何年たっても、まだ狂ってる。
Still Crazy After All These Years (Paul Simon)
<< September 2019 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

web拍手 by FC2
<< 神様がくれた時間「第二章・ファン」(その4) | main | わが恵み汝に足れり >>
神様がくれた時間「第二章・ファン」(その5)
「第一章・エル」で書いたように、私は最初に飼ったペットの最期を看取れなかった。それどころか、その「死」をはっきり知ることすらできなかった。すでに老年になっていたエルは雪が降る寒い冬の日、突然家からいなくなり、そのまま二度と会うことはできなかった。
確かにペットの死は辛いし、その遺体を見たくないという人もいるだろう。私の友達も「今、飼ってるチワワが死んだら、私の目に触れないようにひっそり埋葬してほしい」と言っていた。
考え方は人それぞれだが、私はちゃんとこの目でペットの遺体を見て、その「死」をはっきり確認したい。それは辛い経験だろうけれど、生きたのか死んだのか分からないまま、二度と会えないよりもずっとマシだ。
そう思いながら、私はファンと暮らしていた。いつしかファンは8才になっていた。うさぎの寿命は一般的に7〜8才と言われている。だからファンも、見た目はそんなに変わらないけど、年齢的にはりっぱな「おばあちゃん」だ。
そして私は相変わらずファンを庭に出しっぱなしにしていた。日が暮れる頃になってようやく、「そうだ、ファンを外に出してたんだ」と思い出し、慌てて庭に出てファンを探したことも何度かあった。すでに日はどっぷり暮れており、外は真っ暗。そしてファンは黒うさぎ。真っ暗な庭で、黒いうさぎをすぐに見つけることは困難だった。幸い、庭といっても狭いので、なんとかファンを見つけて抱きかかえ、家の中にいれることができたのだが。
そんな放任主義的な飼い方をしていた「ツケ」がやってきた。高齢になっていたからだろうか、ファンは柔らかい糞でお尻を汚す事が多くなり、そのたびに私は濡らしたタオルで拭き取っていた。その時はそれで充分清潔になったと思っていたが、濡れたお尻のまま日中、庭に出ていたことで、ファンは病気になってしまった。なんだか弱っている、と気づいたときにはもう遅かった。自然の世界では補食される側の動物であるうさぎは、体調不良を隠す。それは人間に飼われているうさぎも同じで、だからうさぎが見るからにぐったりしている時は、体調不良を隠せないほど……つまり、それほどまでに状態が悪化しているということなのだ。

病気に気づいたきっかけは、半年前に毛布を呑み込んだときと同じで、食欲が落ちたことだった。すぐかかりつけの動物病院に連れて行ったが、獣医はファンの病気の原因を見つけることができなかった。獣医はファンを診察して、「歯も伸びていないし、なぜ食欲不振になるのか分からない」と言い、とりあえず腸の動きを良くする薬をくれた。私は不安な気持ちで、仕方なくファンを家に連れて帰った。
だがその翌日、ファンの体調はさらに悪化した。
あいにくその日は日曜の夕方だった。かかりつけの動物病院は閉まっている。そこで日曜日も診療をしている他の動物病院にファンを連れていったが、そこの獣医はファンを診て、もう手遅れだと感じたのだろう。本当は全身麻酔をしての手術が必要なレベルだったが、表面的な応急処置だけして、その日の診察は終わった。そこの病院は初めての受診だったので、受付の女性は「ファンちゃん」と書かれた診察カードを作ってくれたが、その時ですら、私は「この診察カードを使う事は今後二度とないだろう」と感じていた。もう手遅れだと感じて応急処置しかしない獣医と、それを知らず、いつもと同じようにとりあえず診察カードを作る受付。そのギャップが皮肉だった。

家に連れて帰っても、ファンはますますぐったりするばかり。だが私にはどうすることもできなかった。こういう時、飼い主は本当に無力だ。できることといえば、ただファンの頭を撫で続けながら、夜が明けるのを待つことだけ。明日の朝、真っ先にかかりつけの動物病院に連れて行くから、それまで持ちこたえてほしいと祈りながら。
私はファンに添い寝して、その頭を撫で続けながら夜を過ごした。本当に、長い夜だった。今度こそファンはだめだというあきらめの気持ちと、いや、あの毛布を呑み込んで吐き出すという離れ業をしたうさぎだから、今度もきっと生き延びるという希望が、ごちゃまぜになっていた。もう深夜になっていたが、とても眠れる心境でなはく、ただファンの頭を撫でながら夜が明けるのを待った。このまま徹夜でファンの頭を撫で続けるつもりだった。ファンは相変わらずぐったりしていたが、それでも私が頭を撫でると、いつものように歯をカチカチ鳴らして「気持ちいい」と伝えてくれた。

そうしているうちに長い夜も終わり、窓の外が白じんできた。そして私は早朝の1時間ほど、ファンの隣で眠っていたらしい。ふと目を覚ますと、ファンはまだ生きていた。よかった、朝まで生き延びてくれた。ファンはもう自力で立つこともできない状態だったが、それでも私はわずかな希望にすがって、かかりつけの動物病院に連れて行った。
2日前に連れて行ったときはファンの病気を見抜けなかった獣医も、今回は私の訴えにより、すぐに病気の原因を悟った。と同時に、その顔に「もうこのうさぎはだめだ」というあきらめの色が宿った。
ファンは午前の診察時間が終わるのを待って、昼から出術することになり、病院に預けることになった。本来なら、ずっと病院にいて……は病院から断られるとしても、徒歩五分の場所にある自宅で、待機しているべきだった。だがあいにく私はこの日、昼から取材の仕事が一件入っていた。今思えば、その仕事は他のライターや編集者に代わってもらって、家で手術が終わるのを待っているべきだった。そうしたら、病院から緊急の呼び出しがあったときも、すぐ病院に駆けつけられるのに。
あれからもう七年になるというのに、今でもずっと、悔やんでいる。なぜあのとき、ファンを病院に残して仕事に出かけてしまったのか。
あの頃、私はまだフリーライターとして駆け出しで、「その日になって取材をドタキャンなんかできない」と思い込んでいた。
それに、きっと心のどこかで、ファンが危篤だと認めたくなかったのだと思う。現実を受け入れられず、「このうさぎが死ぬわけない。だから仕事に出かけても大丈夫」と、無理にでも思い込もうとしたのだろう。
ファンは診察台の上で、動物看護師に背中をなでられていた。私はそんなファンに「また後で会おうね」と心の中で声をかけた。するとファンがその声を読み取ったのか、急に私のもとに向かってこようとした。すぐに看護師さんに抱きとめられたが、そのときのファンの姿が、今も瞼に焼きついて離れない。
そしてそれが、私とファンのこの世での永遠の別れになった。

私は後ろ髪を引かれる思いで、病院を後にした。取材先は電車で二時間くらいかかるところで、行きの電車の中でも、また仕事中も、病院に残してきたファンのことが気になって仕方がなかった。取材が終わった頃、ちょうど病院でもファンの手術が終わったらしく、獣医から携帯に電話があった。その時、私は千里中央駅にいた。獣医から「手術は無事終わった」と聞いて安堵した私は、「今後、家で流動食を強制給餌させる必要があるかもしれないから、千里中央のペットショップで、シリンジを買った方がいいでしょうか」と獣医に聞いた。すると電話口の向こうで、獣医が戸惑っているのが分かった。数秒の沈黙の後、獣医は言った。「シリンジを買う必要はないと思います」
その言葉で、私は全てを悟った。とりあえず手術は終わったものの、強制給餌する「期間」があるとは考えられないような、厳しい状態であることを。
だがとりあえず、まだファンは生きている。私は一刻も早くファンのもとに行こうと、すぐに電話を終わらせ、地下鉄に乗った。電車の中では、ずっと「もう携帯が鳴りませんように」と願っていた。だがもうすぐ天王寺に着くという頃、携帯が鳴った。携帯の液晶画面に表示された「○○動物病院」の文字を見て、全身から血の気が引いた。予感通り、それはよくない連絡だった。
「ファンちゃんの様態が急変しました。すぐ病院に来てください」
受話器の向こうから聞こえる動物看護師の声。それはショックではあったが、同時に「こうなることは始めから分かっていた」という、諦めのような気持ちも湧いてきた。そこから電車を乗り継ぎ、ようやく動物病院に着いたのは、電話から約一時間後だった。その一時間の間に、私は覚悟を決めようと努力していた。きっともう、ファンは生きてはいないだろう。だから遺体を見ても取り乱さないようにしようと。

だがいざ動物病院について、もう動かなくなったファンと対面したとき、こらえきれずに私は泣いた。ファンは目を見開いたまま、段ボール箱に入れられていた。まだ体にはほんのりと温もりが残っていた。「すうっと、静かに息を引き取った」と獣医は言った。死に目に会えなかった私を慰めるために、そう言ったのかもしれない。
私はあふれる涙をぬぐおうともしないで、ファンが入った段ボール箱をかかえ、獣医に礼を言って病院を出た。そしてそのまま、父が運転する車で火葬場に向かった。いったん家に連れ帰ろう、という気持ちは起きなかった。きっと、ファンの死がまだ現実として受け入れられなくて、このまま遺体を見ているのが辛くて、一刻も早く火葬したかったのかもしれない。
夕方の六時頃だったが、まだ空には明るさが残っていた。火葬場へと向かう車の後部座席で、ファンの遺体を抱えながら、私は激しく自分を責めていた。なぜあのとき、重体のファンを病院に残して、仕事なんかに行ったんだろう。ペットが飼い主より先に死んでしまうのは仕方ないとしても、せめてその最期を看取りたかった。エルのときと同じように、今度もまた、私はペットの最期を看取れなかった。いや、エルのときはその「死」すらはっきり確認できなかったから、今、こうしてファンの遺体を抱くことができるのは、まだマシなのかもしれない。それでもやはり悲しかったし、最後に見た、診察台の上で私の元に向かってこようとするファンの姿が目に焼き付いて離れず、ファンに申し訳ない気持ちで胸が張り裂けそうだった。

私たちが向かった市立の火葬場は「人間用」だったが、1000円を払えば動物の火葬もしてくれる。ペット霊園ではないので個別の火葬ではなく、「お骨上げ」も、骨を持ち帰ることもできないが、骨は他の動物の遺骨と一緒に、動物慰霊塔に収めてくれる。そのときの私はそれで充分だった。もう18時だったので、今日の火葬は全て終わり、明日の朝、他の動物と一緒に火葬することになった。私は箱に入ったファンの、まだかすかに温もりが残る体に手を置いて、「この子を神様の元に送ります」と祈った。そしてその箱を市の職員に渡して、家に帰った。
だが帰宅して、いつもファンを放していた庭と、いつもファンがその木陰でくつろいでいたツツジを見たとき、どうして火葬場にファンを残してきたのかと、急に後悔が押し寄せてきた。ファンのお気に入りの場所だったツツジの木の下に埋めてやりたい。私はとっさに、さっき後にしたばかりの火葬場に電話をした。だが、いったんあずけた動物を連れ帰るのは無理だった。「こちらで、動物慰霊塔に遺骨をおさめて供養しますから」と、電話に出た市の職員は諭すように言った。私はしぶしぶ了解して電話を置き、それからベッドに突っ伏して再び泣いた。
2007年6月11日のことだった。なぜはっきり覚えているのかというと、その日のダイアリーの6月11日の欄に「ファンの命日(8才)16:00すぎ」と書かれているからだ。その記述を、私はそれを書いた日から六年後に見つけた。あの日はファンを亡くした悲しみと自責の念で押しつぶされそうになっていたが、それでもこうしてダイアリーに記録を残していることに、私は少し驚いた。
そして今、こうして七年前のあの日のことを思い出しながらこれを書いていることにも、私は少し驚いている。あのときは、まさか将来、こんな風に文章にすることができるなんて思いもしなかった。それはやはり「時間薬」のおかげだろう。それと、ファンの後に飼ったもう一匹のうさぎとの別れを経験したことで、ファンとの別れを、いくらかは客観的に振り返ることができるようになったのかもしれない。
それでもやはり、今でも「ファンを看取れなかった」という後悔が消えることはない。最後の最後に、飼い主の責任を果たせなかった。これからもずっと、その後悔を抱えたまま生きていくことだろう。だがそれもまた、「飼い主の責任」なのだと私は思う。

続く
 
web拍手 by FC2
スポンサーサイト
web拍手 by FC2
COMMENT









Trackback URL
http://still-crazy.jugem.jp/trackback/294
TRACKBACK