぬんの設定を忘れ……(笑)いやいや、その設定を後回しにするほど、「ステカセの仇討ち」としての闘いを描きたかったからだと思う。
嬉しかったのは、前回タッグを組んだ時には、スプリングマンが殺されたときもずっと平然としていて、笑みすら浮かべていたバッファローマンが。今回はスプリングマンの死にとてもショックを受けていたことだ。これも、「悪魔超人」としては前回の反応の方が自然な気がするっちゃするけど、それでも私は嬉しかった。

確認してみると、スプリングマンの再登場を喜んでる記事が2012年2月21日。なのでほぼ約一年間、スプリングマンに楽しませてもらったことになる。MacBook Airを衝動買いしたのも、「キン肉マンのweb連載を読みたい」というのが主な理由だったし。買った時には、メインマシンにはこれからもG5を使う予定だったけれど、起動と処理の早さから、今やすっかりAirがメインマシンになっている。もしキン肉マンにスプリングマンが登場しなければ、恐らくAirを買う事はなかっただろう。だから今の快適なMacライフを私に与えてくれたのは、ある意味「スプリングマンのおかげ」と言ってもいい。

いくら感動的な死を遂げようとも、しばらくたつと何事もなかったかのように生き返るのがキン肉マンの世界だけれど、それでも胸にぐっと迫る「別れ」を魅せてくれたスプリングマン。一年間ありがとさん。

以上、もしかしたら最後のキン肉マンの感想になるかもしれない「第53話 命を賭した敵討ち!!の巻」及び「第54話 “完幻”の闘牛士!! の巻」の感想でした。
※毎話更新にあらず。書きたいネタがあった話のときだけ感想を書いています。
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漫画は「絵」だねェ。
もはや昔とは完全に別キャラと化したスプリングマン。ターボメンがアースクラッシュでパワーを送り込んでくることは、「ステカセキング戦を見てるから百も承知さ!」ときたときには「おお、ようやくスプリングマンの頭脳派としての一面が見れる! アースクラッシュも対策ずみとは!」とときめいた。だが実はその「対策」は、ターボメンから送り込まれるパワーで破壊される前に、“螺旋旋解体縛り”でパラパラにしてしまおうという、なんとも根性論的な対策だった……。
いや、ちがうやろそこは! スプリングマンならそんな泥臭い耐久合戦じゃなく、もっとアタマを使ってターボメンを翻弄しなくちゃ!とツッコんだりもしたけれど、こういう熱いスプリングマンも、これはこれで悪くない。そう思えるのは、なんといってもゆでたまご先生の「画」の魅力に尽きる。“螺旋旋解体縛り”でターボメンを締め付けている画の迫力といったら!「こんな熱血漢はスプリングマンとちゃう」とか「ここまでキャラが変わってしまうと、果たして再登場は本当に良かったのかどうか疑問になってくる」とかさんざんぶーたれてきたけれど、撤回します。デビルトムボーイから“螺旋旋解体縛り”へと続くあのシーンを今のゆで先生の画力で見れただけで、「スプリングマンが再登場してよかった」と素直に思った。

極めつけは、「どうしたーっ スプリングマンが微動だにしなくなったぞーっ!」というコマ。
動から静への一瞬の転換。それまで鳴り響いていた「ビバババ」という締め付け音がピタリと止み、実況アナの声だけが響く。そして背景には青空。
参った。参りました。
これぞ漫画ですよ。これぞ勝負の残酷さ。そしてその残酷さゆえのドラマですよ。
敵をあと一歩というところまで追いつめながら、最後の一秒で反撃され、形勢が逆転する。そしてジ・エンド……とはならないところもやはり漫画だ。現実の勝負ならここでスプリングマン敗北だろうけど、もはや完全に少年漫画の熱血ヒーローと化したスプリングマンはこのままでは終わらない(笑)。いやはや、「百も承知さ!」という口調にもスプリングマンらしくなさを感じたけれど、最後の「刀折れ矢尽きるとも、“あきらめない心”がある限りオレは闘い続ける!」がもうサイコーに「らしくない」。でもこれも、画の圧倒的迫力に押し切られて受け入れてしまう。いやーやっぱり漫画は「絵」だねェ。(野田大元帥風に)
たとえ少々強引なストーリーでも、絵に魅力があればそれで充分。かつてのスプリングマンとは別キャラだと割り切りつつ、私は今回、久しぶりに感動しました。

惜しむらくはただ一つ。「ターボメン脱出ーっ!」のコマの後に「ああ…」と嘆いているのがミート君であること。なんでミートやねん。ここはやはりモンゴルマン、もといラーメンマンを出すべき。そして解説させるべき。それが無理なら、せめてキン肉マンとかさ。とにかくあのシーンのミートの「場違い感」がすごい。

以上、「キン肉マン 第52話 スプリングマン、意地の必殺技!! の巻」の感想でした。
※毎話更新にあらず。書きたいネタがあった話のときだけ感想を書いています。
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スプリングマン、おまえもか。
ようやくスプリングマンの闘いが読める!とワクワクしてWEB連載のページにアクセスしたら、そこにいたのはかつてのスプリングマンとは全く違う、なんかやたらと暑苦しい熱血マンであった……。

あかん。約30年ぶりにスプリングマンの闘いが読めるだけで感謝すべきなんだろうけど、あそこまで別キャラになってしまうとテンションだだ下がりや。去年2月にスプリングマンが登場してからというもの、ずっと続いていたワクワク感が急にショボーンとしぼんでしまった。
あのね、スプリングマンは感情むき出しにして「グオオオーッ」とか言っちゃいけないと思うの。常に「きょとん」とした無表情で、クールで飄々としてるのがカッコかわいかったのに。「ケケーッ」と笑いながら(でも無表情)、その外見からは想像もつかない残虐な技を決める。そのギャップが魅力的だったのに。同じく飄々としたところが魅力的だったアトランティスが、ロビンとの闘いを誇りに思っていた熱血漢に改変されたときにもがっかりしたけれど、スプリングマンまで同じような熱血漢にされてしまった。まあ、漫画の展開に応じてキャラの性格がコロコロ変わるのがキン肉マンではあるけれど。でもスプリングマンのような、かわいい外見とは裏腹のクールな性格が魅力だったキャラが、その他大勢と同じような人情派の熱血キャラにされるのは、そのキャラならではの個性をなくしてしまったようで残念だ。

昔のスプリングマンに特に思い入れのない人なら、今の熱血化したスプリングマンも受け入れられるのかもしれない。だが昔のスプリングマンが好きだった自分にとっては、今のスプリングマンには違和感しかない。
去年2月にスプリングマンが再登場した時は、「昔みたいにかわいくない」とそのゴツくなった外見にぶーたれつつも喜んだものだけれど。ここまでキャラが変わってしまうと、果たして再登場は本当に良かったのかどうか疑問になってくる。あのまま、悪魔超人編一回きりの出番で終わってた方が良かったのかも。こないだカッコよく散っていったジャック・チーにしたって、この先もう二度と再登場しない方が、そのキャライメージを保つ意味ではいいかもしれない。
「漫画の展開に応じてキャラの性格がコロコロ変わる」といえば、ターボメンもそうだ。ステカセ戦のときはクールだった彼が、やたらと相手を挑発するおしゃべりキャラに変わっていた。(と思ったけど、もう一度読むとあれは、「怒りのパワー」とやらを吸い込むためにわざと敵を挑発してるっぽい。つまり計画的)

とかなんとか不満をたれつつも、最後、「スプリングサイクロン」なる新技が見れたときは素直に嬉しかった(笑)。ちょろいなー私。こうなったらもう、今、闘っているスプリングマンはかつて好きだったスプリングマンとは別人ならぬ「別超人」だと割り切って楽しもう。うん。

以上、「キン肉マン 第49話 悪魔最強タッグ、“ディアボロス”再び!! の巻」の感想でした。
※毎話更新にあらず。書きたいネタがあった話のときだけ感想を書いています。
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「試合に負けて勝負に勝った」ジャック・チー。
まず始めに、作者に謝らなくては。前の記事で「ペンタゴン乱入でジャック・チーが負けるのは仕方ないとしても、2対1の闘いを正当化するために、実はジャック・チーも『二人の超人が合体していた』みたいなオチはやめてほしい。そういう、 とってつけたような卑怯なキャラ設定はフェニックスだけで充分」と書いた。でもそんな心配は無用だった。ジャック・チーは最後まで完璧超人らしく、正々堂々と闘って散っていった。作者はちゃんと、各超人の属性を描き分けるつもりだったんですね。つまり悪魔超人は悪魔超人らしく、完璧超人は完璧超人らしく。まあ確かにブラックホールが二連勝とか、ちょっと優遇されすぎてる感じはあるけど(笑)。でも今回、作者が意図したかどうかは分からないけど、助っ人のペンタゴンに「勝たせてもらった」ブラックホールが、ジャック・チーの自害を許さず、自分で始末しようとしたシーンはゲスかった。「汚い手で勝ったオマエに、相手の最後の“誇り”まで奪う権利はあるのか?」とツッコミたくなるような。でもそのゲスさが、かえって悪魔超人らしくてとても良い。だってこのシリーズの悪魔超人ってみんな正々堂々としてて、「どこが悪魔超人?」って感じだったもの。なのでブラックホールは二連勝と引き換えに、ジャック・チーの「自害阻止未遂」のカッコわるさで地味に株を落とした印象だけど、かえって悪魔超人らしさが良く表現されていて、このシリーズのコンセプトをより印象づけていたと思う。
ジャック・チーも、散り際の潔さも含めて最後まで完璧超人らしいキャラクターで、無双したペンタゴンよりも深く印象に残った。ひいき目かもしれないけど、「試合に負けて勝負に勝った」感じ。「ではさらばだ。下等超人の諸君!」と言い残すシーンなんか、昔懐かしアニメの美形キャラって感じ(笑)。(今はどうか分からないけど、昔は美形キャラって、主人公に敵対する美形の悪役をさした言葉だったと思う)

煽り文を信用すると、次からはいよいよスプリングマンの闘いにカメラが移る? 勝てとは言わない。「らしい」ファイトを魅せてくれたら、別に死んでもかまわないと思っている私ってヒドいわ(笑)。だって下手に勝って生き残るより、ジャック・チーのように潔く散った方がより心に残ると、今回の話を読んで思ったもん。それにさすがに完璧超人負け過ぎっていうのもあるし。あーでも、バッファローマンとのタッグも見たいんだよなー、悩ましい。

以上、「キン肉マン 第47話 疾風怒濤の空中殺法!の巻」の感想でした。
※毎話更新にあらず。書きたいネタがあった話のときだけ感想を書いています。

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主役を立たせる「犠牲のシステム」は必要か。
今、連載しているジャック・チー対ブラックホール戦で、ジャック・チーを応援している読者って、日本中でいったい何人いるんだろう。たぶん全体の1割にも満たないかもしれない。それくらい、闘いの描写が「ブラックホールを応援したくなる」ように描かれている。ジャック・チーは強いけれども根性が性悪で、連戦でボロボロのブラックホールを、猫が獲物をもてあそぶように痛めつける。こういう風に、主人公側のキャラ(この場合はブラックホール)を魅力的に立たせるために、敵を徹底して「嫌なヤツ」に描くところが、私がキン肉マンで唯一「なんだかなあ」と思う点だったりする。王位争奪編でも、初登場の頃は大物感があったフェニックスが、準決勝ではアタルを立たせるために、とたんに卑怯で小物感たっぷりのキャラに変貌してしまったのには驚いた。と同時にげんなりして、それ以降読むのをやめてしまった経験がある。

敵も主役も両方とも魅力的で、主役を応援している読者とほぼ同じくらい、敵を応援している読者もいる。そういう闘いが読みたいんだけど、贅沢なんだろうなあ。今のような「ね? 誰でもブラックホールを応援したくなっちゃうでしょ?」というのが見え見えの描写だと私はかえってしらけてしまい、むしろジャック・チーの方を応援したくなってしまう。つまりひねくれてるんですね(笑)。
でもそういうのをナシにしても、今の闘いが始まる前から、ジャック・チーはなんだか惹かれる超人だった。金属的なイロモノ超人ってことで、スプリングマンと共通する魅力がある。デザインも、それぞれのパーツがちゃんと実用的で、その実用性を追求した結果、ああいうデザインになったという説得力がある。つまり機能美。こんなに機能美あふれる超人ってキン肉マンでも珍しいんじゃないだろうか。それだけに、ブラックホールを立たせるための犠牲のような「嫌なヤツ」設定が惜しい。あーでも、そうやって「いかにも悪役らしい悪役」にすることで、作者はジャック・チーの魅力を引き立たせようとしているのかもしれない。私もあんまり「犠牲」とかひねくれた読み方をしないで、もっと純粋に漫画を楽しんだ方がいいのかも。
願わくば、ペンタゴン乱入でジャック・チーが負けるのは仕方ないとしても、2対1の闘いを正当化するために、実はジャック・チーも「二人の超人が合体していた」みたいなオチはやめてほしい。そういう、とってつけたような卑怯なキャラ設定はフェニックスだけで充分。最後まで完璧超人らしく、正々堂々と闘ってほしい。

そしてまだ実現すると決まった訳ではないけれど、たぶん次回から登場するであろうペンタゴン。そして四次元殺法コンビ。私もこのコンビは好きだけど、今のような華々しい主役扱いにはどうも「コレジャナイ」感が……。夢の超人タッグ編のような役割だったからこそ、あのコンビが今のようなカルト人気を博したのではと思えるわけで。まあでも、あのコンビのスピンオフと思って、気楽に楽しめばいいのでしょう。あんまり余計なことを考えながら読むと、この漫画本来の楽しさを見失ってしまうだろうから。
キン肉マンの「ブラックホールは連戦なんだから、卑怯なのは完璧超人のほう」というむちゃくちゃな物言いも、最初に読んだときは呆れたけれど、今では「まあ、キン肉マンだし(笑)」と気にならなくなりました。あまりにも「突っ込み待ち」の発言すぎて、かえって清々しい。清々しいといえば、スプリングマンの「何をやっても最終的に勝てばいい」も、いかにも悪魔らしくて清々しい。でもあれは悪魔超人が言うからカッコいいのであって、正義超人のキン肉マンたちが擁護するのは余計というか、あんたは引っ込んでてって感じ。(いや、だからこの漫画の主役はキン肉マンだっての)

それにしても「素晴らしいぞブラックホール!」という激励が聞こえたときは、てっきりバッファローマンかと思ったのに。ページをめくるとスプリングマンだったのは、まさに嬉しい驚きでした。本当はリーダーのバッファローマンが真っ先に激励するのが自然なんだろうけど、あえてそうさせなかったのは、やっぱりスプリングマンの方が「悪魔超人ひとすじ」だからかな。なんかあんまり激励とかして「熱いキャラ」になられると、スプリングマン本来の軽妙な魅力が薄れるような気がしないでもないけれど(笑)。でもそうやっていつまでも昔のイメージにしがみつかないで、今の新しいスプリングマンの魅力を楽しめってことですね。実際、次の週が待ち遠しくて、深夜0時に更新されると同時に読んでしまうくらい楽しんでるし。もし、スプリングマンが死んでもう出てこなくなったとしても、たぶん連載は読み続けるでしょう。……こうやって感想を書くかどうかはともかくとして。

以上、「キン肉マン 第45話 闘いに美学は要らない!? の巻」の感想でした。
※毎話更新にあらず。書きたいネタがあった話のときだけ感想を書いています。
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スプリングマン改め、トランポリンマン?
だめだ。約30年ぶりのスプリングマンの試合だっていうのに、まともにページを直視できない。怖いんじゃない、ありがたすぎるのだ。まさかもう一度、スプリングマンの新たな試合を読むことができるとは。ありがたすぎて、マジでmacの画面から後光が差してる(笑)。まぶしくてまともに漫画が読めません。この感動をいっぺんに味わうのが惜しいという気持ちもある。まあそのうち慣れて、普通に読めるようになるでしょう。

しかし前回は「この流れでこの強そうな相手……アカン、負ける……」とテンション下がっちゃったけど、今朝の更新を見てそんなことはどーでもよくなった。勝敗より何より、スプリングマンのファイトが再び読めることが何より嬉しい。もう一度そのファイトが読めるってだけでも奇跡的なのに、勝利まで望むのは贅沢ってもんだ。そりゃもちろん、ここまで試合を引っ張ったからには勝ってほしいけど。でも「序盤から押してるこの展開だと、格闘漫画のセオリー的に後半、逆転されて負けそう……」とか、「あの足の傷が原因で負けるんじゃ……」とか、そんな野暮なことをうだうだ気にして読むのはもったいない。勝敗なんか後回しにして、せっかくのスプリングマンのファイトを楽しまなきゃソン。
もどかしいのは、対戦相手のグリムリパーもかなり好きな超人だってことだ。だからスプリングマンだけ一方的に応援できない。どっちも互いの持ち味を出し切る、いい試合になってほしいなあ。
それにしても、スプリングマンがグリムにかつがれてるコマがおもしろかわいい(笑)。そしてバウンバウンと跳ねながら闘う姿に、「グレイスランド」に出てくる「人間トランポリン」という歌詞が頭をよぎった。

スプリングマンの後にはBHも登場して、これで自動的にウォーズマンの対戦相手も決定。ようやく全対戦カードが決まったわけだけど、それに対する各超人ファンの悲喜こもごもが、ネットの掲示板などで繰り広げられてますね。それもまた、ネット時代に連載漫画を読む楽しみの一つなんだろうけど、時たまふっと「なんか窮屈な読み方してるなあ」と思うことも。ひいきの超人を勝たせたいあまり、仲間である他の超人の負けを願ったり、毒づいたりとか。「○○が勝つと正義超人の勝ち星が多くなりすぎて、勝敗のバランス的に▲▲が負ける。だから○○負けろ」とか。
リアルの試合ならともかく、漫画ですよ? 漫画家のさじ加減一つでどうとでもなる世界なのに、そこまでギスギスしなくても。もっと気楽に楽しんだ方が……と偉そうな上から目線をかましつつ、はたと気づいた。自分だって、スプリングマンよりBHの試合が先になったのを見て「これでスプリングマンにもちょっとだけ勝ちの目が出てきた」とほっとしてたことに。「漫画だし」と気楽に読んでたはずだけど、やっぱり好きな超人には勝ってもらいたいのがファン心理。まあでも一番可能性が高いのは、前回も書いたように、スプリングマンとBHが連敗して、ただひとり残ったバッファローマンが奮闘するって展開なんですが(汗)。でも今朝の更新を読んで、負けてもいいやと開き直った。スプリングマンの活躍が読めれば、もうそれで満足。そして、その活躍をリアルタイムで読めることにも感動。今日ほど、MacBook Airを買って良かったと思ったことはない。

以上、「キン肉マン 第43話 悪魔のショータイム!! の巻」の感想でした。
※毎話更新にあらず。書きたいネタがあった話のときだけ感想を書いています。

以下「続きを読む」に拍手への返信です。
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たまにはイロモノが勝ってもいいじゃない。
やっぱりスプリングマンのような「イロモノ」は、あの漫画では勝ち残ってはいけない運命なのだろうか……。セカンドステージ、勝ち残った傷だらけの超人たちの中になぜかコミカルなスプリングマンが混じっていて、かっこいい絵ズラをぶちこわすという展開を期待していたのだけれど。見た目がサマになる人間型超人ばかり勝つんじゃなくて、たまにはチープなオモチャ型超人が勝ってもいいんとちゃうん? とは思うけど、むしろ今までが恵まれすぎていたのかもしれない。
かすかな望みがあるとすれば、それはバッファローマンのすぐ下の階のリングだということ。彼と何しらの絡みがあるのは予想できるし、うまくいけば彼とタッグを組む展開になって、そうすればスプリングマンにもちょっとばかし勝ち目が出てくるかもしれない。

とはいえ一番可能性が高いのは、他の多くのファンも予想しているように、バッファローマンが悪魔超人軍でただひとり勝ち残るという展開。散っていった仲間たちの思いを背負って、悪魔超人の意地を見せるストーリーだ。しかしぶっちゃけ、長いこと正義超人に寝返っていて、ついこないだ悪魔超人に出戻ってきた男に「悪魔の意地」とやらを見せられても、なんだかなーという感じ。ちゃっかりおいしいとこだけさらっていく展開はすっきりしないし、その男から「悪魔の誇り」みたいなものを語られてもうさん臭いというか、その言動に重みがない。やっぱりずっと悪魔超人を貫いてきたスプリングマンやBH(この方はずっと悪魔だったか微妙ではあるが)に、悪魔の意地を見せてもらいたい。その方が読者としても納得する。するんだけれど、キャラクターの「格」的に、やっぱりバッファローマンが「悪魔超人代表」として生き残るんだろうなあ。

しかし正義超人の試合中はまったく感想を書かなかったくせに、スプリングマンが登場するや否や感想を書き出す私ってなんて分かりやすいの(笑)。前の更新が8月27日だから、約二ヶ月間、スプリングマンに出番がなかったことになるのか。その間に二試合が行われているから、一試合描くのにだいたい一ヶ月。できればスプリングマンの試合も、正義超人の試合と同じくらいの期間と気合いをかけて描いてもらいたいものだ。同じ負けるにしても、それなりに「オオッ」というような見せ場を作ってもらいたいのだけれど、さてどうなるか。

以上、「キン肉マン 第42話 高潔なる拳法家の信念!! の巻」の感想でした。
※毎話更新にあらず。書きたいネタがあった話のときだけ感想を書いています。
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「新しいにほんご」誕生の瞬間を見た。
やっぱりこの漫画は、超人の命がメレンゲより軽い。スプリングマンの「俺はラーメンマンに一度殺されてるんだ」というセリフもたいがいだが、その後のロビンマスクの「機会があれば私もアトランティスと再戦してみたいと思ったほどだ」というセリフ。一瞬しんみりしちゃうけど、ちょっと待って。アトランティスはもう死んでるはず。なので普通なら「再戦してみたかった」になるはずでは。「再戦してみたい」って、まるで「どーせアトランティスもこの後すぐ生き返るんでしょ?」というのを前提に喋っているようでなんだかおかしい。
「真っ先に殺し返してやりたい」というのもすごいセリフで、これまで見なかった日本語表現だ。たぶんこの漫画でしかお目にかかれない。

しかし前回の感想で「キャラ同士のやりとりや人間関係をほとんど描かないところがさすがキン肉マン」と書いたばかりなのに。今回はそのやりとりが豊富に盛り込まれていたのが意外だった。まさかスプリングマンとラーメンマンが、過去の対戦のことで絡むとは! これは本当に嬉しい誤算。何が嬉しいかって、こうやって絡んで因縁を作ることで、まるでスプリングマンがラーメンマンと対等かのように錯覚できるのが嬉しい(笑)。
モンゴルマンの正体がラーメンマンだってこと、知ってたんだねスプリングマン。超人墓場で浮かんでいたとき、あるいはそこから生還して悪魔超人のアジトで修業してたときに、テレビで正義超人たちの戦いを見ていたのかも。

そしてやっぱり、このシリーズのスプリングマンは本当に表情が豊かだ。前にも書いたけれど、旧シリーズより頭身が伸びて、体型的にはかわいくなくなってるスプリングマンがなぜかかわいく見えるのは、旧シリーズより表情が豊かなことが大きい。今回、またも新しい表情を見せてくれた。いつも吊り上がっているスプリングマンの目が、今回初めて「ほろっ」となったのは新鮮で、効果抜群。「あ、こいつ今ほだされたな」というのがひと目で分かるもん(笑)。そのすぐ次のコマでは再び目を吊り上げているのが、いかにもツンデレっぽくて分かりやすい。やっぱり漫画は分かりやすくないと。だから今のキン肉マンは面白いのだ。
そしてこんなにキャラ同士のやりとりが豊富だったのにもかかわらず、相変わらず正義超人の誰も、バッファローマンの寝返りに突っ込まないのもいい。

それにしても「正義&悪魔」の7人が揃った絵を見ると、一人だけ人間タイプではないスプリングマンの場違い感が半端ない。イロモノ超人は不遇なことの多いこの漫画で、ただ一人主人公側で頑張っているスプリングマンをますます応援したくなる。「イロモノ超人は勝ち残れない」というジンクス(?)をくつがえしてほしい。危ないところをラーメンマンに助けられて、ラーメンマンに「この大戦後に、再び戦いたいと言っただろう?」とか言われて、さらに正義超人に心よろめくスプリングマンとかいう展開来ないかな(笑)。ラーメンマンといえば、危ないところを救うメシヤですし。そしてラーメンマンが乱入したことで、なし崩し的にタッグ戦になったりするともっと嬉しい。ラーメンマンとスプリングマンのタッグって、なんだかとってもハマりそうな気がするし……と、妄想はつきないのであった。

以上、「キン肉マン 第34話 決戦の階段ピラミッド!!の巻」の感想でした。
※毎話更新にあらず。書きたいネタがあった話のときだけ感想を書いています。
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