何年たっても、まだ狂ってる。
Still Crazy After All These Years (Paul Simon)
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『ブレイド・マスター』(原題『綉春刀』)

映画の前売り券を買ったら特典でついてくる生写真。しかし学生手帳に挟んで喜ぶような年齢でもないし、もらったところでどうすればいいのか分からない。できればクリアファイルとか、もっと実用的な特典がよかった…などと贅沢を言ってはいけない。

『ブレイド・マスター』(原題『綉春刀』)
2015.8.29 シネマート心斎橋


いきなりだが、私は『ブレイド・マスター』というカタカナ邦題が好きじゃない。ありふれた名前すぎて、いったい何の映画か伝わりにくいし。ブレイド・マスターで検索するとトヨタ車やスマホのゲームばかりひっかかるし。宣伝文句の“武侠アクション超大作”として売りたいがためにこの邦題なんだろうけど、それだとかえって見た人は「思ってたのと違う」とがっかりするのでは。
原題の『绣春刀』をそのまま邦題にした方がよかったのでは。文芸映画みたいなタイトルだけど、実際、武侠アクションよりも文芸映画よりの内容だと思う。「しゅうしゅんとう」とそのまま日本語で読めるのもいい。

と、のっけから文句で始まったが、別に本国で大ヒットしたわけでもなく、有名な賞を獲った訳でもなく、有名監督の作品でもないこの映画を、日本公開してくれたことには感謝したい。でもタイトルは『绣春刀』のままが良かったと思うよ(しつこい)。

【高評価、低興行】
まず初めに断っておきたいのが、私はこの映画に思い入れがあるということ。それも見た後ではなく、見る前から思い入れがあった。2014年8月に中国で公開された時、作品の評価は高かったものの、低予算なため宣伝不足で、上映する映画館の数も少なく、映画館にポスターすら貼られていない状態だったという。また、路陽(ルー・ヤン)監督がまだ若く、これが監督三作目。そしてその名前だけで客を呼べる絶対的なスターが出演しておらず、キャストが地味。(主演の張震や王千源は実力派俳優として認知されているが、客を呼べるほどのスターではないというのが中国での評価らしい)。
そうした様々な理由から、公開当初の興行収入は伸び悩んだ。「高評価、低興行」の代表的な映画として、記事にも取り上げられたほどだ。
それでも映画を見た人の口コミからじわじわと評判が広まり、最終的には制作費をペイできる「小ヒット」になったという。さらに好評を受け、続編の企画も進行中とか。
たとえ宣伝にお金をかけられなくても、すぐれた映画は、見た人がその感動を伝えることでヒットへとつながる。「高評価、低興行」といわれた映画は、その後「観客の目は節穴ではない」ことを実証した映画になったのだ。私はそこにドラマを感じ、注目していた。

【元ネタは司馬遼太郎】
路陽監督のインタビューによると、監督は司馬遼太郎の短編『沖田総司の恋』が好きで、この小説を元に映画の構想をふくらませていったという。確かに小説を読んでから映画を見ると、「なるほど」と思うところが多い。
ちなみに映画が中国で公開されたのは8月7日だが、この日は司馬遼太郎の誕生日でもある。偶然そうなったのか、それとも狙ってそうしたのかは分からない。もしあえてこの日を公開日に選んだのだとしたら、路陽監督に「この映画を司馬遼太郎に捧ぐ」という思いがあったのかもしれない。

この映画は、脚本も路陽監督が他の人と共同で書いている。彼が昔からあたためていたネタらしく、いざ脚本にするとかなり分厚くなってしまったため、一番面白い部分だけを映画にしたのだとか。そして映画の好評により、次は映画の前日譚を作ろうと計画中で、それがヒットすればまたその続編を作って、三部作にしたい意向だという。なにそのもろスターウォーズみたいな展開は。
でも確かに映画を見ると、「語られていないこと」が多くて、「前日譚が見てみたい」と思わせるつくりになっている。ひょっとしたら初めから狙ってそう作ったのかもしれない。としたらかなりの自信家である。

そんなわけで映画の制作や、中国公開時のエピソードに惹かれるものが多く、興味深くそれらの記事を読んでいたので、無駄に映画に詳しくなってしまった。見る前からそんなに詳しくなると、自然と期待のハードルも上がる。私の場合、ちょっとハードルを上げ過ぎてしまったかもしれない。

【真面目な映画】
で、ここからようやく感想に入るのだが、見終わってまず思ったのが「とても真面目な映画」だということ。お遊びシーンというか、無駄なシーンが全くない。お色気シーンも、笑えるシーンも、ラブシーンすら全くない。唯一、着衣のまま抱き合うシーンがあるくらい。とにかくテンポ良くサクサク進んで、最後まで飽きさせないんだけど、ちょっとテンポが早すぎて、まるでダイジェスト版を見ているような気分になる。余韻や情緒がないというか。やっぱり映画って、遊びのシーンもちょっとは入れた方が映画に「潤い」が出ると感じた。
アクションシーンも非常に真面目だ。ワイヤーやCGもほとんど使っていない(ように見える)。この映画のために特訓したという俳優たちが、ひたすら地道に立ち回りを頑張っている。ワイヤーやCGなしなので、武俠映画でよくある超人離れした立ち回りもない。空を舞ったり、妖術を使ったりもしない。だから地味っちゃあ地味なんだけど、殺陣の指導がいいのか、スピーディーで迫力がある。スローシーンもほとんどない。ただちょっとカット割りが多いかも。もうちょっと長回しで立ち回りを見てみたかった。

別にワイヤーやCGを多用する事が「不真面目」とは言わないし、この映画がワイヤーやCGを多用しないのは単に「予算がないから」というのもあるかもしれない。だがアクションでワイヤーやCGを多用されると私は萎える。それより生身の俳優がワイヤーに頼らずに、自分の力だけでリアルなアクションを魅せてくれる方が好きだ。

この映画のアクションが地味な好例に、主人公たちを偵察に来た刺客が逃げるシーンがある。武俠映画だとこういうシーンでは、刺客は逃げるために、敵に向かって口からもの凄い数の矢をいっせいに吹き出したりするんだけど、この映画では、刺客は近くに並べてあった竹をバラバラと倒して逃げて行く(笑)。じ、地味……。なんでそんなところに都合よく竹が置かれていたのかも謎だし。ああ、予算なかったのね……と妙にしみじみするシーンだ。

【“武侠アクション超大作”という宣伝に偽りアリ】
上の例でも感じたけれど、この映画は一応「武侠映画」にカテゴライズされているが、一般的な武侠映画のイメージとは違う。宣伝では“武侠アクション超大作”とうたわれているけれど、実際は「錦衣衛の下っ端たちの人間ドラマ」の方がふさわしい。
武侠映画につきものの妖術アクションやワイヤーアクションがないというのもその一つだし、主人公の錦衣衛三人組の描かれ方も、「ヒーロー」としてのそれではない。三人それぞれが人間臭い悩みを持っていて、その悩みを解決するために沈煉は、殺害を命じられていた魏忠賢と取引する。映画だと沈煉を演じる張震がかっこいいのでつい錯覚するが、現代に置き換えると、ようは下っ端の公務員が公金を横領するというストーリーで、かっこよさは微塵もない。むしろあまりにも馬鹿でみみっちくて、現代なら「公務員のくせに」と呆れながらその物語を読むだろう。そんな馬鹿な下っ端公務員を主役にしたこの映画は、いくら俳優が男前で、彼が身にまとう“飛魚服”と呼ばれる官服が華麗であっても、やはり一般的な武侠映画のイメージには当てはまらない。公金を横領した結果としての沈煉の悲劇も「自業自得」と観客に思わせる。むしろ兄弟たちが死んだのは沈煉のせいで、彼が災いの元凶じゃないかと。

だがそう思わせておいて、実は、趙靖忠から魏忠賢殺害のため選び出された瞬間から、彼らは殺される運命にあったということが、映画の最後に分かる。しょせん「虫けら(趙靖忠が彼らをそう称する)」である沈煉の取引や選択なんて何の影響もなかったという、乱世に翻弄される下っ端公務員たちの悲哀がこの映画全般を貫いている。

【義兄弟の絆】
こう書くとなんだか泣ける映画のようだが、私はちっとも泣けなかった。先に「武侠アクション超大作ではなく、人間ドラマ」と書いたけれど、実は人間ドラマとしても各人物の描写が足りずに、中途半端だからだ。
始めにも書いたがこの映画、話がテンポよく進みすぎてまるでダイジェストのよう。主役は錦衣衛の義兄弟三人なのだが、彼らがどういう身の上で、どうして義兄弟の契りを結んだのかが全く語られないまま、あれよあれよと彼らが窮地に追い込まれていく。映画の始めの方で、もうちょっとこう、「義兄弟の絆が感じられるシーン」や「日常の平和なシーン」があった方がよかったのでは。義兄弟の契りを結ぶシーンを、回想シーンで入れるとか。その方がよりこの三人に感情移入できて、終盤、彼らが見舞われる悲劇に胸を打たれ、兄弟の仇を討つ沈煉にカタルシスを感じられたのでは。

とはいえ、義兄弟の絆が感じられるシーンが、全くないという訳ではない。その「絆」をもっとも強く感じられるのは、皮肉にも兄弟二人が死んだ後、沈煉の趙靖忠への仇討ちシーンだ。映画では説明がないので分かりづらいが、沈煉は決闘前に自分の刀を地面に突き刺し、まず長兄の盧剣星が生前使っていた長刀で闘う。その長刀を趙靖忠に払い落とされると、今度は弟の靳一川が使っていた双刀で闘う。それもまた趙靖忠に払い落とされ、最後にようやく、地面に突き刺していた自分の刀を抜いて、趙靖忠にとどめを刺すのだ。この決闘では沈煉は終始劣勢で、やけに弱く見えるのだが、それは使い慣れていない兄と弟の刀を使っていたから。そこには「兄と弟の仇討ち」という思いがこめられている。だが例によってこの映画はそういうことをくどくど説明しないので、初見ではまず分からない。というか盧剣星、沈煉、靳一川の三人が、それぞれ違う刀を使っているということすら、初見では分かりにくい。

【二次創作が人気の理由】
いろいろ書いているとこの映画、真面目なつくりなだけに、なんだか非常にもったいない。武侠アクションとして見るとワイヤーも妖術もなくて地味だし、人間ドラマとして見ると、各人物の背景や、人物関係の描写が淡白で物足りない。ようはどっちつかずなのだ。
主役の三人だけでなく、脇役たちの背景もほとんど語られない。だからだろうか、展開がやや強引で唐突に感じられる。もっとも唐突に感じたのは丁修が終盤、いきなり「いいやつ」になって沈煉に協力する展開で、映画で語られなかった二ヶ月間にいったい何があったんだと。

そしてこの映画が中国の腐女子に人気で、二次創作が氾濫している理由もなんとなく分かった気がした。もちろんもっとも大きな理由はこの映画が「男たちの物語」で、男同士の愛憎まみえる関係や、「尻を売れ」みたいなそのものズバリのセリフがあるからなんだろうけれど。でも「多くを語らず、見る者に想像させる」作りであることも、腐女子の妄想をはかどらせるのだろう。丁修の唐突な改心を例にとれば、「あの二ヶ月間で、いったい沈煉と丁修の間に何があった。もしやこんなことが……」などという風に。

【字幕に不満】
沈煉と丁修といえば、日本語字幕についてちょっともの申したい。最後のシーン、礼を言う沈煉に対し、丁修は「礼はいい。俺も趙靖忠を殺すつもりだった」と、字幕ではそう言っている。だが実際は、丁修は「如果你没有杀掉赵靖忠,我会连你一块杀的」ーー訳すと「もしあんたが趙靖忠を殺さなかったら、俺はあんたも(趙靖忠と)一緒に殺してた」と返している。(※機械翻訳だから正しくないかも。でもだいたいこんな意味)
このセリフがあるからこそ、それまで穏やかな表情だった沈煉が眉をひそめるし、その沈煉にニヤリと笑いかける丁修に凄みを感じるのだ。そして沈煉と丁修は「趙靖忠への仇討ち」という共通の目的があったから一時的に協力しただけで、決して仲良しこよしになった訳ではなく、むしろ一触即発の関係ということが分かる。
なぜ丁修が沈煉を殺したいかといえば、弟弟子である靳一川の死、その元凶をつくったのは沈煉だという思いがあるから。でも一番の仇はやはり、靳一川を殺した趙靖忠。だから沈煉が趙靖忠を殺すのなら、まああんたは殺さないで見逃してやる。でももし趙靖忠を殺さなかったら、あんたも殺すつもりだったという丁修の思いが、あの短いセリフに込められている。そして丁修の、靳一川への思いも読み取れる、とても重要なセリフなのだ。だからこのセリフはきちんと、原文の意味を再現した字幕にしてほしかった。

だがそうやって沈煉を脅迫するわりには、前もって周妙彤と医者の娘を安全な場所に移動させておいたりとか、ちょっと手際よすぎじゃないか丁修。最後の彼のセリフと矛盾してるし、こういう強引な展開がこの映画、特に丁修がらみで目につく。

【愛すべきB級映画っぽさ】
中国では制作費が1億元以上の映画が「大作」と見なされるそうだが、この映画の制作費は3000万元だという。美術や衣装にお金がかかる時代劇としては、低予算といえるだろう。
だからだろうか、映画全体にただようB級っぽさがたまらない。まず、崇禎帝の衣装がしょぼい。「陛下」というセリフがなかったら、とても皇帝とは分からない。せいぜいそこらの文官にしか見えない。
魏忠賢が死んだ証拠として提出される、焼死体もしょぼい(笑)。B級ホラーかと思った。いや今どきB級ホラーでももうちょっとマシな焼死体を出してくるぞ。
とまあ、いちいち挙げていったらきりがないが、とにかく私はそういうB級ムードを愛おしく感じた。ああ、予算が足りない中で懸命に頑張ってるなあという感じ。なんせ撮影中に予算が尽きて、张震の撮影日数を減らしたというくらいだし。
しかし巨匠と呼ばれる監督の映画にばかり出演している印象のある張震が、よくこんな新人監督の、低予算の映画に出たものだ。別に監督の名前で映画を選んでるわけではなかったのですね。B級ムードただよう映画に出る張震というのも、なかなか新鮮だった。

【ツッコミどころ】
これはB級っぽさにもつながるのだが、ツッコミたくなるシーンがわりとある。最大のツッコミどころは、沈煉に右手首から先を切り落とされた嚴家の公子。個人的にこの映画でもっともかわいそうな人だと思うのだが、その右手首がその後、彼が拷問されるシーンで復活していた(笑)。しかも右手首を切り落とした張本人である沈煉が、何事もなかったようにその手首を鎖からほどいていた。気づけよ。しかも同じシーンで、嚴家の公子は沈煉に「君に手首を切り落とされた」とか言うし。なのにこのシーンで彼の右手首があることに、制作側も俳優もなぜ誰も気づかない。

続いて妓楼での、沈煉と趙靖忠の決闘シーン。互いに相手を殺そうと闘っていたはずなのに、沈煉は趙靖忠を階段下に突き落とした後、なぜかそのまま放置(笑)。追いかけていってトドメを刺そうよ。たぶん、あの時点ではまだ義兄弟たちが殺されていないから、沈煉としては趙靖忠を殺すまでやるつもりはなく、ただ周妙彤を彼から守りたいだけなのだろう。だがそうした沈煉の考えが分かりにくいので、見る方としてはツッコミたくなる。


待ちきれなくて、公開初日に見に行った初めての映画かも。前売り券を買ったのも何年ぶりだろう。

【俳優】
俳優の演技の善し悪しは、正直、私にはよく分からない。基本的にみな好演していると思ったが、なかでも張震、王千源、金士傑の三人は存在感があった。後で、この三人は映画メーンで活躍していると知って納得。他の俳優は初めて見る人ばかりだったが、ドラマメーンで活躍している人が多いと聞いてこれも納得。

●沈煉……張震(チャン・チェン)
私は正直、張震ってそんなに完璧に整った男前だと思わないのだが、この映画の彼はこれまでで一番「りりしく」見えた。時代劇の扮装が似合うことと、常に帽子をかぶっていることがよかったのだろう。広い額を帽子がいい感じに隠してくれていた。また顔に飛び散る血しぶきも、その顔をより引き立たせていた。張震は化粧映えならぬ「血しぶき映え」する俳優だ。
役柄もいい。「外面は冷酷、でも内面はピュアで情に厚く、女に一途」というキャラは彼の得意とするところで、『ブラッド・ブラザーズ −天堂口−』のマークもそんなキャラだった。報われない恋に身をやつすという役は『グランド・マスター』のカミソリにも共通する。こうして振り返ってみると、張震の演じる役ってわりとワンパターンかも(笑)。
なのでこの映画でも、演技面では「いつもと違う役に挑戦した」という驚きは特になく、安定の平常運転という感じ。義兄弟の真ん中という役割なので、兄の盧剣星に対してはすがるような目つきで「兄を慕う弟」になり、逆に弟の靳一川に対しては、何かと世話を焼く「頼れる兄貴」になったりと、相手によって表情を使い分けているのもさすがである。
主人公なのでかっこいい見せ場も多く、立ち回りの切れ味も鋭い(ように見える)。だが私がもっとも感じたのは、にじみ出る中年の色気だ。30代も半ばを過ぎ、若い頃に比べるとさすがに肌もたるんできたけど、それがかえって退廃的な色気をかもしだしてるというか。肉は腐りかけが旨いというか……!(ひどい。でも褒めてる)。とにかく若い頃にはなかった色気があって、特に趙靖忠との最後の対決、相手の腹に刀を刺し込むシーンの「はぁ…」という吐息があざとい。

●周妙彤……劉詩詩(リウ・シーシー)
この映画の彼女は多方面ですこぶる評判がよろしくない。なので見る前の期待のハードルはかなり下がっていた。そして実際に見てみたら、「なんだ、言われてるほど酷くないじゃん」と。
そこで私はあえて、劉詩詩を擁護したい。まず、劉詩詩は別に悪くない。脚本が悪い。なんというか、彼女に片思いしている沈煉の一途さ、健気さを引き立たせるために、周妙彤が犠牲になってる気がする。せめて周妙彤が怪我を負うのは肩ではなくて、足にしとけば。そしたら沈煉が周妙彤を背負って歩くあのシーンも、「足を怪我してるから仕方ないね」となるのに。肩を怪我した周妙彤を、同じく肩を怪我した(それも明らかに周妙彤より重傷の)沈煉に背負わせるから、見た者は「背負われてないで、自分で歩け」と突っ込みたくなるのだ。監督はたぶんあのシーンを、切ない愛の名シーンとして撮ったのだろうが、見る者の心に浮かぶのは切なさよりもヒロインへの苛立ちだ。

うん。劉詩詩は悪くない。ただ、沈煉によって12才で教坊司に送られた妓女という役柄には、あまり合っていないと感じた。この身分へと自分を堕とした沈煉に、表では当たり障りなく接しつつ内面ではひっそり恨んでいる、そんな複雑な女の業みたいなものが、劉詩詩からは感じられない。少女のように清楚で幼い顔立ちが、そもそも妓女に見えないのだ。まるで妓女のコスプレをしているようで。つまりキャスティングのミス。劉詩詩の責任ではない。
……と、映画を見ている間は感じていた。だが見終わると、やはりこの映画には劉詩詩でよかったという気がしてきた。基本、男だらけの物語で、陰謀と裏切り、血みどろの闘いが続く中、数少ない登場シーンで清涼な空気を吹き込んでくれる劉詩詩の存在は貴重だ。いわば物語の清涼剤的な役割で、医館の娘・張嫣を演じた葉青も、そういう理由でキャスティングされたのだろう。二人とも「成熟した大人の女」というよりも、清楚で可憐な少女という雰囲気だし。この映画にもっと大人の、色気あふれるゴージャス美女が登場していたら暑苦しかったかもしれない。
ただ、12才の周妙彤の登場シーン、あそこで劉詩詩とは別の子役を使うのなら、沈煉も張震ではなく、別の10代の俳優を使った方がよかったのでは。あのシーンの沈煉は恐らく18〜20才くらいの設定で、だから張震も若作りメークをしているのだが、どう見ても18〜20才には見えない。せいぜい20代後半くらい。なのであの場面、12才の周妙彤を見つめる沈煉がロリコンに見える。実際はあの時一目惚れしたわけではなく、その後じわじわ恋していったんだろうけれど。

という訳で、しつこいようだが劉詩詩は悪くない。ただ脚本が、周妙彤を沈煉の引き立たせ役にしてしまっている。劉詩詩はその脚本に忠実に演じている。自分を守って闘う沈煉をぼんやり眺めているだけなのも、両思いだった嚴家の公子が死んだショックを引きずっているからだろうし。それもこともあろうに沈煉が嚴家の公子を殺したというのだから、そりゃ沈煉を恨むだろう。張震が巧みに演じているので見る者はつい沈煉に肩入れするが、ふと冷静になると沈煉もけっこうKYである。女に好かれていない、むしろ恨まれているんだから、潔く身を引くのも愛だろという感じ。だがそれを言ったら物語が成立しないし。

余談だが、周妙彤は『ネバーエンディングストーリー』の幼ごころの君に似てる。

●盧剣星……王千源(ワン・チエンユエン)
安易にイケメン三兄弟にせず、長兄にこの人をキャスティングしたところにこの映画のセンスを感じる。いやー、実にいい味出してますお兄ちゃん。
次兄がクールで鋭い感じのイケメン、三男はかわいい系のイケメンで、普通なら長兄は落ち着いた優しい感じのイケメン(現代だったら眼鏡キャラか?)をキャスティングするんだろうけど、それってあまりにも安っぽく感じて私は萎える。それより決してイケメンではないけれど、背負ってきた人生を感じさせる王千源の深みのある演技が、この映画に風格と味わいを与えていると思う。

頭が切れて自信家の沈煉が兄と慕っているのが、見るからに人が良さそうなのほほんとした盧剣星という、このギャップもいい。盧剣星って見た目はトボケた感じだけど、あの沈煉が忠誠を捧げるくらいだから、実はかなりの剣豪で、そして人徳あふれる性格なのだろうと見る者に想像させてくれるのだ。

それにしても盧剣星の境遇と、そのささやかな夢は身につまされる。沈煉が魏忠賢の隠れ家襲撃に応援を呼ぼうとしたとき、盧剣星が彼を遮るシーンは、この映画でもっとも胸にしみた。百戸に昇格したくて、でもコネも金もなくて。だから彼は魏忠賢を殺す任務を「昇格のまたとないチャンス」と捉え、自分たち三人だけでやり遂げて、手柄を独り占めしようとする。が、チャンスどころか、それは彼ら兄弟の破滅への入り口だったという。

盧剣星が着ている錦衣衛の官服にも注目したい。下の弟二人と違い、彼の服だけ襟に当て布がつくろわれている。彼はそれだけ長い間この官服を着ているのだということが、この貧乏臭い当て布からうかがえる。だからこそ、百戸への昇格を焦っているのだと。この映画の、細部まで行き届いたこだわりが感じられる部分だ。

盧剣星の、この映画での描かれ方も切ない。けっこういい年なのに独身で、年老いた母と二人暮らし。また、下の弟二人には色恋ネタがあるのにこの人だけなくて、さらに下の弟二人にはそれぞれ一対一の決闘シーンがあるのに、この人だけなし。(魏延との一対一の決闘シーンは、撮影はしたけれど映画ではカットされたとか)
極めつけは処刑シーン。沈煉の罪を肩代わりして死んでいく涙涙の場面なのに、靳一川の亡骸を前に沈煉が嗚咽するシーンの、その合間に挟まれるカットバックで処理される。かわいそうすぎる(泣)。靳一川だけでなく、盧剣星の死亡シーンも個別にちゃんと見せてほしかったけど、それをやると沈煉が嘆き悲しむシーンが二回続くことになり、くどいと監督は判断したのだろう。

●靳一川……李東学(リー・トンシュエ)
童顔でかわいい顔立ちなのに、うっすらあごが割れてる。ケツあごなのにかわいいってすごい。三兄弟の末弟なのに一番背が高く、頬もぷくぷくしていて、三兄弟の中で一番健康そうなのに、肺病もち。色々とギャップがあって、それが魅力か。
短めの双刀の使い手で、その刀を片手でくるくると回す仕草がかっこ良い。できればもうちょっと活躍シーンが見たかった。

●趙靖忠……聶遠(ニエ・ユエン)
映画を見て驚いたのが、趙靖忠が予想以上に魅力的だったこと。強くて美しくて狡猾で、でも人間的な弱さも感じさせる、見事な演技だった。ドラマ「三国志 Three Kingdoms」の趙雲役しか知らなかったけど、ヒーローである趙雲よりも、悪役である趙靖忠の方がずっと魅力的に映った。
しかしまさか宦官がラスボスとは。しかも映画の中では丁修と一、二を争う強さだし。宦官がこんなに強くてアリなのか。しかし趙靖忠が妙に沈煉を殺すのをためらっていて、三兄弟で一人だけ生き残っても見逃してやったりしたのは、「実は沈煉が好き」という裏設定でもあるのだろうか。だって丁修に殺しを依頼するなら、相手はまずは靳一川じゃなく沈煉でしょうよ。
その一方で、彼は魏延が好きなのかも、と受け取れる描写もあったりして。

●丁修……周一圍(ジョウ・イーウェイ)
恐らく、武術の強さは登場人物中ナンバーワン。他ならぬ路陽監督がそう発言したという情報もある。闘いで不敗なのはもちろん、闘いで劣勢になる場面が一つもない。これは映画中で彼だけだ。沈煉とは闘いそうで闘わなかったけれど、もし闘っていたら、たぶん沈煉が負ける。そう感じさせる描かれ方だった。
それだけ強いのにチンピラ浪人で、師弟の靳一川からしつこく金をゆすり取っていて、だが根っからのワルというわけでもない。この丁修の存在が、この映画を単純な勧善懲悪ものにせず、物語に深みを与えていると思う。

●魏延……朱丹
個人的には劉詩詩よりも、この人の方が「なんだかなー」と感じた。テレビの人気司会者らしいけど、彼女が出てくるととたんに画面が安っぽくなる。まるでテレビのバラエティ番組のコントを見ているようで、萎えた。

●張英……喬磊
王千源に次いでいい味を出してたおデブちゃん。悪役なんだけど、愛嬌があって憎めない。特に沈煉が弓から放った救援信号を、とぼけた顔つきで眺めるシーンが秀逸。映画中、実は唯一の笑えるシーンかもしれない。
噂では、演じた喬磊は俳優ではなく、助監督が特別出演しているとか。俳優ではない人に出演させるとは。それだけ、張英のイメージにこの人がぴったりだったのだろう。その気持ちはよく分かる。顔のパーツが全部真ん中に集まった、この顔立ちは得難い個性だ。

【まとめ】
見る前の期待が大きすぎたせいで、見終わったら「うーん」と思う部分が多く、色々と欠点も挙げつらねたが、それでも私はこの映画が好きだ。だからこんな、無駄に長いレビューも書いた。好きな理由はやはり、とても真面目なつくりだということ。そしてそこはかとなく漂うB級っぽさ。それだけで愛すべき映画になるには充分なのだ。
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