何年たっても、まだ狂ってる。
Still Crazy After All These Years (Paul Simon)
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教会に行く・5年ごしのリベンジ編〈3〉
ヨーロッパの教会というと、荘厳なステンドグラスや、立ち並ぶ聖人像をイメージする人も多いと思うが、それは歴史あるカトリック教会のイメージ。ドイツではケルン大聖堂のような、観光名所になっている教会に多いので、「教会=ステンドグラス」のイメージが強いのだろう。
近年になって建てられた、または改装されたプロテスタント教会は、装飾を省いたシンプルなデザインが多い。この教会の礼拝堂も、白壁に木の組み合わせが清々しい、シンプルな内観だった。高い天井と、正面の十字架を見ると教会だと分かるけれど、それ以外はまるで北欧風の住宅にいるようなぬくもりがある。
驚いたのは、壁にずらっと絵が飾られていたことだ。プロテスタントでは「絵や彫刻=偶像崇拝」との考えから、教会内にはそういったものを――たとえ聖画であっても――飾らないところが多いので。
私は興味をひかれて、それらの絵を見て回った。そしてさらにびっくり。それらの絵は聖画ですらなく、レヴァークーゼン出身の画家が描いた抽象画だった。後で教会の季刊誌を読んで分かったことだが、ちょうど地元の美術館でこの画家の展覧会をしているので、その告知も兼ねていたらしい。つまり常に、壁に絵が飾られている訳ではないってことか。私は礼拝が始まるまでの間、それらの絵を鑑賞できてラッキー♪な気持ちもあったけれど、「いくら期間限定とはいえ、礼拝堂の壁をギャラリーにするなんて」と眉をひそめる人もいるだろう。

会堂内では写真を撮らなかったので、教会の玄関で売られていたポストカードで内部を紹介。


季刊誌の表紙


季刊誌の中身。この画家の絵が壁にずらっと飾られていた。

書き遅れたが、私が礼拝堂に入ってすぐに、この教会の責任者のような男性が私に気づき、挨拶してきた。私が「日本から来た旅行者で、クリスチャンなので出席したい」と言うと、笑顔でうなずいてくれた。念のため「この教会はプロテスタントですか」と聞くと「そうです」とも。このときは、この人がここの牧師さんなのかと思ったが、そうではなかった。
また、礼拝堂の片隅には丸テーブルと椅子が並べられ、コーヒーカップとお菓子が用意されていた。礼拝後、残ってお茶をしたい人はここに座って、コーヒーブレイクを楽しむのだろうか。

壁の絵もひととおり見終わり、椅子に座って礼拝開始を待ちながら、受付で手渡された聖書をめくった。だが中身をみてみると、どうやら聖書ではなく、この教会の宗派独特の、礼拝用の書物のようだった。プロテスタントも細かく宗派が分かれているので、こういうことは珍しくない。
そうこうしているうちに、次々に礼拝堂に人が入ってきた。皆、目当ての席に移動してもすぐ座らず、立ったまま頭を垂れて短く祈り、それから座っていた。こうして無事に教会に来れたことへの、感謝の祈りだろう。そういえばアメリカやイギリスの教会でも、座る前に短く祈りを捧げている人が多かった。
10月という時期もあって、会堂内には暖房が入っておらず、ひんやりしていた。なのでコートを着たまま、席についている人がほとんどだった。参加者層は、上品そうな中高年が多いのは他国の教会と同じだが、ティーンエイジャーっぽい女性も何人かいた。

やがてオルガンの前奏が始まり、牧師が教壇に上がった。まだ若く、ほっそりとした体型の男性で、眼鏡をかけたその風貌はどこかの研究者のようなインテリ風だ。
牧師が聖句を読み上げ、続いて会衆(礼拝の出席者のこと)が声を合わせて聖句を読み上げる「聖書交読」が始まった。交読とは、司会者と会衆が一節づつ交互に読んでいくことをいう。今日の交読文は週報に載っているので、私もそれを見ながら懸命に皆と声を合わせた。
それにしてもドイツ語で読みあげられる聖句の、なんと美しいことか。(また牧師さんが「ええ声」なのである) アメリカやイギリスの礼拝に出たときも、英語で読まれる聖句の美しさに感動したが、ドイツ語はそれ以上だ。なんとなく、英語よりキレがいいというか、言葉の発しかたにメリハリがある。もちろん何を言っているかは分からないのだが、だからこそ、まるで音楽を聞くように、うっとりと聞き惚れてしまう。
ドイツ語で読まれる聖句の響きを堪能できただけでも、ここに来た甲斐があった……と幸せ気分にひたっていると、さらに嬉しいサービスがあった。交読が終わり、牧師が二階の桟敷席を指さしたのだ。周りの者もその方向を見上げたので、私も見ると、そこには聖歌隊がいるらしかった。「らしかった」というのは、はっきりとその姿が見えた訳ではないので。だがその後、牧師が聖句を読み上げるごとに、頭上から美しいハーモニーが流れてきた。その歌声はまるで天使のよう……そして私には子守歌のよう。そうなのだ、このあたりから睡魔がじわじわ襲ってきたのだ。昨夜はたっぷり眠ったはずなのに、なんで? たぶん、たまっていた旅行の疲れが、教会という「ほっとできる場所」に落ち着いたことで、急にときほぐされたのだと思う。さらに加えて、牧師の話す言葉がドイツ語である(当たり前だ)。これまで出席した海外の教会は、いずれも英語の礼拝だった。なので牧師の説教もなんとなく意味は読み取れたのだが、ドイツ語はさーっぱり分からない。聖歌隊の歌が終わり、牧師の説教が始まると、さらに睡魔がピークになった。前述したように、牧師が「ええ声」で、ドイツ語の響きが美しければ美しいほど、音楽のように耳に心地よくひびき、ついウトウト。そのたびにはっと目を開いて、自分にカツを入れた。5年ごしのリベンジなのに、礼拝中に眠ってたまるか!
しかしその努力もむなしく、いつしかぐっすり熟睡の海へ。はっと気づいたときには、説教はもう終わっており、聖歌隊の歌声が響いていた。……なんだか、自分に負けた気分。でも礼拝後まで眠りこけて、他の人に起こされるよりはまだマシか。思えば私は昔から、礼拝中に眠ってしまうことが多かった。今回は礼拝が終わる直前に、自力で目覚められたのだから、私にしてはよくやった方だ……などと心の中で自分を慰めているうちに、礼拝が終わった。席を立ち、そのまま出口へと向かう人、または礼拝堂に残って牧師や、ほかの出席者とお喋りする人などさまざまだ。私もドイツ語が達者だったら牧師と話してみたかったが、残念ながらそれはかなわないので、そのまま出口に向かった。受付と反対側の机には、この教会の季刊誌、ポストカードなどが置かれていた。私は季刊誌とポストカードを一つずつ手に取り、持ち帰ろうとすると、近くにいた年配のご婦人に「そのポストカードは1ユーロよ」と笑顔で注意された。見ると、確かにすぐ側に、コインを入れる箱がある。私はあわてて財布から1ユーロを取り出し、その箱に入れた。

さっきまで礼拝堂で出席者と話していた牧師が、玄関まで出てきて、帰って行く人々を見送っていた。若い女性数人が、熱心に牧師と何か話している。私も何かひと言でも挨拶したいと思いつつ、適当な言葉が出てこないのでそのまま教会を出た。だって牧師に「チュース(じゃあね)」と言って別れるのは、いくらなんでもおかしいし。無難なのは「アウフ、ヴィーダァーゼーエン(さようなら)」なんだろうけど、教会なんだから、もうちょっとふさわしい挨拶をしたい。「良き御言葉のとりつぎをありがとう」とか。いや、でも礼拝中ほとんど寝てたくせに、良き御言葉なんて言うのはさすがに嘘くさいか(汗)。それ以前に、牧師が何を話していたかも分かっていないし。でもドイツの礼拝に出たときに、帰り際に何か挨拶して帰りたい。これは、次にドイツに来るときまでの課題にしよう。

教会を出て、少し歩いてから振り返ると、玄関ではまだ牧師が出席者たちと話しつつ、帰る人たちを見送っていた。そして空は、朝、見上げたときよりもさらに青く、濃くなっていた。申し分のない、晴れ渡った秋の空だ。これから街でお昼ご飯を買って、午後3時からのサッカー観戦に備えなくちゃ。
こうして、礼拝中に居眠りするという失態はおかしたものの、5年ごしのリベンジは無事に達成されたのだった。
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