何年たっても、まだ狂ってる。
Still Crazy After All These Years (Paul Simon)
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「食べたら死ぬかも」というスリルを楽しむレストラン。〈2〉
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先に紹介した「バジルとトマトのブルスケッタ」も、そんなドキドキ感にあふれている。運ばれてきた透明の球体をまじまじと見ながら「これのどこがトマト?」と困惑しているお客の前で、シェフがバジルのソースをスポイトで(!)球体が浮かんでいるソーダ水の上に一、二滴たらす。「球体をスプーンですくって、舌の上に乗せてください」。シェフに言われるままに球体を口に入れて舌に乗せると、あら不思議。焼きたてのフランスパンの香ばしい香りと、生ハムの香りがふわっと口に広がる。それから球体を軽く舌でつぶすと、中からじゅわっとトマトのエキスが口一杯に広がるのだ。ーー「なるほど、形は全く違うけれど、味は確かにバジルとトマトのブルスケッタだ」と、お客はここで初めて納得する。
山口シェフはこんな風に、食材を細かく分解(この場合はエキスレベルにまで)して、全く新しい形に再構築していく。お客は今まで見たこともない料理を前にして、「何これ? どうやって食べるの?」と驚くが、口に運ぶと、「あ、前にも食べたことある」と気づき、また驚くというわけだ。

※肝心の料理の写真を載せないのは、先に写真で見てしまうと「ふ〜ん」で終わってしまう可能性もあるので。この料理は実際に食べてみてこそ、初めてびっくりできると思うからだ。(というのは半分言い訳で、実は当日カメラを持参しなかったため。ここに載せてる写真は全て取材に同行したカメラマンから掲載許可を得て借りたもの)

食材を「分解」する際に活躍するのが、先に書いた遠心分離機だ。遠心分離機を導入するまでは、鍋でトマトピューレを加熱して、トマトエキスを取っていたとか。だが加熱すると酵素が分解されるので、どうしても味がくどくなる。そこでこの遠心分離機を導入したというわけだ。加熱せずに高速回転させてトマトのクリアな液体(エキス)と色素とに分離させることで、酵素が分解されず、よりすっきりとピュアな味わいのトマトエキスを取ることができる。
手順としては、生絞りのトマトピューレを入れたビーカーを遠心分離機にセット。高速回転させて取ったピュアなトマトエキスをゼラチンコーティングで球体にし、さらに表面に焼きたてパンと生ハムの香りをつける。その球体をサイダー水が入った容器に入れて、お客にサーブする。
「いったいどうやって焼きたてパンと生ハムの香りをつけるんだろう?」と不思議に思うが、遠心分離機では「香りだけ」を抽出することが可能なのだとか。外見は爬虫類の卵のような球体ゼリーに、トマトとパンと生ハムの香りが閉じ込められているなんて。「その人の“食の履歴"にない料理を出したい」と山口シェフは話すが、確かにこんな料理は食べたことがない。「わっ、何コレ」と驚きつつもしっかりおいしいのは、斬新な手法を取りつつも、「バジルとトマトのブルスケッタ」の味を見事に再現しているから。実はこれも山口シェフの狙い通り。シェフいわく、人間は、これまで食べたことのない味はおいしく感じにくいのだそう。なので食の履歴にない料理をつくりつつも、過去にどこかで食べた味を再現しているとか。
つまりカタチは新しいけれど、味はなつかしい。例としてシェフは、鮎の塩焼きを分解して、フレンチとして再構築するメニューを挙げてくれた。見た目は全く鮎の塩焼きに見えないけれど、食べると確かに鮎の塩焼きで、昔、夏休みに田舎の清流で取った思い出がよみがえってほっとする。そんな過去へのタイムスリップ体験ができるのも、レストランの楽しみのひとつとシェフは言う。
「レストランでは食事だけでなく、もっと色んな楽しみがあっていい。そのひとつに疑似体験がある。たとえばシェフがワインの産地について話せば、お客はその産地へと旅をする。料理の歴史について話せば、タイムマシンに乗って過去にも行ける。そういういろいろな疑似体験ができる場なんですよ」。

ただ目新しい料理を出すだけでなく、レストランでの「楽しみ方」までも提案している山口シェフの新しい試み。だがそれができるのも、ベースがしっかりしているからこそ。先に書いた「素材を一度分解して、その風味や味わいを再構築する」というのは山口シェフの師、ベルナール・ロワゾー氏の考え。それをベースにしつつ、日本ならではの「陰翳」を意識しながら、ドキドキ・ワクワク感あふれる新しい世界を展開していきたいと山口シェフ。その世界はぜひ一度体験するに値する。
「でも、お高いんでしょ?」ーーまあ、そこそこ。昼・夜ともコースのみだし。でもランチコースは3,620円からあるので、決して手の届かない値段ではないと思う。ちなみに「エ・オ」とは「エロージュ・ドゥ・ロォーンブル」の頭文字で、日本語に訳すと「陰影礼賛」。そしてさらに「エオ」は、フランス人が友達を呼ぶときの呼びかけでもあるらしい。「エーオ!」という風に。

さらにこのお店は内装もユニークだ。
〈3〉に続く
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「食べたら死ぬかも」というスリルを楽しむレストラン。〈1〉
他人の仕事の話って興味ある人は少ないから、普段あまり仕事の話は書かないんだけど、この店は書きたい!というお店と先月、出会った。
あべのハルカスのレストラン「エ・オ<ベルナール・ロワゾー・スィニャテュール>」である。
※スィニャテュールとは「署名」の意味

オーナーシェフは世界が認めたグランシェフ・山口浩。彼が生んだ日本の最新ガストロノミーうんぬんと解説する前に、まずコレを見てほしい。
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どう見てもレストランの厨房には似つかわしくないこの機械。それもそのはず、コレ、実は調理機器ではなくて医療機器。高速回転で過大な力をかけて、血液の血清分離などを行う遠心分離機なのだ。

そんなものがなんでレストランの厨房にあるのだ。

製造元のKUBOTAからも「この機器を飲食店の厨房に入れたのは初めて」と言われたそう。だがフランスでは、厨房に遠心分離機があるレストランも、たまにあるのだとか。(つまりフランスでも決して一般的ではなく、珍しい)
この遠心分離機を使って、いったいどんな料理を作るのか? 一例を挙げると、この日、私がいただいた「バジルとトマトのブルスケッタ」。メニュー名だけ聞くと、カットされたフランスパンの上にトマトが乗った、あのお馴染みの料理をイメージするはず。
だがテーブルに運ばれてきたのは、科学実験に使うビーカーのような丸い容器。容器の中には透明の液体。その液体にはこれまた透明のゼリーのような球体がぷかぷかと浮かんでいる。
……あのう、これのどこが「バジルとトマトのブルスケッタ」?  トマトはどこ? パンはどこなん?
お客の頭の中はたちまち疑問符で埋め尽くされる。この時点でもうすでに、お客は山口シェフの術中にハマッている。「この店では好きなことをやらせてもらう」という山口シェフが目指しているのが、お客に「おいしい」以外の食体験を与える料理。まるで遊園地に来たようなドキドキ・ワクワク感を、レストランで味わってほしいというのが、シェフの狙いなのだ。

遊園地ではドキドキ・ワクワク感だけでなく、絶叫マシンに乗って「死ぬかと思った」という体験もする。それすらも、この店で体験してほしいと山口シェフ。「レストランで『ぎゃー!』とか『死ぬかと思った!』という体験があってもいいと思うんですよね」と笑顔を見せる。言ってるのが有名な山口シェフだから「なるほど」と感心してしまうけど、言葉だけ抜き出したら、かなりとんでもないことを言ってると思う。レストランで「死ぬかと思った」という体験? もしかして、料理に致死量ぎりぎりの毒でも盛るとか? 
もちろんそんな料理はない。だが意味的にはわりと近い。山口シェフが着目しているのが「苦み」のある料理。「これ、にが〜い」と渋い顔をされるなど、とかく敬遠されがちな「苦み」に訴えかける料理を出したいと意欲を見せる。これってかなり大胆な挑戦だと思う。というのも、これも山口シェフに教えてもらったことなんだけど、本来「苦み」は人間にとっての「毒信号」だからだ。

もともと人間は生命を維持するために、カロリーの高い、すなわち栄養価が高いものを「おいしい」と感じるようにできている。
人間が持つ33の味覚センサーのうち、苦み系センサーが25もあるのも、食べる前に毒を嗅ぎ分けることができないと、生命の維持が危ういからだ。その「苦み」に訴える料理を出すということは、「これ食べたら死ぬかも」というドキドキ感を人間に与えるということ。それこそが、山口シェフの狙いなのだ。「これ食べたら死ぬんじゃないか、とドキドキしながら楽しんでもらいたいですね」。

※長くなったので〈2〉に続く。
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非常事態にガラケー復権?
先日の台風による「車中泊」。まさか電車の中で一晩過ごすと思わなかった人たちが乗り合わせた車内では、翌朝、ところどころからこんな声が聞こえてきた。
「すみません、iPhoneの充電器貸してくれませんか?」
iPhoneって一日で電池がなくなるんだ、と知ったのはちょうどこの時。そのことを裏付けるように、充電器持参の乗客が何人かいた。特急列車である伊勢志摩ライナーには各座席にコンセントがついており、彼らはそのコンセントに充電器のコードを差し込み、iPhoneを充電していた。それを見た他の乗客が、自分のiPhoneを充電させてほしいと頼む光景を何度か見かけた。

どこかに出かけるたびに充電器を持ち歩くとか不便……とそれを見て感じたけれど、そういう私も、持参していたノートmacの電池がなくなってからは暇で、充電器を持ってくればよかったと後悔していた。なのでノートmacの電池が切れてからは、もっぱらガラケーでゲームをしていた。なんせ私のガラケーは異常に電池の持ちがいい(というか、それくらいしか取り柄がない)。普段から一週間くらい電池が持つから、一日くらい充電しなくても全然余裕。昨夜から今朝にかけて、今の状況を知らせるため家族に5回ほど電話したけれど、電池の残量を示すメモリが1つも減っていない。つまりそれだけシンプルな機能しかついてない機種ということだけど、こういう非常事態には「電話をかける」機能があれば充分で、それより電池の持ちがいいことの方が重要かも。なんや、非常事態には断然ガラケー有利やん(笑)。実は最近、自分のケータイのカメラの性能が不満で、そろそろスマホに乗り換える時期かなと思ってたんだけど、今度のことでまたガラケー使い続けたくなったじゃないか、どうしてくれる(笑)。

でも今の機種はカメラがイマイチだし……あ、もっとカメラの性能がいいガラケーに乗り換えればいいのか  こうしてますます時代から取り残されていくのであった。
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リピーターの多いホスピス病院〈5〉
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病室の窓からの風景。阪急電車の線路沿いの桜がちょうど見頃だった。

■ホスピスの原点への回帰

病室を出た後は「特別浴室」を見学。院内には普通の浴室もあるが、そこを利用できない状態の時は「特別浴室」を利用する。ここでは、ベッドに寝たままお風呂に入ることができるのだ。
といっても「病室のベッドのまま」という意味ではない。病室からこの部屋までベッドで来て、そこから浴室に備え付けられた寝台に移動。するとその寝台が風呂桶にスライドして、そのまま風呂桶に沈み、お湯につかることができる。風呂桶は広いので、親や看護師も一緒に入って、子どもの体を洗ってあげることが可能だ。
「子どもはやっぱり喜びますか?」と聞くと「そりゃあ、もう。目の輝きが違いますよ」とスタッフ。それを聞いて他の見学者たちも大きくうなずいた。「うちの子も、入院中にお風呂に入れてあげたかった。でもベッドの上で体を拭いてあげることしかできなくて……」と、感慨深げに語る人もいた。

浴室を後にした一同は、次は三階へ移動。この階には患者の見舞客などが泊まるゲストルームがある。ゲストルームは和室と洋室の二種類。さらにこの階は「集い」と名付けられているだけあって、シアタールームやパーティールーム、ちょっとした演奏会ができるステージスペースなどもあった。なかでも、見学チームから好評だったのがシアタールーム。白い壁一面 に、ディズニーの「ファンタジア」を映していた。映写方式はパソコンのDVDからなので、患者が好きなDVDを持って来て、それを大画面で鑑賞することができる。椅子は仰向けに寝ころべるソファ。このソファの座り心地(というか寝心地)が抜群で、一度仰向けになったら、しばらく起き上がりたくなくなるほど。

このシアタールームにしろパーティールームにしろ、「病気の子どもと共に過ごす楽しい時間」を作れるようにという、設計側の思いが感じられる。それはこの三階の「集い」病棟に限った話ではなく、このホスピス全体のコンセプトのようだ。「そのためにも、ターミナル期の患者さんだけでなく、状態が安定している患者さんにもぜひ利用してもらいたいんです」とスタッフ。その目的のために、このホスピスは「いよいよお別れが近い」というターミナル期の患者だけでなく、8日以内の「医療短期入院」も受け付けている。
事実、「治療と治療の合間に、このホスピスでゆっくり休憩していく子どもさんが多い」とスタッフ。そしてそういう使い方をする人は、このホスピスの居心地の良さが気に入り、二度、三度とリピーターになることが多いのだそうだ。
この話は、私にとって衝撃だった。リピーターの多いホスピスなんて、これまで聞いたことがない。だって従来のホスピスのイメージは「死を待つ場所」。一度入れば、もう二度と生きては出られない場所だったからだ。
だが、そういったホスピスの暗く悲しいイメージを、このホスピスから変えていきたいとスタッフは言う。「治療と治療の合間に、家族や親しい人たちと楽しい時間を過ごすための“休憩所”として使っていってほしいんです」。
始めの方にも書いたように、古来、ホスピスは「旅人の休憩所」だった。その語源はラテン語のホスペス(hospess:主人、客/見知らぬ人)、そしてホスピティウム(Hospitium:暖かいもてなし)に由来する。淀キリのこどもホスピスは、そういったホスピスの原点への回帰でもある。
これまでの“死を待つ場所”というホスピスのイメージを、“休憩所”へと変えていきたい。そのために、あえてこれまでと同じ「ホスピス」の名を使ったのだと、スタッフは力強く話してくれた。
とはいえ、すでに一度ついてしまったイメージを変えていくのは並大抵のことではないだろう。だが同じくホスピティウム(Hospitium:暖かいもてなし)を語源とする「ホスピタリティ」という言葉は、「心のこもったおもてなし」の意味として広く一般化している。ホスピスという言葉も、いつかそういう風に、元の意味へと回帰していくことを期待したい。

■天国への凱旋は正面玄関から

見学を終えて一階に戻ると、チャペルのステンドグラスが目にしみた。チャペルの隣には「やすらぎの部屋」と題された小部屋があり、のぞくと、部屋の壁には十字架。そして椅子が一対一で向かい合っていた。心を落ち着けて話したい時や、また霊安室としても使われている部屋らしい。
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この「やすらぎの部屋」は病院の裏口に近いので、患者が亡くなった際にはこの裏口から棺が搬出されるのかと思ったら、ちがった。「私たちの病院はキリスト教精神に基づいているので、堂々と正面玄関から棺を送り出します」とスタッフ。 その言葉に、他の見学者たちは衝撃を受けたようだった。「死んだ患者は裏口からひっそりと運び出される」というのが一般的な病院の慣習で、彼らもそれを経験してきたからだ。
だがキリスト教においては、死は悲しいお別れではない。死を「召天」と言い表すことでも分かるように、天国にいる神のもとに召されていく栄光の瞬間であり、遺された人にとっても、やがて天国で再会するまでの「一時のお別れ」なのだ。
だからキリスト教の死に、じめじめとした湿っぽい雰囲気はない。天国への喜ばしき凱旋を、堂々と正面玄関から見送るのだという。その際に賛美歌を流していると、スタッフは言った。何の賛美歌かまでは聞かなかったが、恐らく320番ではないだろうか。キリスト教の葬儀でよく歌われるこの賛美歌は、また、タイタニック号が沈没する際、同船のバンドが沈みゆく船上で演奏した曲としても知られている。
天国へ昇る(主のもとに行く)喜びを歌ったこの賛美歌の歌詞を最後に記して、この見学記を締めくくりたい。

主よ、みもとに 近づかん
登る道は 十字架に
ありとも など 悲しむべき
主よ、みもとに 近づかん

(2番〜4番省略)

うつし世をば 離れて
天駆(あまが)ける日 来たらば
いよよ近く みもとに行き
主の御顔を あおぎ見ん


ホスピス病院正面玄関
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リピーターの多いホスピス病院〈4〉
■手作りの「あかり」に癒されて

病室の扉の横には、それぞれ形の違った照明が取り付けられていた。これは同じ東淀川区にある「照明塾」から寄贈された手づくりの「あかり」で、その数なんと100点。通路の壁面にはそのあかりが並べられ、患者は好きなあかりを選んで、自分の部屋の扉につけることができる。これならいちいち自分の部屋の番号を覚えなくても大丈夫。小さな子どもでも簡単に自室を見分けることができる。
あかりの中には電球が入っており、コンセントがついている。コンセントが差し込めるよう、扉にはあらかじめ差し込み口が作られている。このホスピスの設計段階から「照明塾」があかりの活用を提案したからこそ、実現した傑作アイデアだ。
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この中から好きなあかりを選んで、自分の部屋の扉につけることができる。

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マトリョーシカのあかり。女の子の部屋にぴったりかも。

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アザラシのあかりは四葉のクローバーがアクセント。

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こんな風にしてコンセントを差し込みます。

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「あかり」は子どもホスピスだけでなく、四階の一般ホスピス病棟でも活用されている。

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まるで壁をよじ上っているような、遊び心あふれる作品も。

病室の他にも、様々な部屋で使われている「あかり」。こちらは面談室。
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同じウサギでも、デイルーム「がっこう」に設置されたこちらのウサギはポップな雰囲気。作る人によって個性豊かなのが楽しい。
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同じくデイルーム「がっこう」に設置されたリスのあかり。
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プレイルーム「おそと」には犬のあかりが。チワワかな?
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ゲストルーム(洋室)のあかり。日中でもあえて部屋を暗くして、ほのかなあかりを楽しみたくなる。

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ゲストルーム(和室)には、和の趣のあるあかりを配置。

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照明塾の作品展示コーナーもあった。これは教会。

照明塾
http://www.shomeijuku.com/

〈5〉に続く
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リピーターの多いホスピス病院〈3〉
■病気の子どもがもっとも行きたい「三つの場所」を院内に

ぽかぽかと気持ちいいスカイガーデンを出て、次に向かったのは二階フロア。ここが、日本初となる子どもホスピス病棟。エレベーターから降りたとたん、「かわいい!」と歓声が上がる。正面の壁には青空に虹がかかり、床には天然木が敷き詰められている。大人のホスピス病棟に敷かれている木より、やや明るい色の木を使っているのが特徴だ。
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子どもホスピス病棟の受付

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受付の机には「照明塾」から寄贈されたウサギのあかりが。花束をかかえて、訪れる人を歓迎しているよう。

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通路はベッド同士がすれちがっても余裕の広さ。外から差し込む日差しがあたたかい。

受付のすぐ隣には、大きな窓から陽光が差し込むプレイルームがあった。後で教えてもらったが、このプレイルームは「おそと」と名付けられているらしい。この病棟には他に、子どもたちが集うデイルームが二つあるが、それぞれ「おうち」「がっこう」と名付けられている。
「入院中の子どもがもっとも行きたい場所が、おうち、おそと、学校の三カ所だと思うんですよ。だからそれらをイメージした場所を病棟内に作りました」とスタッフ。このプレイルームが「おそと」と名付けられたのは、「もっとも体調が良い時に利用する部屋だから」だそう。他の部屋も、「がっこう」は、開閉式の扉を閉めることで集中して作業ができる。また「おうち」は、キッチンカウンターとリビングテーブル、ソファに囲まれたつくりで、「家」で遊んでいる感覚に近くなるよう工夫されている。
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プレイルーム「おそと」。写真に写っていない左のスペースで兄弟たちが遊んでいた。

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プレイルームの壁にも、「照明塾」から寄贈されたあかりがあった。まるで小鳥とお話しているよう。

病気の子どもにやさしい施設は
 「きょうだい」にもやさしい。

そして「おうち」「がっこう」はデイルームだが、「おそと」は、病棟内唯一のプレイルーム。色んなおもちゃが置かれている。また、壁はツルツルしたホワイトボードのようになっており、専用のペンで落書きした後、また消すことができる。子どもの夢である「壁に落書き」が好きなだけできるというわけだ。
床には木材が敷かれている。その床を触りながら、「もし子どもが転倒して頭を打っても大丈夫なように柔らかいんですね」とたずねた私は、言い終わってからはっとした。そんな、転倒するほど元気に遊べるような状態の子は、ここにはいないのだと。院内の雰囲気があまりにも病院らしくないから、すっかり、ここがホスピスだということを忘れていた。
私のとんちんかんな質問にも、スタッフの方は笑顔で「実際にここで遊んでもらうときは、床にクッションシートを敷き詰めるんですよ」と教えてくれた。

私が勘違いしたのには、もう一つ理由がある。ちょうどそのときプレイルームで、見るからに元気そうな男の子たちが三人、遊んでいたのだ。彼らは、ここに入院している子どもたちの兄弟なのだそう。私たちがさっきまでいたスカイガーデンに入院中の子どもたちが移動したので、その間、このプレイルームで遊んでいるらしい。つまり彼らは今日、恐らく初めて出会った子どもたちなのだろう。なのにすっかり意気投合して一緒に遊んでいる。まるで本当の兄弟か、昔からの友達のように。
重い病気と闘う場合、当事者である子どもはもちろん辛いが、その子どもの兄弟もとても辛い思いをする。親が心身ともに病気の子どもにつきっきりになり、兄弟はどうしても後回しにされるからだ。面倒が見られないからと、祖父母の家に預けられることも多い。病気の子どものために作られたこのホスピスは、そんな、ふだん寂しい思いをしている兄弟にとってもやさしい施設なのではないだろうか。

その思いは、病室を見学してさらに強くなった。部屋は12室で、こちらも全て個室。大人病棟の病室はまるでホテルのようだったが、子どもの病室はそのまんま「子ども部屋」のよう。家の子ども部屋をそのまま移植したようなかわいらしさで、例えば「くまのプーさんの部屋」なら、壁紙もカーテンもプーさんの柄で統一されている。このように、部屋それぞれが子どもの好きなキャラクターで彩られ、他にも「リロ&スティッチの部屋」などがあった。
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壁紙やカーテンがスティッチの絵柄で統一された「リロ&スティッチの部屋」。

30平方メートルを越えるゆとりの病室はトイレ・浴室・キッチン・冷蔵庫付き。ベッドスペースの隣に、ソファとテーブルが置かれたリビングスペースがある。ソファはベッドにもなるタイプで、家族はそこで寝ても良し、布団を借りて床に敷いて寝ても良し。患者用ベッドも、ベッドから転落する危険がある場合などは、床に布団を敷いて寝ることもできる。
特筆すべきは、ベッドの横に子ども用の勉強机があること。これぞまさに「子ども部屋」。実際は、机に座って勉強できる状態の子どもはほとんどいないかもしれない。だが子どもにリラックスしてもらえるように、なるべくふだん過ごしている部屋と同じレイアウトにすることが必要だと、設計者は考えたのだろう。
それにこの勉強机は、病気の子どもの「兄弟」のためにも作られたのではないだろうか。机以外にも、クッションシートの上におもちゃが置かれたキッズスペースなど、この部屋には「きょうだい」のためのスペースがちゃんとある。普通の病院では病室に入れてもらえない兄弟も、この病室なら、病気の兄弟と共に遊び、家族一緒に過ごすことができる。それは将来、どれほどかけがえのない思い出になることだろうか。

〈4〉に続く
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リピーターの多いホスピス病院〈2〉
■ステンドグラスの光に迎えられて

ホスピスの起源は古い。どれくらい古いかについては諸説あって、およそ2000年前のローマ帝国の時代(新約聖書が書かれた時代)という説もあれば、11世紀の十字軍の時代だという説もある。
「時代」だけでなく「場所」についても様々で、教会という説もあれば、修道院という説、また聖地巡礼の巡礼者を泊める宿泊所という説もある。共通しているのは、疲れ、傷ついた旅人をもてなし、癒すための場所がその起源だということ。金持ちであろうと貧しい人であろうと関係なく、傷ついた旅人を誰でも受け入れ、食べ物と宿を与えてもてなした。怪我や病気をしていた場合には手当てをし、治らない場合にはその死をもやさしく看取ったという。これがホスピスの起源であり、その根本には「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」(聖書・マタイによる福音書25章40節 )というキリストの言葉がある。
日本のホスピスの先駆けとなった淀川キリスト教病院も、このキリストの言葉を「病院の理念」としてかかげ、ホスピス医療に力を注いできた。その淀キリが、2012年11月1日、日本初のこどもホスピスを開設。「やはり淀キリが最初につくってくれた」という感謝と、「でも、それまでと全く違う病院に転院することは、果たして子どもにとって幸せなのだろうか」という疑問。それらがないまぜになったまま、見学当日を迎えた。

前述したように「ホスピス=死を待つ場所」のイメージが強い私は、院内に入るにはきちんとした格好でなければと思い、センタープレスのパンツに襟付きシャツをインするという、「仕事でもそんな格好しないだろ」というカッチリした服装で赴いた。また、厳かな場所なので撮影禁止だろうと思い、カメラも持っていかなかった。(記事中の写真は、一緒に見学した方から送っていただいたもの+照明塾から許可をもらってお借りしたものである)
だが院内に入ってすぐに、それはイメージ違いだったということに気づく。
もちろん、ホスピスが厳かな場所であるということに間違いはない。そこを見学させてもらうのだから、それなりにきちんとした服装をしていくのは礼儀だろう。 ましてや、日本初の子どもホスピスである。まだ幼い子どもが親よりも先に死んでいくことより辛いことが、この世にあるだろうか。だがそれは、「ホスピス=死を待つ場所」という固定観念にとらわれすぎていたことが、実際に見学してみて分かった。

まず、院内の雰囲気が病院らしくない。玄関から入った私たちを真っ先に迎えてくれたのは、ステンドグラスのあたたかな光。玄関の右手にある、こじんまりとしたチャペルからの光だった。
チャペルの礼拝には病院職員や患者家族らが出席。牧師は淀キリの母体であるキリスト教団体「ジャパンミッション」からつかわされていると、案内役のスタッフが教えてくれた。
礼拝がいつ行われているかは聞きそびれたが、恐らく毎朝、行われているのでは。一日の始めにまず礼拝で祈ってから、職員は仕事につくのではないだろうか。チャペルの椅子には、新共同訳聖書と賛美歌が収められていた。
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チャペルのステンドグラス

■まるでホテル。緊急事態の対策も万全

「ホスピス・こどもホスピス病院」なので、四階は大人のホスピス病棟、二階は子どものホスピス病棟に分けられている。始めに見学したのは大人のホスピス病棟だったが、エレベーターから降りてびっくり。ゆったりと広い廊下、木を基調にしたシックな内装、暖色系の光で院内をあたたかく包むダウンライトなど、どれを取っても上質なホテルのよう。全て個室となる病室も、それぞれゆったりとした広さがあり、車椅子に乗ったまま、またベッドに寝たまま出入りできる。中でも感心したのはトイレと浴室。もし中に入っている時に具合が悪くなって倒れた場合、他の人が中に入って助けたくても、中から鍵がかかっていたら入れない。そんな緊急事態には、扉の上のスイッチをボールペンのようなもので押すと、鍵がかかっていても扉ごと外すことができるのだ。
またトイレには、疲れた時には前にもたれかかることができるよう、手動で操作できるシートも設置されている。
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大人のホスピス病棟のロビー。奥にはキッチンと冷蔵庫があり、宿泊者が自由に利用できる。見学したのが三月なので、お雛様が飾られていた。

■空と電車と飛行機をひとりじめ

五階に上がると、さらに大きな感動が待っていた。最上階となるこの階は「宙(そら)」と名付けられており、スカイガーデンとカフェラウンジが設けられている。カフェを通ってスカイガーデンに出たとたん、見学チームから歓声が上がった。青空の下にウッドデッキが敷かれ、周りにはたくさんの花と緑。そしてすぐ下には阪急電車の線路と、満開の桜並木。なんて気持ちのいい空間だろう!
さらに、上空を伊丹空港へと行き来する飛行機が飛んでいる。「電車と飛行機、両方見ることができるから子どもさんに好評なんですよ」とスタッフ。確かにこれは楽しい。以前は単なるコンクリートの床の「屋上」だった部分を作り替えたこのスカイガーデン、「ガーデン」というだけあって、床にウッドデッキを敷き、花壇を作って「おうちの庭」を再現している。
外でお茶や軽食が楽しめるよう、テーブルと椅子も配置。ごろんと寝転べるベッドもある。強風を遮りつつ、景観を邪魔しない強化ガラスで周囲をおおっているので、ちょっと風が強い日も安心だ。隣接しているカフェで出されるお茶をここで楽しむこともできるし、外から食事を持ち込むこともできる(はず)。
今、花壇に植わっている花はボランティアが植えたそうだけど、ゆくゆくは患者が花や木を植えて、その成長を楽しめるようになるといいな。なんせ去年11月にオープンしたばかりの施設、これから新たに始まっていくことも多いだろう。

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スカイガーデンに設置されているホスピスのシンボルマーク。牧師や医師、看護師たちが患者をしっかり支えている。

〈3〉に続く
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リピーターの多いホスピス病院〈1〉
■「休憩所」としてのホスピスを目指して

先日、日本初の医療型子どもホスピスである「淀川キリスト教病院 ホスピス・こどもホスピス病院」を見学させていただいた。
日本で唯一の「子どものためのホスピス」として注目されているこの病院。「重い病気や障害を持つ子どもが、家族とともに安らかに過ごせる場所を」という目的の他に、実はもう一つ目的があった。それは「日本におけるホスピスの概念を、このホスピスから変えていきたい」という希望。目指すは、治療という長い旅の途中に立ち寄る「休憩所」としてのホスピスである。


■つきまとう“死”のイメージ

淀川キリスト教病院、通称「淀キリ(よどきり)」のことは、以前から柏木哲夫先生の著作などを通じて知っていた。柏木先生は淀キリのホスピス医として40年近く勤務。日本におけるホスピス医療の先駆けとなった。「淀キリのホスピスは素晴らしい」「淀キリといえばホスピス」のイメージが広まったのは、この柏木先生の功績が大きい。
私も柏木先生の著作に感動した者の一人で、その著作を読みながら「私もこういう死を迎えたい」「死ぬときは淀キリで」などと思ったものだった。つまり無意識のうちに、「ホスピス=死」というイメージで捉えていたのだ。
だが私以外の人たちも、そのようなイメージで捉えていることが多いのではないだろうか。ホスピスというのは「もはや医者の手におえなくなって、死を待つばかりの人が行くところ」というイメージ。それまで一般病棟にいた人が「ホスピス病棟に移る」と聞くと、「ああ、もう……」と沈痛な気持ちになる。いや、たとえ院内にホスピス病棟がない病院であっても、それまで相部屋にいた人がナースステーションの近くの個室に移ると聞いただけで、「そろそろ死が近いのだろうか」と思わせられる。

■「ホスピス病院」は必要か?

患者以外の人でさえホスピスをそんなイメージで見ているのだから、当の患者やその家族が、医療スタッフから「そろそろホスピスへ」と言われた時の気持ちはいかばかりか。「ついに医者から見放された」と感じて、落ち込むことも多いと聞く。長期にわたって闘病している人は、主治医を信じて頼っていることが多い。その主治医から見捨てられたという絶望感は、ある意味、体の痛みよりも辛いのではないだろうか。
同じ院内にホスピス病棟があり、それまでの主治医が時々顔を見せてくれるような環境にいる場合は、まだマシだ。病院そのものが変わって、慣れ親しんでいた主治医や看護師たちから離れ、全く新しい環境に移らなくてはならない辛さ、寂しさ。「だから私は、ホスピス病院というのにはあまり賛成じゃないの」と、医師である夫とともにアメリカで過ごした経験を持つ女性は言う。「それまでの環境から引き離されて、新しい環境に身を置いても安らかな死は迎えられないんじゃないかしら。アメリカでは入院費がとても高いので、自宅で治療を受ける人が多い。そういう人はターミナル期になると“ホスピスプログラム”を買って、それまでと同じ環境で過ごしながら、ホスピスケアを受けることができる。医療スタッフや宗教家が家に来て、安らかな死を迎えるための様々なケアをしてくれるの。私もアメリカにいる友人から、『これが最後の手紙です』と書かれた代筆の手紙を受け取った。がん末期の友人の代わりに、ホスピスプログラムのスタッフが手紙を書いてくれたのよ」。
だから彼女は、日本におけるホスピスのあり方にはやや批判的だ。保険制度が整っている日本では、アメリカと違い、病院で死を迎えることが多い。その場合もなるべく環境を変えずに、それまでと同じ病院、同じ医療スタッフに見守られながら、ホスピスケアを受けられるのがベストだと言う。そしてそれは大人だけでなく、子どもの患者も同じなのだと。

■死は自覚できても、選択権がない「子ども」

「でもホスピスケアを受けるかどうか、子ども自身が決められるの? そもそも子どもは、自分の死をきちんと自覚できないんじゃないの?」と思う人もいるかもしれない。だがどんな幼い子どもでも――たとえば2、3才の子であっても、言葉にして伝える術を持たないだけで、自らの死が近いということは自覚しているものだ。そういった事例を私はこれまで本や、また周りの人からたくさん聞いてきた。先日、一緒に「こどもホスピス」を見学した人たちの中には、我が子を病気で亡くした親も少なくない。彼らは言う。「自分がもうすぐ死ぬ ということは、小さな子どもでも分かる」のだと。
だが子どもが、大人の患者とは決定的に違う点が一つある。それは、治療に関する選択権および決定権を持たないことだ。少し大きい子どもになるとある程度の意思表示はするだろうし、親もそれを尊重するだろうが、最後に決定するのはあくまで親で、病院の書類にサインするのも親である。
ホスピスの場合もそうだ。 大人なら、ホスピスに移るかどうかを自分で考え、決めることができる。だが子どもは、自分で決めることができない。だからなおさら、それまで慣れ親しんでいた環境から引き離される「ホスピス行き」は過酷なのではないだろうか。長年つきあってきた主治医や看護師を、親のように慕っている子どもは少なくない。 「最期は家で」という病院と親の意向で、ターミナル期を家で過ごしていた子どもが、いよいよ最期になって「病院に戻りたい」と親に訴えた例もある。家で親と過ごすよりも、いつでも主治医に会えて、すぐに痛みを取りのぞいてくれる病院の方が安心するのだろう。

もちろん、最期をどういった環境で迎えるのがベストなのかは、その子どもによって様々だ。この子の場合は「最期は家で」でも「最期はホスピスで」でもなく、「それまでと同じ病院で」旅立ちを迎えるのが望みだったということ。先日、見学した淀キリのこどもホスピスの看護課長は、「大人のホスピスには歴史があるのでマニュアルがあるが、子どものホスピスはまだ始まったばかりで、マニュアルがない。だからこれから作っていかなければならない」と語っていた。日本のホスピスの先駆けともいえる淀キリでさえ、そういう、いわば手探りの状況なのだ。つまりそれだけ、子どものターミナル期というのは難しい問題なのだともいえる。

〈2〉に続く
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家から歩いてワールドカップ。
ちょっと昔の話をしたいと思う。

2002年の日韓ワールドカップ。日本での開催という人生でまたとないチャンスだったが、私が観戦したのは2試合。これって、サッカーファンの中ではどちらかというと少ない方だと思う。私の周りは「見れる試合は全て見る」って感じで、連日の睡眠不足で目を血走らせながら5試合以上見てる人がわりといたし。もちろんスタジアムで、である。
だが量よりも質。私が見た2試合は、2試合とも実に印象深い、「濃い」試合だった。とりわけ初めに見たドイツ対アイルランド戦(以下ドイアイ)は、大会のベストゲームといっても過言ではなく、私も大いに感動して、試合会場がある鹿島から大阪に帰ったその翌日には、もう観戦記を書き上げていたほどだった。感動は熱いうちに書け、である。
それほどいい試合だった、あれは。……あくまでサッカーファン的には、だが。ドイツファン的には、終了間際のロスタイムに同点にされるなんて悪夢だし、後味の悪さといったらない。しかしその時間にはもはやすっかりアイルランドサポに寝返っていた私は、周囲のアイルランドサポと一緒に拍手喝采して喜んでいたのでした(呆)。なんてまあ、周りのムードに流されやすい性格なの……。試合開始時にはドイツを応援する気満々で、ドイツユニを着て颯爽とスタジアムに乗り込んだにもかかわらず!
たまたま座席がアイルランド側(サッカーのメーリングリストで譲ってもらったチケットなので、ドイツ側を選べなかった)で、周りをアイルランド人に囲まれていたからなどという言い訳は通用しない。筋金入りのドイツファンなら、周りでアイルランドサポがほとんど健気ともいえるほどの懸命な応援を繰り広げようが、びくともせずに最後までドイツを応援するはず。だがあいにく私にそこまでの信念はなかった。
まあアイルランド側に座っていたおかげで、クローゼの先制点をアシストしたバラックのドンピシャクロスを目の前で見れたわけだけれども。いや、目の前というのはちょっと誇張か。正確には「目の下」ですね。私の席のほぼ真下まで、サイドラインをドリブルで駆け上がって来た。追いかけてくるアイルランド選手の顔を、肘で押しのけるようにしてあしらいながら。(相手選手が小柄なので、ちょうどバラックの肘のあたりに相手の顔があった)
まだファンになって日が浅かった私はそれを見て、「ああいうラフプレーもするんだ」と意外に思ったものだった。そしてちらっとゴール前をルックアップした後、左足を振り抜いてクロスを上げた。あの左足のキックは今も鮮烈に目に焼き付いている。
そして先制点が決まった。その時はまだ試合前半だったので、私もまだ寝返っておらず、周囲のアイルランドサポから嘆き声が上がるなか、一人ひっそりと心の中でガッツポーズを作っていた。だが先制点に喜ぶ反面、「やばい。この時間帯にドイツが先制すると、九割九分このまま1対Oで試合が終わってしまう。せっかくはるばる大阪から夜行バスに乗って見に来たのに、そんなおもんない試合は嫌やねん」などとけしからんことを感じていた。しかし結果はご存知の通り。私がロスタイムの同点ゴールに感動したのは、自分の予想がいい方向に裏切られた爽快感もあったのだと思う。

で、ワールドカップ初観戦でこんな名試合に恵まれた私は、その少し後に見たもう一つのライブ観戦「トルコ対セネガル」(以下トルセネ)の印象が、どうしても薄くなってしまっている。だが片方のドイアイがあまりにも神がかっていただけで、トルセネも充分スーパーな試合だった。この試合のチケットもドイアイと同じく、サッカーのメーリングリストで譲ってもらったものだった。実は、もし日本が勝ち進んでいたら、日本対セネガル戦になるはずだったんだよねこのカード。しかし日本がトルコに負けたので、チケットを持っていた人たち、つまり日本代表サポの人たちが大量にチケットを売りに出し、運良く私がそれを購入できたというわけ。こう書くとまるで私が「日本が負けてラッキー」と思ってるみたいだけど、やっぱり日本が負けてがっかりしましたよあの時は。トルシエ監督好きだったし。(って、選手ではなく外国人監督をひいきにしてるあたり、やっぱり日本人としてどっかズレてる)

だが日本が負けて残念な気持ちと、一試合でも多くワールドカップの試合を見たい気持ちはまた別。日本が負けたおかげでトルセネのチケットをゲットできた私は、意気揚々と試合会場である長居スタジアムへ。そして試合前のトルコサポの国歌熱唱や、イルハンの劇的なVゴールも見れて、大満足して家路についた。歩いて。
そう、この試合で私がもっとも印象に残っているのは、家から歩いてスタジアムまで行ったこと。そして歩いて帰ってきたことなのだ。
「ホテルから歩いてワールドカップを見に行く」のは、別に珍しくはないだろう。だが「家から」歩いてワールドカップを見に行くなんて体験は、自国開催の時にしかできない、貴重な体験なのではないだろうか。
たまたまこのとき、長居スタジアムの近くのマンションに住んでいたからこそ実現した小さな奇跡(ちょっと大げさ?)。まあ近いといっても徒歩5分とかじゃなく、徒歩30分近くかかったけど(笑)。だから行きはともかく、帰りはけっこうしんどかった。だがこんな時くらいしか「家から歩いてワールドカップ」なんて体験はできないだろうと思い、半ば意地になって、重い足を引きずって歩いて帰った。……アホである。今思えば。だがワールドカップには人をアホにする魔力があるのだ。

それにしてもあの後、イルハンがあんなに日本で人気爆発するなんて思わなかったなー。
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「ノマド=フリーランス」という風潮への違和感。
どうやら自分では全く気づかないうちに、私は時代の最先端を行っていたらしい。

なんてね(笑)。もちろん冗談。実際は、私が最近になってようやく「ノマド」という単語を知った時には、もうこれは時代の最先端じゃなくなってた。というかよくよく「ノマド」の意味を調べると、私は別にノマドじゃなかった。
去年から頻繁に耳にするようになったこの「ノマド」という単語。もともとは「遊牧民」という意味で、遊牧民のように様々な場所を自由に移動しながら働くワークスタイルのことを「ノマド」と表現するらしい。
そういうワークスタイルが可能になったのは、ノートパソコンやタブレットなどの「持ち歩ける」パソコンが登場し、Wi-Fi環境を備えたカフェなどが増えてきたからこそ。だから一般的なイメージは、「カフェでノートパソコン(象徴としてよく名が上がるのがMacMook Air)を開いて作業をしているフリーランス」なんだとか。
わ、なんだかちょっとカッコいいかも。「満員電車や就業時間に縛られない、新しいワークスタイル」として話題になるのも分かる。そして「私ってもしかして最先端? カッコいい?」と一瞬だけ喜んだ(笑)。でもすぐ我に返って「ちがうな」と。だってフリーになってこのかた8年、一度もカフェでノートパソコンを開いた事がない。MacMook Airは持ってるけど、家の外に持ち出したことは一度もなし。いったいなんのためのモバイルやねん(笑)。まあもともと、Airを買った一番の理由が「キン肉マンのWEB連載が読みたい」だったし。今は仕事に使う事もあるけど、もっぱら家で作業している。理由は単純。カフェで作業するより、家で作業する方が落ち着くから。

これは私だけでなく、フリーランス全体を見てもそういう人が多いと思う。集中して作業するには、「いつも使っている机、本棚、ファックス機」などがまわりにないと落ち着かないというタイプ。
だから世間一般の「ノマド=フリーランス」という風潮には違和感がある。そもそもフリーランスとは、組織に属さないで働く人のこと。そしてノマドとは、先にも書いたように、遊牧民のように自由に場所を移動しながら仕事をすること。つまりフリーランスは「人」を指し、ノマドは「ワークスタイル」を指す。たまたま「カフェでノートパソコンを開いて仕事をしてる人はフリーランスが多そう」というだけで、実は両者にはまったく関係がない。だから会社員でもノマド的な働き方をしている人もいるだろうし、フリーでも私のように、全くノマド的でない働き方をしている人もいる。

「ノマド=フリーランス」ではないという主張は以上。それはさておき、こういった勘違いが生まれるのも、実は全く分からない話でもない。
※長くなったので〈2〉に続く。


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