何年たっても、まだ狂ってる。
Still Crazy After All These Years (Paul Simon)
<< July 2019 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
<< 『ローマの休日』 | main | 『KANO 1931 海の向こうの甲子園』 >>
『セデック・バレ』
 『セデック・バレ』

「文明が俺たちに屈服を強いるなら、俺たちは野蛮の誇りを見せてやる」

このモーナ・ルダオの言葉でも分かるように、この映画は単純な「抗日もの」ではない。よくある抗日ものなら、モーナは「日本が俺たちに屈服を強いるなら」と言っているだろう。

そう、彼らの真の敵は日本ではなく文明。それも平和に共存しようとする文明ではなく、彼らを酷使して屈服させようとする文明だ。その根底には、原住民を見下し、「野蛮人に文明を与えてやる」というおごった考えがある。だからこそモーナは反発したのだろう。

日本の司令官である鎌田は、敵に毒ガスを使うと決めた後、「野蛮人に文明を与えてやったのに、俺たちを野蛮にしやがった」と漏らす。この台詞は、この映画の日本人と原住民の対立の構図を端的に表現していると思う。

「いくら酷使されているといっても、祖先の掟を理由に、無抵抗の女性や子どもまで殺すのは惨い」という見方もあるだろう。また、原住民の女性たちが食料を浪費しないために集団自殺し、自分の子どもにまで手をかけるシーンもショッキングだ。だが現代に生きる私たちの価値観で、彼らを批判することはできない。

霧社事件についてはこの映画で初めて知った。その後事件について調べたが、映画は実際の事件を脚色している部分も多いらしい。
例えば小島源治は、映画では妻子を殺されたことになっているが、実際は妻子は生き残り、彼の家族は誰も死ななかったそうだ。
それを映画では「殺された」ことにしたのは、事件前は原住民に礼儀正しく接するなど友好的だった彼が、事件後「復讐の鬼」と化したことの、理由付けがほしかったからか。それとも、人間の弱さを描きたかったからだろうか。
また、現代の価値観からは「裏切者」に見えるタイモ・ワリス。映画では少年時代からモーナ・ルダオと個人的な因縁があったことを描いたり、また小島に剣を向けて「俺たちが闘うのは義のためだ」と言わせるシーンを作ることで、「彼には彼の事情があったし、彼なりの正義感の元で闘った」と擁護しているように感じる。最後、モーナ・ルダオを先頭に戦士たちが虹の橋を渡るシーンでは、モーナのすぐ後ろにタイモ・ワリスも続いている。彼もまた「真のセデック」として虹の橋を渡ったのだ。映画はそう描いている。
それは感動的なシーンではあったが、正直、「虹の橋を歩く戦士たち」を視覚化するのはちょっとやりすぎのような気がしないでもない。特撮技術が稚拙なせいで、なおさら陳腐で滑稽に見える。実話を元にした骨太な歴史映画が、いきなり最後、「西遊記」に変貌したかのよう。だが最後にあのシーンがないとあまりにも救いがないと、制作側は判断したのだろう。

やりすぎと言えば、鎌田の「この、日本から遠く離れた台湾の山奥で、我々が百年前に失ったサムライ魂を見たのだろうか」という台詞も、ちょっと唐突すぎるし、臭すぎ。監督が、日本人に「サムライ」と言わせたかっただけのような気がする。

そして何に一番驚いたかって、モーナ・ルダオとタイモ・ワリスの言い争いを聞いた小島の子どもが、「俺たちの狩り場だって? この山はみんな日本人のものじゃないか!」と言い返すところ。まだ小学生ぐらいの子どもが、原住民たちの言語を理解してる!なんと賢い子どもだろう!

とまあいろいろツッコミたいところはあるものの、それらは全部どうでもよくなるほどの迫力ある映画で、一部・二部合わせて約5時間の長丁場をぐいぐい押しきられる感じで見てしまった。
これまで台湾映画ってこじんまりした佳作が多いイメージだったけれど、こんなに壮大な歴史大作も作れるんだという驚きも含めて、私がこれまで見た台湾映画のベストワンだ。(次は『KANO』を見る予定なので、早々にベストワンの座がひっくり返る可能性はあるものの)
私は野生動物が人間に狩られる場面はかわいそうで、映画とはいえあまり見たくないのだけれど、この映画は原住民たちが狩りをするシーンも当然出てくる。というか冒頭から、モーナが猪を狩るシーンで映画は始まる。初めはひたすら逃げていた猪が、傷つき、もう逃げられないと悟ったとたん、くるっと向きを変えてモーナに突進してくるシーンが印象的だ。これが実は後半、モーナたちが蜂起する展開の伏線になっている。「猪だって反撃するのに」と、モーナの蜂起に加わることをためらうタダオ頭目に、若者が苛立ったように言う。冒頭の猪のシーンがここにつながるのか!と、思わず膝を打ちたくなった。こういう細部まで計算されつくした演出が多いのも、この映画の魅力だ。

いやーしかしこんなに漢人の影が薄い台湾映画、もとい中華圏の映画は初めて見たかも(笑)。主役は台湾の原住民で、敵は当時、台湾を統治していた日本人。彼らの対立がメーンストーリーなので、台湾に住む圧倒的多数民族の漢人はほとんど画面に出てこない。
そして漢人たちがみなのっぺりした、いかにも東洋系の顔立ちなのに、原住民たちがなぜかみな彫りの深いイケメン(笑)。この映画の主役は原住民だから、イケメン揃いにしたのかと思いきや。実は実際に原住民の血を引く俳優や一般人を起用しているとか。で、現地に住む人の証言でも、台湾の原住民は東洋人離れした顔立ちで、白人のような顔立ちも少なくないらしい。
なぜそんな顔立ちなのかについては根拠もあって、台湾の歴史本によると、太古の昔、マレーシアなどの東南アジアの人間が台湾に渡ってきて、彼らが台湾の原住民になった可能性があるとか。またオランダ統治時代にオランダ人と原住民が混血した可能性もあるらしい。
ともかく、太古の昔から台湾に住んでいた原住民は、たかだか400年前に中国から渡って来た漢人とは全く別の人種なのだ。それを考えると、彼らが漢人とは全く異なった顔立ちなのも納得だ。台湾はもともと原住民の島なのだし、彼らを見て「漢人とは顔立ちが違う」と驚くことの方が、おかしいのかもしれない。

そして、映画の原住民たちはただ彫りが深いだけではなく、りりしい。彼らを「決して屈服しない英雄」として描く映画の演出も、彼らを実際よりりりしく見せているのかもしれない。
だが青年時代のモーナ・ルダオだけは文句なしに美形と思う。演じた大慶は実際に原住民の血が混じっているらしいが、
彼は東南アジアというより、北欧の血が混じっている感じ。ただ美形なだけではなく気品があって、「生まれながらの英雄」のオーラを放っているのが印象的だ。
この映画は一部と二部に分かれており、青年時代のモーナ・ルダオはほぼ一部にしか登場しない。(二部では回想シーンで一瞬映るだけ)
私は一部を見たときは「こんな映画見たことない。文句なしの名作」と感じたが、続いて見た二部ではいささかテンションが落ちた。戦闘シーンが多すぎて、よくあるアクション映画になってしまっている感じ。まあストーリーの展開上、二部が戦闘シーンがメーンになるのは仕方ないのだけれど。それでも一部を見た時に感じたような、「この映画ならでは」の魅力があまり感じられなかったのはどういうことか。思うに、「この映画ならでは」の魅力というのは、「セデックの崇高な魂」が伝わってくるような、神秘的なシーンでは。そしてその神秘性の一部に、青年モーナ・ルダオを演じる大慶の、この世離れした崇高なオーラもあったのではないだろうか。だから大慶がほとんど出てこない二部は、神秘性がやや薄めで、かわりに戦闘アクションはたっぷりめ。
中年になったモーナ・ルダオを演じる林慶台も決して魅力がないわけではなく、いかにも頭目という風格がある。が、私は初めて中年のモーナ・ルダオを見た時、これがモーナ・ルダオだと分からなかった。だって顔立ちといい、体型といい、青年時代の面影がまったくない。まあ顔立ちは、年を取るごとに苦悩が顔に刻まれていったら、ああいう顔に変化するのもおかしくはない。だが身長が10cm以上も縮むのはおかしいって(笑)。青年時代はすらっとした長身で足も長かったモーナが、中年になったらいきなりずんぐりした体型の短足になってるんだもの。違和感が半端なくて、これってキャスティングミスなのでは。何度も言うが、中年モーナ・ルダオに魅力がないわけでは決してない。ただ、青年モーナ・ルダオが成長した姿には見えないというだけで。
この映画ってちょっとミュージカル風のところもあって、原住民たちは何かにつけて歌ったり踊ったりして、それが楽しい。中年モーナ・ルダオも劇中で二度、単独で歌い踊るシーンがある。どちらもモーナの決意を示す重要なシーンなのだが、短足のせいかどこかドスドスした踊りになっており、それが土臭くて良い。良いんだけれど、これが青年モーナのようなすらっとした長身で長足だったら、きっと華麗な踊りになっていただろうなあ。そんな踊りも見たかった。

さっきから中年モーナのことを短足短足と酷い言いようだが、実は私は彼の一番の魅力はあの脚だと思っている。太く、筋骨たくましい脚が地面を踏みしめる時の存在感といったら! あの脚で燃えさかる炎を飛び越えながら、「死ぬまで闘え!我々は真の人だ!」と叫びつつ日本軍に襲いかかるシーンには血が沸き立った。
モーナだけでなく、他の男たちの脚も魅力的だ。原住民は冬であろうと常に腰から下はふんどしいっちょなので、「鍛えられた(ここがポイント)」男の太ももフェチにはたまらない映画だと思う。細くすらっとした脚、太く短い脚、むちむちとした脚など、とにかくいろんなタイプの脚が画面いっぱいに躍動している。ある意味、最高の目の保養映画だと思う。

この映画は中国でも高い評価を得ているが、公開時にはあまりヒットしなかったらしい。その理由をある中国人は映画レビューサイトに、「大陸の二つの敏感な話題に触れているから。一つは日本人、もう一つは台湾人」と書いていた。
映画を見た中国人の感想は様々で、レビューを読むと、この映画を中国産のよくある「抗日ドラマ」と同じ類いと見る人も少なくない。だがもっと別の見方をする人たちもいる。そのレビューの一部をここに紹介して、この記事を締めくくりたい。
「私は映画を見ながら考えた。セデック族をチベット族に、日本人の“文明的”な政策を、私たち漢人のチベットへの“改革”政策に置き換えられることを。霧社事件を、1959年のチベット蜂起と2008年のチベット騒乱に、モーナ頭目が言う“20年後には子どもたちが日本人になってしまう”を、ダライ・ラマが言う“チベット文化が50年後に絶滅する”に置き替えられることを。チベット政策は本当に変えるべきだ!」
web拍手 by FC2
スポンサーサイト
web拍手 by FC2
COMMENT









Trackback URL
http://still-crazy.jugem.jp/trackback/330
TRACKBACK