何年たっても、まだ狂ってる。
Still Crazy After All These Years (Paul Simon)
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『忍者武芸帳 影丸伝』白土三平

図書館に置いてある漫画っていいよね。なんたってタダだし。
そんな訳で先日、久しぶりに漫画読みたいなーと思い、とりあえず有名な『カムイ伝』を借りてみた。が、イデオロギッシュすぎて、私には合わなかった……。ちなみに読んだのは一部のみ。二部はきちんと完結してないというし、読みたいという気は今のところない。

でも『カムイ伝』だけでは白戸三平は分からないと思い、次に借りたのが『忍者武芸帳 影丸伝』。これは面白かった。階級闘争というテーマは『カムイ伝』と同じようだけど、この階級闘争に全く絡まない「我が道を行く」重太郎が、主人公の一人であることが話を面白くしている。もう一人の主人公である影丸が、農民たちのために闘う自己犠牲精神あふれるヒーローなのに対し、重太郎は父の仇を討つことしか眼中にない。そのことで恋人の明美をやきもきさせ、その明美の死でようやく目が覚めたかと思ったら、今度は明美の仇討ち。最初から最後まで、清々しいほど自分の感情のみに生きている。だがこの、ある意味自己中心な生き方が、今、読むと鮮烈で、魅力的な生きざまに映った。非業の死を遂げた両親や家老たちの仇を討ちたいという思いは、いつの時代も人類共通のものだし、感情移入できる。だから重太郎は、今から約60年前に創られたキャラにも関わらず、今、読んでも古びていない。作中でイデオロギッシュな説教をかます人物が、今、読むとどことなく古びて見えるのとは対照的だ。
というかそういう登場人物って、まんま「作者の代弁をさせられてる」感じであんまり生きたキャラクターとして魅力を感じない。性格や行動も品行方正だし。まあこの作品は、そこまでイデオロギッシュではないけれど。

重太郎と甚助の対比も印象的だ。読み返すと、甚助が物語のかなり早い段階から登場していることに驚く。そしてその初登場シーンから、彼は重太郎と間違われるなどして、重太郎の「対」となる存在として描かれている。
この二人は「仇討ちに生きる男」という設定は同じだが、その性格は対照的だ。重太郎が激情型なら、甚助は(重太郎に比べると)冷静沈着な思考型。
主膳と瓜二つの光秀に対する、二人の対応の違いにそれがよく現れている。甚助は最初、光秀を主膳と勘違いして仇を討とうとしたものの、光秀に「よく顔を見てみろ」と言われると、主膳との違いを認め、詫びを言って引き下がる。
かたや重太郎は光秀から「私は主膳ではない」「落ち着け」と言われようと全く聞く耳持たずで攻撃するのみ。
活躍シーンも、重太郎が剣劇アクション中心なのに対し、甚助はアクションよりも、無風道人や影丸との対話シーンが目立つ。
とりわけ甚助と影丸の対話は、この作品の思想的クライマックスといってもいいくらいの重要シーンだ。これらの対話を通して、甚助は武士であろうと農民であろうと命は等しく尊いことを知り、自分の人生を考え直していくのだけれど、重太郎がそういう深いことを考えるシーンはあまりない(笑)。

そんな、似ているようで実は対照的な二人だからこそ、この二人がついに会合するシーンが光るのだ。重太郎は甚助と出会い、「病におかされ、命をすりへらし」ながら10年間も仇を追い続けている彼を見て、初めて客観的に自分の人生を見つめ直すのである。もし甚助と出会わなければ、重太郎は自分の仇討ち人生の虚しさに気づくことはなかったのではないだろうか。

ラストシーンの二人は、残酷なほど対照的だ。弟子を連れ、見違えるような立派な服を着た甚助に対し、さらにつぎはぎが増えたボロ服を着て、たった一人で歩き去っていく重太郎。甚助の呼びかけに応じようともしない。愛する人を守れず、仇も討てず、ただ生き延びる重太郎を「不憫でならない」と感じる人も多いようだが、同じ仇討ちものの『鬼ゆり峠』を読んでる私は、重太郎がそれほどかわいそうとは思わない。って、SM官能小説と比べる方が間違ってるか(笑)。でもいくら自分の手で仇討ちできなかったとはいえ、返り討ちにされるよりはましではないか。実際の歴史では、そうした返り討ちも多かったそうだし。

そんな訳で予想以上に面白く、本を買い揃えたくなるほど気に入った『忍者武芸帳 影丸伝』だけど、全く不満がない訳ではない。作者が前の巻のナレーションで「生死をかけた闘い」と煽っていた影丸対重太郎の闘いが、しょぼかったこととか。というか影丸逃げてばかりで闘ってないし。あのあたりは作画も荒くて、展開も急ぎ足で残念。もっとじっくりペンを進めてほしかったと感じる。

それでも買い揃えたいと思うのは、読み返すたびに新しい発見があるように思うからだ。今回も一回目に読んだ時は、重太郎をだまして伏影城を焼き落とした後は姿を消し、その後も重太郎の前には変装でしか姿を表さない影丸をズルイと感じたものだった。仇討ちにかける重太郎の必死な思いを知りながら、主膳を逃がすのも酷いし。だが読み返すと、あの時主膳を逃がして重太郎に後を追わせたのは、重太郎を他の野武士たちのように城内で焼き殺したくなかったから、とも読める。
だがあの落城について、その後、一度は影丸の口から重太郎に何らかの説明があってもよかったとは思う。ラストで重太郎に襲われたとき、影丸は「なぜうぬが!」と驚いてたけど、アンタかつて重太郎をだましたことを忘れたのかと。
そのへん、大島渚監督の映画『忍者武芸帳』は上手かった。偶然影丸を見つけた重太郎が、「なぜ城を焼き落としたのだ」と詰め寄り、それへの影丸の返答が(原作では甚助への返答)物語の肝となるように改変されていた。
映画自体も独特の味わいがあって、かっこよい。あーでもやっぱり、次はちゃんとした(?)動くアニメで見てみたい。主人公が四角い顔のオッサンというのが、なんとも斬新で良いではないか。

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