何年たっても、まだ狂ってる。
Still Crazy After All These Years (Paul Simon)
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夜と霧 新版
『夜と霧 新版』
ヴィクトール・E・フランクル/池田 香代子 訳 みすず書房

6月にポーランドのアウシュヴィッツ博物館に行くので、その前に何かアウシュヴィッツに関するものを読んでおこうと思い、真っ先に思いついたのがこの本。
だいぶ前に一度読んだことがあるけれど、内容はあまりよく覚えていない。だからもう一度再読したいと思い図書館で探したら、「新版」と銘打たれた本が見つかった。1977年に出版された「改訂版」を新たに翻訳し直したものらしい。
私が前に読んだ『夜と霧』はセピア色の写真が表紙だったので、今でいう「旧版」のようだ。あの本とは別の翻訳者が新たに訳した『夜と霧』は、びっくりするくらい読みやすく、内容がストレートに頭に入ってきた。私が、前に読んだ時の内容をあまりよく覚えていなかったのは、どうやら旧版の翻訳が、当時の私にはいささか難しかったことも理由の一つらしいと、新版を読みながら思った。
もちろん旧版の格調高い文章にも魅力はある。その証拠に、新版が出てから10年以上経った今もなお、版を重ねている。明治時代に出版された聖書の文語訳が今なお人気があり、出版され続けているのとどこか似ている。堅苦しい訳で読みにくいんだけど、その読みにくさを補ってあまりある魅力があるというか。

“つまり人間はひとりひとり、このような状況にあってもなお、収容所に入れられた自分がどのような精神的存在になるかについて、なんらかの決断を下せるのだ。典型的な「被収容者」になるか、あるいは収容所にいてもなお人間として踏みとどまり、おのれの尊厳を守る人間になるかは、自分自身が決めることなのだ。

全編に渡って珠玉の言葉が綴られている中で、私が最初に頁にふせんを貼ったのがこの言葉だ。著者はここで意図的に、被収容者たちを「被収容者」と「人間」とに区別している。つまり典型的な「被収容者」はもう、「人間」ではないのだと。
では、著者の言う典型的な「被収容者」とは何か。単行本の111頁にはこう書かれている。「人間の独自性、つまり精神の自由などいつでも奪えるのだと威嚇し、自由も尊厳も放棄して外的な条件にもてあそばれる単なるモノとなりはてた」存在のことだと。
この言葉から、著者の言う「人間」とは何かが見えてくる。つまり収容所という極限の状況にあってもなお、「人間の独自性、つまり精神の自由を持ち続けた存在」のことだ。彼らは体は収容されても、その精神だけは収容されなかったのだ。

人は強制収容所に人間をぶちこんですべてを奪うことができるが、たったひとつ、与えられた環境でいかにふるまうかという、人間として最後の自由だけは奪えない。

この言葉を読んで、私が真っ先に思い出したのはコルベ神父だ。だが後にローマ法王によって聖人に列せられた彼以外にも、点呼場や居住棟のあいだで、通りすがりに思いやりの声をかけ、なけなしのパンを譲っていた人々がいたことを著者は記している。典型的な「被収容者」ではなく、「人間」であり続けた人々のことを。

“強制収容所ではたいていの人が、今に見ていろ、わたしの真価を発揮できるときがくる、と信じていた。
けれども現実には、人間の真価は収容所生活でこそ発揮されたのだ。


いつか解放されて、地位や環境も元通りになった時ではなく、収容されているどん底の「今」にこそ、その人間の真価が発揮されるのだと著者は言う。大半の被収容者たちのように無気力にその日その日をやり過ごしたか、あるいは、ごく少数の人々のように内面的な勝利を勝ち得たか。
だがいくら内面的な勝利を勝ち得ても、収容所の中で苦しみ、死んでしまったら意味がない、と考えるかもしれない。どんなに無気力に過ごそうとも、最終的に生き延びてこそ意味があるのではないか、と。
だが著者はその問いにはっきりと「NO」と言う。それは彼が、収容所生活の中で到達した答えだった。大半の被収容者たちが生き延びることができるか否かを気にかけて苦しんでいる中、著者は「私たちをとりまくこの全ての苦しみや死には意味があるのか」と問いかけていた。そうして導きだされた答えが「苦しみや死にも意味がある」。

およそ生きることそのものに意味があるとすれば、苦しむことにも意味があるはずだ。苦しむこともまた生きることの一部なら、運命も死ぬことも生きることの一部なのだろう。苦悩と、そして死があってこそ、人間という存在ははじめて完全なものになるのだ。”

もしも(苦しみや死が)無意味だとしたら、収容所を生きしのぐことに意味などない。抜け出せるかどうかに意味がある生など、その意味は偶然の僥倖(幸運)に左右されるわけで、そんな生はもともと生きるに値しないのだから。


この言葉には胸を突かれた。「生きる」ことに対し、ここまで厳しい姿勢で望んでいる人をいまだかつて見たことがない。
あの収容所生活を経験した人だからこそ言える言葉、という意見もあるかもしれない。だがたとえ収容所生活を経験していなくても、例えば病気と闘っている人など、今現在、困難な状況にある人々全てに、この言葉は共感を持って響くのではないだろうか。
私はまだそこまで苦しい状況に置かれたことはないけれど、それでも頁をめくるごとに大いに考えさせられ、ときには勇気づけられ、慰められた。頁をめくるごとに珠玉の言葉に出会えるので、その度に頁をめくる手を止め、じっくりとその言葉を味わう。おかげで160頁足らずの中編にもかかわらず、読み終えるのに一週間近くかかったが、充実した読書体験だった。もしアウシュヴィッツに行く予定がなかったら、もしかしたら再読しなかったかもしれないし、「新版」にも出会わなかったかもしれない。そういう意味でも、アウシュヴィッツに行く予定を立てて良かった。もちろん、アウシュヴィッツに行く予定のない人にも心からおすすめできる本だ。

本の終わりの方、被収容者のために、ポケットマネーでこっそり薬品を購入していた収容所長(ナチスの親衛隊員)と、解放後に彼をかばったユダヤ人被収容者たちのエピソードには感動した。改訂版で新たに追加されたエピソードだという。改訂版を読んでよかったと改めて思った。

アウシュヴィッツに行く前に読もうと思った本にもう一冊、『アウシュヴィッツ博物館案内』がある。これは現地で利用したいと思ったので、珍しく借りるのではなく「購入」した。旅行前にひととおり読み終わったけれど、実際に現地で案内書として利用してから、その感想を書きたいと思う。
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