何年たっても、まだ狂ってる。
Still Crazy After All These Years (Paul Simon)
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アンコールワット貧乏ツアー〈5〉巨大アリとの遭遇
※注意 虫が苦手な方にはおすすめできない写真があります


砂ぼこりを浴びながらトゥクトゥクに揺られて、約3時間。ベンメリア遺跡に到着した。
遺跡前にあるチケット売場でチケット購入。大人1枚5ドルなり。SN3V0065.jpg
ここで、いつもの一人旅ならさっさと遺跡に向かうところだけれど、今日はツアー参加なのでガイドのサオムさんがGOを出すまでチケット売り場前でしばし待機。
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その待ち時間に、チケット売場の前に生えている木を暇つぶしに観察。異様に大きい実がぶらさがってるなーと思って見ていたら、その木の幹に、これまた異様に大きいアリがうじゃうじゃいるのを発見!
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拡大図。あごがすごく発達しているのが分かる。
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ちょうど近くにサオムさんがいたので、このアリについて聞いてみた。アリの名前は分からないが、カンボジアではよく見るアリらしく、「噛まれたらすごく痛いので気をつけて」とのこと。そりゃ、こんなアリに噛まれたら痛いって、言われなくても分かるって(笑)。
それにしてもこんな巨大アリが、ジャングルでもない普通の村の木に生息しているところが、さすが東南アジアという感じ。

だが巨大アリを見たのは結局、それっきり。うっかり噛まれて痛い思いをすることもなく帰国した。
だが帰国して2ヶ月たった頃、旅行中に知り合った鏡子さんから届いたメールを読んで「あっ」と思った。(以下はそのメールの要約)

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シェムリでご一緒した皆さんへ。いかがお過ごしでしょうか?
本日は皆さまにアンコールワットで撮影した番組をご紹介させていただきます。

放送予定日:2月22日(日)19時半〜20時 NHK総合
番組名:ダーウィンが来た!生きもの新伝説 ツムギアリ

主役であるツムギアリの生き様はドラマがいっぱいで見応えあり!
社会性昆虫ならではのユニークな生態がうかがえます。

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メールを読むまで知らなかったけれど、鏡子さんはNHKの「ダーウィンが来た!」という生きもの番組のリサーチャーらしい。
メールを読んで「もしや」と思った私は、すぐさま「ダーウィンが来た!」のサイトに飛んだ。次回予告ページに大きく載っているそのアリは、まぎれもなく、私がベンメリア遺跡の前で出会ったあの巨大アリ!
そうか、あのアリはツムギアリという名前だったのか。帰国後にようやく名前が分かってスッキリしたけど、鏡子さんからメールで教えてもらったところによると、実は「ツムギアリ」という和名は間違ってつけられたのだとか。
「実際紡いでいないし、機織りのほうがより近い」のだそう。
事情はどうあれ、あのアリとベンメリア遺跡のチケット売場で出会った私としては、「ベンメリアリ」とでも名付けたいところ(笑)。その後の「メインディッシュ」のはずの遺跡がかすむほど、インパクトのあるワイルドなアリだった。
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アンコールワット貧乏ツアー〈4〉「ポル・ポトさんはいい人だった」
自分では意識してなかったけれど、昨夜はやっぱり長時間の移動で疲れていたらしい。その晩は熟睡して、翌朝すっきり目覚めることができた。
朝食を食べた後、ゲストハウスの庭を散策。
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放し飼いされている、でっぷりと太った猫。手足にまでたっぷり肉がついているのがヤバい。

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このゲストハウスは他にも放し飼いの犬がいるし、孔雀も飼っていた。オーナーが動物好きなのかも。

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ゲストハウス前の道路で、記念撮影をしている観光客のカップル。これから利用するだろうトゥクトゥクの前で、運転手を真ん中に写真を撮ってもらっていた。こうして欧米人と並ぶと、カンボジア人の運転手の体の細さが際立つ。この運転手だけでなく、日本語ガイドなど、私がこの旅行で関わったカンボジア人はみんなスリムだった。それもダイエットして痩せた体を維持してるとかじゃなくて、栄養が足りてない感じの細さ。

さてこの日は、本来なら午前中はアンコールトム、午後はアンコールワットを観光する予定だった。そしてその翌日に、ベンメリア遺跡の観光だ。
だが前日にホテルのオーナーから聞いたところ、この日がベンメリア遺跡観光で、その翌日にアンコール観光と、予定が入れ替わってた。理由は分からない。だからこれは推測なんだけど、私が参加しているツアーは日本語ガイド付きなので、そのときどれだけ日本人が参加しているかによって、しょっちゅう予定が入れ替わるようだ。
そんな訳でこの日は朝からトウクトゥクに乗ってベンメリア遺跡に。ゲストハウスが所有しているトゥクトゥク前では、この日、私たちを案内してくれる日本語ガイドさんが待機していた。サオムさんという25才の男性で、シェムリアップ近くの農村出身とか。
サオムさんの家も農家だそうで、そこから大学まで出て日本語ガイドをしている彼は、この国ではかなりのエリートなのではないだろうか。
サオムさんいわく、まだ日本語ガイド試験には合格していない「ガイド見習い」だそうだけれど、カンボジアについて、また遺跡について、なんとか分かりやすく日本語で伝えようと懸命に話してくれた。日本語ぺらぺらとはいかなかったけれど、その「伝えようとする気持ち」が好印象で、拙い日本語の案内でもストレスなく観光できた。やはりガイドさんは「人柄」が大事。 

このサオムさんと、ツアーに参加している三人の日本人がトウクトゥクに乗りこみ、いざベンメリアへ。三人の内訳は、私とナオヤ君、そして同じゲストハウスに宿泊している幸恵さん。この方もとても旅慣れている方で、タイ情報もいろいろ教えてもらった。

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ベンメリア遺跡まではトウクトゥクで約三時間ほど。しばらく走ると町中を抜け、周囲には草原と、その中に点在する農村風景が広がる。


農村の中にまっすぐ一本、敷かれたアスファルトの道路上を走るので、トウクトゥクといってもそんなにガタガタ揺れたりはしない。かわりに、対向車とすれ違うたびに「ぶわぁっ」と舞い上がる砂ぼこりがひどい。まあそりゃ、道路の周囲は土だから。町中を走るのとは訳がちがう。
私は砂ぼこりのことを事前に聞いていたので、サングラスとマスクをつけて完全防備していた。それでもやっぱりサングラスごしじゃなく、この目でじかにカンボジアの村に住む人々の家や、暮らしぶりを見たい。なのでしょっちゅうサングラスを外していたけれど、その時に限って対向車がやってきて、まともに砂ぼこりを浴びるという絶妙のタイミング。ベンメリア遺跡に着く頃にはすっかり全身が砂っぽくなっていた。

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カンボジアの農村の民家は、このような高床式が多い。雨が多いので、雨水の浸水から家を守るためだとか。
また同じ高床式住居でも、屋根に何の素材を使っているかで金持ちか貧乏かわかるらしい。
貧しい家は屋根に木の葉っぱを、金持ちは瓦を使っているそうだ。

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家々の間に、このような売店もある。


売店が集まったショッピングモール?のようなところもあって、トゥクトゥクからいったん降りてぶらり散策。

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これは学校

ベンメリア遺跡への道中で興味深かったのは、周囲の風景だけではない。隣に座っているサオムさんから聞いたカンボジアの様々な話も、初めて聞く話ばかりで「へえ〜」の連続だった。カンボジアは今も農業が中心で、だから子どもたちは親を手伝わなくてはならず、そのため学校は午前中で終わるのだとか。
カンボジアの激動の近代史について聞いてみたい気持ちもあったが、ガイドブックに「カンボジア人には政治の話はタブー」と書いてあったので、私もそのことには触れず、もっぱら道の周囲に連なる民家や、カンボジア料理などについてたずねていた。だが突然、サオムさんがこう言った。
「外国ではポル・ポトさんは悪い人だと言われているけど、本当はそんなことはないんですよ」
思ってもみない発言に私は驚いた。カンボジア人である彼の方から、タブーと聞いていた政治の話をしてきたこと。そしてポル・ポトを擁護するような発言をしたことだ。
彼の方から唐突にポル・ポトの名前を出してきたのは、ポル・ポトの悪評について普段から納得いかない気持ちがあるのかもしれない。
確かに日本では、いや世界中で、ポル・ポトの評判はすこぶる悪い。だが完全な悪人というわけでもなくて、ポル・ポト本人は善良な性格だったという噂も聞く。
サオムさんは言う。「ポル・ポトさんはいい人だったけれど、彼の周りにいた人たちが悪かった」。
彼の話を聞きながら、彼が農家出身だということも関係あるのかもしれない、と思った。ポル・ポトは都市住民を迫害し、農村に強制移住させたと聞く。だが彼の都市住民への迫害はよく聞くけれど、農民への迫害はあまり聞かない。サオムさんは農民である両親から、「ポル・ポトは言われているほど悪人じゃなかった」と聞いているのかもしれない。

それにしてもポル・ポト時代に埋められた地雷がまだ国のあちこちに残っている状態で、カンボジア人はさぞかしポル・ポトを憎んでいるだろうと思っていたのに。彼を擁護するカンボジア人もいることを知り、「人物を一方的に評価すること」の危険性を改めて感じた。

私と彼はその後、シアヌーク殿下についても少し話した。シアヌーク殿下が老年になってようやくカンボジアに戻ってこれたとき、車の中から周囲の国民に手を合わせていたのは「王様のやさしさのあらわれ」だとサオムさんは言っていた。その口ぶりから、彼が今でもシアヌーク殿下を慕っているのが分かった。
シアヌーク殿下が今でも国民から慕われているのは、予想どおりだった。それだけに、ポル・ポトへの、一青年の好意的な評価がますます意外に感じた。「ポル・ポト時代の洗脳がまだ残っているのでは」とは思いたくない。彼はまだ25才で、ポル・ポト時代にはまだ生まれてもいないのだから。
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「この街の空気感を守りたい」。ウラなんばと川端屋商店
先日、飲食店経営雑誌の仕事で「日本橋ビアホール」を取材した。その取材記事は現在発売中の雑誌に掲載されているが、ページ数の関係で元の原稿よりだいぶ短くなっている。誌面の掲載スペースが限られているので仕方ないのだが、川端社長がなぜ、この店を出店したのかということなどがバッサリ削られている。そこで掲載スペースを自由に使えるこのブログに、元の原稿を全文掲載することにした。

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 「この街の空気感を守りたい」
日本橋ビアホールがウラなんばの一等地に出店した理由とは。


「牛高豚低(ぎゅうこうとんてい)」という言葉もあるほど、大阪人は豚よりも牛が好き。だからこそ豚に可能性を感じて、豚にこだわった店を出している」。そう話すのは、大阪市内で7店舗を展開する川端屋商店の社長、川端友二氏だ。その言葉通り、2003年オープンの1号店「焼とんyaたゆたゆ 天下茶屋 本店」を皮切りに、焼とん店、豚の骨付きリブが名物のワインバル、骨付き豚カルビ店と、業態こそ変われど一貫して「豚料理」の店を出し続けている。
「肉は豚オンリー」の会社だからできる、部位の有効活用によるコスト削減の利点もある。2011年オープンの4号店「ワインバル・ヤ リブリン ウラなんば本店(以下リブリン)」は、既存店では使わずに捨ててしまう部位「リブ」を活用しようと、そのリブをワインと相性のいいオーブン焼にすることで「名物」としてヒットさせた。と同時に、それまで焼とん店だけの展開だった同社初のワインバル業態として、会社を大きく成長させるきっかけにもなった。

そんな同社の最新店が、2014年にオープンした「日本橋ビアホール」だ。看板料理は豚のスペアリブをカリッと揚げた「骨付きポークフライ」(1本380円)で、夜だけで一日約40本が出る。そのポークフライにかぶりつきながら「ビールをぐびぐび流し込む」が同店のコンセプトで、一日約75杯のビールが出る。6種類揃う生ビールは特注の有田焼のドラフトタワーから注ぐなど、ビアホールらしい雰囲気づくりも工夫しているが、外観や内装、インテリアは決して本場のドイツ風ではなく、「西洋かぶれした戦前の日本人が、背伸びしてつくったビアホールをイメージ」(川端社長)。そこであえて古いすりガラスの戸やタイルなどを外観に設置し、店内には裸電球や昔の電車のつり革をぶら下げている。そうしたレトロな雰囲気もお客に受け、10坪の小バコながら月商450万円を売上げる繁盛店となっている。

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店ではなく
「人に会いに行く」のがウラなんば


「日本橋ビアホール」は、今「ウラなんば」として注目されている、南海なんば駅の北東エリアに立地。ウラなんばとは一般的に「なんばグランド花月の裏手、千日前商店街のアーケードがとぎれた辺りから、堺筋までの一帯を指す」(川端社長)。実はこのエリアへの出店は、川端屋商店としては4店目。だが4店目にして初めて「ウラなんばを意識した店を出した」と川端社長。「それまでの3店は、特にウラなんばは意識せず、どの街に出しても繁盛するような『おいしいものを食べて、楽しい時間を過ごしてもらう』店づくりをしてきた。だがこの店は黒門市場の向いの角地で、ウラなんばの東玄関とでもいうべき一等地。そこが空き家になったとき、もしここにチェーン店が入ったらウラなんばの空気感が損なわれる。そう感じてここに出店を決めた」。
ウラなんばに集中出店することでこの街を盛り上げてきた「立役者」の川端社長らしい、街への思い入れが感じられるエピソードだ。だがその社長も、難波のホテルのフレンチ部門で働いていた20代の頃は、「このあたりは立ち寄りたくない場所だった」と振り返る。当時は風俗店がメーンの街で、そういった店の客引きも多かったからだ。「でも自分で店を経営するようになってから行くと、そのいかがわしさが逆に面白く感じた。大人になって、いかがわしさを面白がる余裕ができたんだと思う」(川端社長)。
元々「繁華街から外れた方が面白い」と考えていた川端社長は、2007年、同社の3号店「大阪焼トンセンター」をウラなんばへ初出店した。飲食店経営者には人気のないエリアだったので家賃も安く、坪家賃は1万7千円。それでいて、ターミナルのなんば駅から徒歩5分と、きっかけさえあれば人の流れを呼び込める立地だった。
だが「周りには僕と同じ30代が経営する飲食店がほとんどなく、また僕自身、行きたいと思える店が周囲になかった」(川端社長)。そんな時に勇気づけてくれたのが、このエリアの象徴である味園ビルだ。一般的には大宴会場のあるビルとして有名だが、実は二階に個人経営の個性的なバーが複数テナントで入っており、若者が集まるディープスポットになっていた。
「たまに同年代のお洒落な女性がこの街を歩いていて、見るとたいてい味園ビルの二階に行く。それを見て、僕もこの街に同年代のお客を引っ張ってこれると確信した」(川端社長)。
この街の可能性を信じた川端社長が取った手段が、周囲に同年代が集う飲食店を増やすことだ。「周囲に店が増えた方が、相乗効果で自分の店も繁盛する。あの街に行ったら食べたい店が必ず見つかる、という風にしたい。お客が『あの店に行こう』じゃなく『あの街に行こう』となるようにしたかった」(川端社長)。
だがなかなか周囲に同年代を対象にした飲食店ができないため、「自分で店を増やすこしにした」(川端社長)。ウラなんば1店目を出してから2年後の2009年、2店目の「焼とんyaたゆたゆ 難波千日前」をオープン。すると一年後、星本幸一郎氏が鉄板居酒屋「鉄板野郎」をオープンして人気を集め、川端社長が望んでいた「相乗効果」で、次第に街に若者がやってくるようになった。また当時の大阪府知事、橋下徹氏がこの地域の風俗店を次々に排除したことも、飲食店には追い風になった。風俗の客引きが減ってお客が歩きやすくなり、「街の空気が変わりつつある」と感じた川端社長は、2011年、ウラなんば3店目となるワインバル「リブリン」をオープン。「鉄板野郎」の星本店主と二人で「ウラなんば」というネーミングを考え、口コミで周囲に広めていったのもこの頃だ。そうして次第に飲食店が増えていき、それに目を付けた地元の人気情報誌が、2012年に「ウラなんば特集」として大々的に紹介。街の認知度が飛躍的に高まった。
昨年12月には朝日新聞にも「飲食店急増 ウラなんば」という題で取り上げられるなど、その認知度は全国に広がりつつあり、それに応じて家賃も上昇。昨年オープンの「日本橋ビアホール」は坪家賃3万円と、7年前の「大阪焼トンセンター」の約2倍に。それだけ人気が上昇しているエリアといえる。

こうして今や全国的にも注目されるスポットとなったウラなんばだが、その商圏としての特徴は独特だ。「あの店に行く、じゃなくて、『あの人に会いに行く』お客が多い」と川端社長。例えば日本橋ビアホールなら、「日本橋ビアホール行こか、じゃなくて、ナオキ(店長の下の名前)んとこ行こか、と言ってウチに来る」。その理由としてまず、小バコの店が多いこと。そのため店員とお客の距離が近く、すぐ仲良くなって下の名前で呼び合うようになるという。
小バコなのでお客同士の距離も近い。一人で飲みに来た人でも、すぐ隣の人と仲良くなり、「味園ビル知ってる? 面白いから行こか」などと誘って、次の店に行く。で、帰る頃には5人連れになっている光景をよく見るという。
「とにかくこの街が好きで、面白い店を『教えたがる』お客が多い」と川端社長。お客が次々に面白い店を探し、それを他に伝えていく。そうしてお客と店、お客とお客がつながっていった結果、「一人でふらっと入った店でも、たいてい知り合いが飲んでいる」のがウラなんばの特徴になっており、街に人を呼び込む求心力にもなっている。川端社長が最初に目指した「『あの店に行こう』じゃなく『あの街に行こう』となるようにしたかった」が今、まさに実現しているというわけだ。だが最初に街を開拓したのは川端社長や星本店主かもしれないが、今ではお客自身がこの街を盛り上げていく原動力になっている。
それを象徴しているのが、3年前から毎年開催されているウラなんば文化祭だ。イベントパスを購入して約60店の参加店舗を飲み歩く「街バル」だが、他の街の街バルと違うのは、企画・主催しているのが商工会議所や商店街ではなく、一般のお客だということだ。彼らが無償で主催している理由はただ一つ、「この街が面白いから」。川端社長自身も、ウラなんばで店を運営する魅力を「毎日が街バルのようで楽しいから」と話す。

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川端社長とともに、この一帯を「ウラなんば」と名付けた星本店主の店「鉄板野郎」(ビルの2階)


そんなウラなんばの一等地に、川端社長が「この街の空気感を守りたい」と出店した「日本橋ビアホール」は、必然的にウラなんばの空気に合わせた店となっている。自店の利益だけでなく、「ウラなんばの魅力をもっと紹介できるような、街のホットステーションになってほしい」という川端社長の思いもこめられているため、店のつくりも工夫されている。
その一つが、ユニークな席レイアウトだ。前にこのビルに入居していたカフェはスタバを真似たようなお洒落な店で、キッチンはクローズドだった。また大通り側の壁はガラス張りで通行人から丸見えだったが、お客が通りに背を向けて座っているため、閉鎖的な雰囲気だったという。その物件を居抜きで借りた川端社長は、まず中央のキッチンを覆っていた壁を取り払い、オープンキッチンに。そのキッチンをカウンターが囲み、さらにその周囲をテーブル席が取り囲む席レイアウトにした。テーブルが窓側にあるため、通行人からテーブルと、そこに座るお客の顔がよく見える。また窓側のテーブルの真上には、目を引くアンティークな照明を吊るした。これには「外から見たとき、店がショールームのようになるように」(川端社長)という狙いがある。通りに背を向けるのではなく、通りに顔を向けるオープンな席レイアウトが、「店とお客の距離が近い」ウラなんばの空気に合うと判断したからだ。

外パリッ、中ジューシーな
ポークフライが看板

料理はどれもビールに合うよう濃いめの味付けだが、「お酒のアテ」ではなく、しっかり作り込んだ料理が多い。豚にこだわってきた同社らしく、この店の料理も肉は全て豚で、料理ジャンルは「豚肉料理」。看板に打ち出している「骨付きポークフライ」は、広東料理の鶏の唐揚げをベースに、鶏を豚に変えて作った同店のオリジナルだ。スペアリブに岩塩と、隠し味の蝦香醤(エビジャン)をまぶし、外はパリっと、中は柔らかくなるよう調整して揚げている。ひと口かじるとジューシーな肉汁があふれる食感と、隠し味の蝦香醤が効いた「やみつきになる味」(川端社長)が人気だ。プレーンの岩塩の他にもグリーンマスタード、ケイジャンスパイスなど6種類のフレーバーを用意し、飽きさせないよう工夫。「ビールと一緒に食べてもらいたいので、注文から早いと2分、遅くても8分で提供できるようにしている。
ランチでは「ポーク100%ハンバーグ」(ご飯、みそ汁、コーヒー付きで780円)を名物に打ち出し、チーズやおろしポン酢など4種類を用意。一番人気はプレーンの「醤油オニオンソース味」で、一日30食が出る。豚肉100%にこだわったハンバーグは豚肉本来の美味しさを味わえるよう、胡椒以外の調味料は使わない。お客からは「やわらかい」「牛に比べてあっさり食べられる」などの声が多く、好評だ。

接客は、ウラなんばの他店と同様、店員とお客の距離が近く、互いに下の名前で呼び合うなどフレンドリー。だがお客の居心地を良くするため、常に気を配っている。「接客で一つだけ大切にしているのは、音を聞くこと」だと杉本直樹店長は言う。店内は常にラジオの音やお客の声で賑やかだが、そんな中でもドアが開く音、箸が落ちた音、グラスをテーブルに置く音などを聞き逃さないようにしているという。例えばグラスを置く音が多く聞こえたら、「そろそろグラスが空くな」と察して、次の注文を聞きに行く。「お客に声をかけられる前に、常に先手先手で行動いるようしている」(杉本店長)。また看板のポークフライは肉にかぶりつく食べ方なので、口周りや手が汚れる。そこであらかじめおしぼりをテーブルに用意しているが、その後もポークフライを頼む数に合わせて、お客に言われる前にさりげなく何度もおしぼりを交換している。一見、友達のようなフランクな関係に見える店員とお客だが、そうした細やかな気遣いが、同店をウラなんばの中でも人気店にならしめているといえる。

■DATA
日本橋ビアホール
大阪市中央区日本橋1-20-8
電話/06-6649-0254
経営/川端屋商店


看板料理の骨付きポークフライは、異なるフレーバーが7種類。スナック菓子のカールを砕いてまぶした「カールスモーキー」が一番人気だ。「ビールとスナック菓子は合う」ことから考案したという。

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ランチメニューも豚にこだわった「ポーク100%ハンバーグ」(ご飯、みそ汁、コーヒー付きで780円)。ご飯はおかわり自由で、ご飯のかわりに小ビールも選べる。週末は3割くらいがビールを頼むという

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「ウラなんば」の角地に立地する同店。10坪の小バコなのに「ホール」としたのは、「人が集うこの街のイメージに合うから」(川端社長)。

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取材時は、この街を舞台にした映画「味園ユニバース」の公開前だったため、映画のポスターが店前にさりげなく置かれていた。


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レトロな外観や内装は「わざとらしくならないよう気をつけている」と川端社長。その秘訣はレトロな素材をただ飾るのではなく、「道具」として使うこと。古い茶箱もボトル棚として使用

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「ドイツ風のビアホールにしたくない」という川端社長は、ドラフトタワーも有田焼のものを特注。コンセプトは「西洋かぶれの日本人の店」。
豚料理専門の店らしく、ちょこんと置かれた
豚がかわいい。



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アンコールワット貧乏ツアー〈3〉ナーガの噴水を求めて
バスやタクシーを乗り継いでようやくシェムリアップに到着したその日の夜。ここまで来る道中で知り合った安藤さん、山中さん、鏡子さん、ナオヤ君たちと、シェムリアップの繁華街で晩ご飯を食べることになっていた。待ち合わせ場所は、シヴォタ通りとポコンボー通りが交わる交差点にある、ナーガの噴水。決めたのは私。別に前もって現地を視察して決めたわけではない。私は図書館で借りた「地球の歩き方」に載っていた地図を拡大コピーして持ってきていたのだが、その地図の中で、「ナーガの噴水」が一番分かりやすかったからだ。なんたって「噴水」だし、待ち合わせ場所にはぴったりだろう。

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これが、私が持参していた「歩き方」の地図

待ち合わせ時間は19時。私とナオヤ君は同じゲストハウスに泊まっていたので、二人でロビーで合流し、いざ出発。だが夜だし、見知らぬ場所なので徒歩で行くのはちょっと不安。そこでゲストハウス前に待機していたトゥクトゥクを利用することにした。
私はさっそく、トゥクトゥクの運転手に持ってきた地図を差し出し、拙い英語で「ナーガの噴水に言ってください」と伝えた。だが運転手は「どこそれ?」とばかりに首をひねる。どうやら私の下手な英語ではだめらしい。
そこでナオヤ君が、持っているiPhoneで「噴水」の英語「watera fountain」を検索し、その画面を運転手に見せた。それでもなお、運転手は首をひねる。近くにいた他の運転手にも「watera fountain」の画面を見せたが、彼もまた「そんな場所知らない」と言う。
約束の時間は刻一刻と近づいてくるし、さあ困った。その時、ホテルの中からオーナーのおじさんが出てきたので、私は彼に地図を見せた。すると「ここはバスターミナルじゃないか?」。それを聞いて、さっきまで首をひねっていた運転手たちが、ようやく合点がいったという顔になって口々に何か言い合った。そしてその一人、私が最初に声をかけたお兄さんが「早く乗って」という仕草をしたので、私とナオヤ君はトゥクトゥクの座席に乗り込んだ。

初めて乗るトゥクトゥクだが、屋根からぶら下がっている吊り革につかまって、揺れに身を任せているのが面白く、よく揺れるバスに乗っているようだった。夜のシェムリアップの繁華街は予想以上の人ごみで、それらを縫うようにしてトゥクトゥクは走る。あっという間に待ち合わせ場所のナーガの噴水に着いた。
なーんや、ちゃんと噴水あるやん。と思ったが、よく見ると、噴水から水が出ていない。かわききった噴水台だけが残っていて、その周りにバスが停まっている。
噴水台のかわきっぷりを見ると、どうも「今だけ」水が出ていないわけではなく、ずっと前から水は出ていないらしい。
水が出ない噴水を、いったいなんと呼ぶのだろうか? 確かにもはや噴水ではない。どうりで、トゥクトゥクの運転手に「ナーガの噴水」と言っても通じなかったわけだ。

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これが、後から確認したグーグルマップ。確かに「噴水」とはどこにも書かれていない。

もう待ち合わせ時間はとっくに過ぎていて、噴水台の向こうで山中さん、鏡子さん、安藤さんの三人が手を振っていた。ようやく合流できて、さあ、どこで晩ご飯を食べよう?と私が迷っている間もなく、山中さんが先頭になってどんどん繁華街の中へ入って行く。後に続く四人。目指すはパブストリートだ。

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歩いて行くと、すぐにネオンの看板が見えた。「50セントでビールが飲める、憧れのパブストリート!」と鏡子さん。私は知らなかったけれど、パブストリートでは50セントでビールが飲めると、旅行者の間では有名らしい。
確かにパブストリートにある店の幾つかには、店頭に置かれたメニューブックに大きく「ビール50セント」と貼り紙されてあった。が、それらの店はどこも満席。あきらめかけていたところ、運良く、ちょうどその一件からお客が出てくるところを発見。すかさず山中さんがその店の店員に、たった今空いた席に座らせてほしいと言ってくれたおかげで、私たちはその店に入ることができた。
席に座ってメニューブックを見ると、この店は「カンボジア・キュイジーヌ」がメインらしい。カンボジア・キュイジーヌったって、元のカンボジア料理がどんなものか分からないから、いったいどんな料理なのか想像もつかない。だが周りを見るとほとんどのお客が鍋を囲んでいるので、私たちも鍋料理をオーダーした。そしてもちろん50セントの生ビール。

やがてテーブルに運ばれてきた鍋は、ジンギスカン鍋そっくり。違うのは、突起した上の部分だけ残して、周りにスープを入れて野菜を煮込むことだ。また具材も、おなじみの豚や鶏の他に、ヘビ、ワニ、カエルなど、日本人からしたらゲテモノの部類に入る肉もあり、私たちは好奇心からそれらもオーダーした。
そのうち、ヘビとワニは元の形が分からないような「肉片」として出てくるので、私も抵抗なく食べられた。歯ごたえがあって、味は淡白で食べやすい。
が、カエルだけは周りに「おいしいから食べてみなよ」とすすめられても、食べられなかった。なぜなら「カエルの足」そのまんまの形で食卓に出されたから。もっとヘビやワニのように、元が何なのか分からない形で出してほしかったわハニー。まあ細いカエルの足を細かく切り刻むのは無理があるとは思うが。
で、それらの肉を突起した上の部分で焼くんだけど、すぐにつるっと滑って下のスープに落ちてしまう。そのスープでは野菜を煮込んでいたから、そのたびに私たちは(というか主に私が)「スープにカエルのエキスがとけ込む!」と騒いでいた。
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私たちが食べたカンボジアの鍋。スープはあっさり味で、野菜がたくさん食べられてヘルシー。

後から「歩き方」を読んで分かったことだが、私たちが入った店は「カンボジアン・バーベキュー」という店で、私たちが食べたカンボジア伝統焼肉が名物とのこと。そして肉は炭火で焼くと「歩き方」には書いてあったが、私たちが食べた鍋はごく普通のガスコンロで、カセットガスを差し込んで火をつけ、鍋を熱していた。しかもそのカセットがすぐ燃料切れになり、次に店員が持ってきたのが、ゆうに30年は地中に埋まっていたのではと思われる、表面にびっしり茶色のサビがついたカセット。コンロに差し込んだとたん、爆発するんじゃないかと一瞬腰が引けた。どこが「炭火」なんだ。

さて鍋を囲んでいる5人のうち、私とナオヤ君だけがツアー参加組で、明日の朝早くから予定が組みこまれている。なので22時になったところで、私とナオヤ君だけが先に店を出て帰途についた。後の三人ーー山中さん、安藤さん、鏡子さんとは、カンボジアではそれ以降ご一緒することはなかったけれど、日本に帰ってきてからも時々メールをやりとりしている。
さて、行きはトゥクトゥクを使った私たちだけど、もう道を覚えたので、帰りは歩いてゲストハウスまで帰った。歩いても10分ほどだし、道沿いに店やホテルが多くにぎやかなので危険は感じない。ただ、ゲストハウス周辺だけはあまり店がないので、遅い時間帯に一人でうろつくのは避けた方が無難だろう。

【以下は翌日、一人でパブストリートを訪れたときのスナップ】
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パブストリート周辺の、ドクターフィッシュのお店。英語で「魚がマッサージ」とか書いてあるけど、足の角質を食べてくれるだけで、マッサージしてくれる訳ではないのでは。


見た目はどう見てもクレープなのに、「パンケーキ」と称して売っている屋台をよく見かけた。
もしかしてカンボジアでは、小麦粉を溶いて焼いたお菓子は全てパンケーキなのかも。


パブストリート周辺はとにかく交通量が多い。信号もないので、道の横断はスリルがいっぱい。


私がとっても興味をひかれた、にょろにょろしたクッキーの中にソフトクリームをつめこんだお菓子。満腹じゃなければ食べたかった。

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地雷で足を失った人たちが、ストリートで演奏して募金を募っている風景を2日連続で見かけた。私はわずかなお金を募金箱に入れてから、この写真を撮らせてもらった。

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ゲストハウスへの帰り道に見かけた、「タンタン・アイリッシュカフェ&ゲストハウス」。タンタンといえばベルギーなのに、なぜアイリッシュカフェなのか謎。
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たわわちゃんクッキー
記憶が薄れないうちにカンボジア旅行記の続きを書きたいのに、平日はもちろん土日もお仕事でしんど……いや充実しすぎてて、なかなか続きが続きません(ヘンな日本語?)。
そんななか、たまにはリフレッシュしようと、先週の金曜日、京都タワーホテルのレストラン「タワーテラス」のプレス招待会に行ってきました。いや一応これも「雑誌で紹介できるならしたい」という考えのもとに行ったので、一応仕事ではあるのですが。(一応言い過ぎ)

その招待会でお土産にもらった、たわわちゃんクッキー。ちなみに「たわわちゃん」とは、京都タワーの公式マスコットのこと。招待会でも着ぐるみのたわわちゃんが登場して、参加者に愛想を振りまいていました。
クッキーにも書いてあるように、今日、京都タワーホテルのレストラン「タワーテラス」オープンなのです。

で、こうしてクッキーをブログにupして、思い出すのは二年前。あの時もたまたま梅田の大丸に行ったら入口で「開店30周年記念クッキー」をもらって、思わずブログにupしたのでした。
ペコちゃんズ45(フォーティーファイブ)

そして今回もふと思い立って、クッキーをブログにupするワタシ。つくづく「デコクッキー」に弱いなー。まあそれもあるけど、やっぱりこういう「記念日デコクッキー商法」って上手いと思う。食べられるからもらっても邪魔にならないし、でもかわいいからすぐ食べちゃうのがもったいなくて、思わず写真に撮ってSNSやブログにupするなどして、記念に残したくなる。で、自然と世間に広まっていくわけですよ。今日「タワーテラス」がオープンしたことなどが。

現に私も、プレス招待会で出た料理の数々は写真に撮らなかったのに、たわわちゃんクッキーはそのまま食べてしまうのが惜しくて、写真に撮ったりしている。人間の「食べてしまうのがもったいない」精神をうまく利用した記念日デコクッキー商法、SNS時代にはもってこいの宣伝方法だと思うのです。
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アンコールワット貧乏ツアー〈2〉ほとんどバン、ちょこっとバスで最後はタクシー。
私たちが乗り込んだバンは、バンコク市内を回ってツアー参加者をピックアップすること約30分。もう座席は全て埋まっているのに、それでもまだホテル前に停車した時は、「まだ乗せるつもりなん?」と驚いた。
その驚きをよそに、数分後、欧米人の若い男性が満席のバンに乗り込んできた。いったいどこに座るんだろうと思って見ていたら、「ウィ〜ン」という起動音とともに、運転席横の補助席が立ち上がった。これには私を含む日本人乗客から、思わず「おお…」と感嘆の声が上がった。
こうして補助席まで使い切ってから、ようやくパンはカンボジアに向けて走り出した。国境まで約5時間ものあいだ、あの座り心地の悪そうな補助席に、あの体格のいい欧米男性が座らせられるのはちょっと気の毒。と同時に、乗り合いバスじゃあるまいし、こういうツアーですら、座席を極限まで満席にしないと出発しない「もったいない精神」にいささか感心する。しかしいくらガス代節約とはいえ、ツアー参加の「お客様」を、補助席に座らせるか、フツー?(笑)。日本ではちょっと考えられない。さすがタイ。

とはいえ、最後部座席に座っていた私たち日本人組は快適だった。バンは快調にカンボジアに向かって走り、車窓の風景もビルが建ち並ぶ都心から、郊外の住宅街へ、そして草原の合間にぽつんぽつんと建物が点在する風景へと移り変わる。バンがバンコクを抜けて、タイの田舎を走っているのだと分かった。だがほとんど家がないような地域にも、ところどころに国王の写真が豪華な額に入って道路脇に飾られている。またタイ国旗と国王の黄色い旗、また王妃の水色の旗もあちこちに掲げられていて、国王の人気はタイ全土におよんでいるのだと実感させられた。

そろそろカンボジアとの国境に近づいたんだと感じたのは、途中、軍服を着た若者が道路に出てきて、それを見た運転手がバンを停めたとき。ライフル銃を抱えたその若者は、運転手と言葉を交わし、バンの中をちらっと確認してから、私たちに「行っていい」と許可を出したようだった。カンボジアとの国境付近で、タイ軍とカンボジア軍が小競り合いを続けていたのは昔の事だと思っていたけど、今も緊張関係は続いているらしい。

再び走り出したバンは、ほどなく、野外にテーブル席を設けた食堂前で停車した。ここでお昼ご飯を食べる予定らしい。
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私は、こういうツアーに組み込まれている飲食店は「もれなくまずい」という固定観念がある。なので他の人たちがみなお店のメニューから注文するなか、一人だけ注文せずに、昨夜「Konnichipan」で買ったクロワッサンを食べた。一日経ったクロワッサンは、サクサクだっただろうパン生地がしっとりしていた。でも別にいいもん、節約になるしと思っていたら、運ばれてきた料理を食べたナオヤ君がしみじみと言った。
「タイに来て初めておいしいタイ料理を食べた」
え? もしかしてこの食堂っておいしいの?
同じく注文した料理を食べている他の二人ーー安藤さんと山中さんも、「辛くない」「おいしい」とのこと。そうか、ツアーで利用する食堂だけあって、色んな国の人に受け入れられる味付けにしているのかも。だったら私も一人でしなびたパンかじってないで、注文すればよかったかも……と今頃になってちょっと後悔。

さて私たちがお昼ご飯を食べている間、ツアーを引率しているガイドの人が近くのカンボジア大使館で、私と山中さんのビザを手配してくれていた。で、私たちが食べ終わる頃に、二人のビザを持って帰ってきた。ビザ申請には顔写真が二枚いるんだけど、私がこの時、ガイドに渡した写真は実は3年くらい前のもの。せっかく撮った証明写真を有効利用したいという貧乏根性からだが、白黒だったのが幸いしたのか、ぶじにビザが降りたようだ。

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この食堂には、食堂の主人が飼っていると思われる犬が二匹いた。客に迷惑をかけないためだろう、タイの犬にしては珍しく鎖につながれている。
二匹の犬は、私たちのテーブルのすぐ横の「テーブル」で、私たちの食事中ひたすら寝ていた。ガイドはその一匹を指差して「怠け者の犬」と言ったけれど、そりゃこんなに暑いんだもの、バテるのも仕方ない。

さて昼ご飯を食べ終えたツアー一行は、また同じバンに乗り込んで出発。走り出してすぐに、道路の周囲に店が増えて賑やかになってきた。そろそろ国境か、と思っているうちにバンが停車した。
全員下車して、ガイドの後ろをスーツケースを引きずりながらぞろぞろ歩く。するとほどなく目の前に、国王と王妃の写真を中央に飾ったタイの国境ゲートが見えてきた。

このゲートの向こうはもうカンボジア。だがゲートをくぐる前に、入国管理局で出国審査を受けなければならない。タイの入国管理局も、このゲートと同じく民族色豊かな極彩色の建物かと思ったら、コンクリート造りの殺風景な建物で、ちょっと拍子抜けする。
だが撮影スポットにはなりそうにならないものの、入国管理局の中は広々としていて、列をつくって審査を待っている間もそれほど暑さを感じなかった。
審査を終えて管理局を出ると、タイの国境ゲートの足元だった。その向こうには、カンボジアの象徴、アンコールワットが見える。もう一度よく見ると、アンコールワットの精密なコピーを頂きに冠したカンボジアの国境ゲートだった。
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どちらの国のゲートも、その国ならではの個性が出ていて面白い。特にカンボジアの国境ゲートは、「いよいよこれからアンコールワットに向かうんだ」という旅情をかきたてられる。
だが、ここからが長かった。カンボジアの国境ゲートをくぐる前に、今度はカンボジアの入国管理局で入国審査を受けるのだが、タイのそれとは雲泥の差の、粗末なプレハブ小屋のような造り。中も狭くて、管理局に入る前から道路に行列ができていた。タイのように建物の中で列を作るのではなく、暑い日射しの下での行列。しかもなかなか列が進まない。結局、審査を終えてゲートをくぐるまでに1時間くらいかかったと思う。
だが待ち時間が長かったおかげで、幸運な出会いもあった。私たちが並んでいるすぐ後ろに、日本人女性も並んでいた。私たちは列に並びながら出入国カードを書いていたのだが、私が書き方に手間取っているのを見て、その女性が声をかけてくれて、書き方を教えてくれたのだ。
彼女は山田鏡子さんといい、私と同じく日本からの旅行者だった。まずベトナムに行ってそこからバンコクに飛び、モーチット発の「国境越えツアー」というバスツアーでここまで来たのだという。国境越えツアーは国境を越えるまでのツアーなので、ここから先は個人旅行とのこと。アンコールワットも個人で観光する予定だとか。もちろん一人で、である。なんか、旅慣れててかっこいい。つい面倒くさくてツアーにしたけれど、やっぱり私も個人でアンコールワット観光した方がよかったかも。

日本ではテレビ番組の制作の仕事をしているという鏡子さんと、私たちはすぐに意気投合し、今夜シェムリアップで一緒に晩ご飯を食べようということになった。時間と待ち合わせ場所を決めた後、管理局を出たところでひとまず彼女とお別れする。

ようやく入国審査を終えて国境ゲートをくぐってからも、私たちはすぐには出発できなかった。私たちツアー一行をそれぞれのホテルまで送り届ける役割のガイドがまだ到着していないらしく、売店前のベンチで1時間近く待たされる。
それにしてもカンボジア側の国境付近は、まるでホテルかと見まがうくらいの、やたら立派な外観のカジノが多かった。あれもタイ資本なのだろうか。


私と同じツアーに参加している欧米人たちも、待ち疲れた表情。手前で、机に座って扇風機を独占(笑)しているのが、私たちをここまで引率してきたガイドのおじさん。

この後、ようやく別のガイドが到着。私たちは今度はバスに乗り込み、出発した。そのバスも約10分ほど走った後、やたらだだっ広い建物前で停車する。一見、音楽ホールのようだけれど、実はタクシー乗り場らしい。タクシー乗り場にこんな大空間の建物が必要なのだろうか。狭すぎてごった返していた入国管理局といい、用途と建物がマッチングしていない気がする。
ここでツアー一行は、それぞれのホテルに向かうタクシーへと乗り換えた。私と大学生のナオヤ君は「サワディー・アンコール・イン」へ向かうので同じタクシー。安藤さんはカンボジア入りするまでのツアーだったので、ホテルはまだ決めていないという。それでもとりあえず、私たちと同じタクシーに乗り込み、出発した。
シェムリアップのホテルまでは約3時間。以前は凸凹だった道のりが舗装されて快適になった、と持参している「ツアー日程」に書いてあった。実際、快適だったけれど、道が舗装されたぶん、運転手が飛ばす飛ばす。前を走る車をどんどん追い抜いて行く。それはなかなかスリリングな体験だったけれど、後部座席の真ん中に座っていた私は、久しぶりに「車酔い」のような軽い吐き気に襲われた。バスに乗ろうが船に乗ろうが、とにかく絶対に「乗り物酔いしない」のが私の強みなはずなのに。その私を車酔いさせるとは。おそるべしカンボジア、というか東南アジアのドライバー。

そんなこんなでちょっと気分悪くなりながら、ようやく「サワディー・アンコール・イン」に到着。ここで、別のホテルに泊まる安藤さんといったん別れる。
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この「サワディー・アンコール・イン」、バンコクの日本人経営の旅行会社御用達のゲストハウスらしく、オーナーらしきおじさんは片言の日本語が話せた。つまりそれだけ日本人の宿泊客が多いということで、だからという訳でもないだろうが、玄関で靴を脱いでから建物の中に入るスタイルだった。私は履き慣れて革がクタクタになったビルケンを履いてきたので、玄関に脱ぎっぱなしにしても盗まれる心配はないだろうけれど、心配な人は脱いだ靴を持って自分の部屋まで行っていた。


部屋は簡素だけれど、清潔で必要充分。シャワーもちゃんと熱いお湯が出た。

部屋に入って、まずはベッドの上にごろんと寝転ぶ。丸一日かけての国境越え陸路ツアーは、バンとバス、さらにタクシーを乗り継いでようやくホテルにたどりつけた。移動時間もそうだけれど、入国審査やバスの待ち時間もけっこう長くてけっこう疲れた。でもその疲れを補って余りある、素敵な出会いにも恵まれた。ツアー参加の日本人はみんな一人旅の人ばかりで、すぐに打ち解けていろいろ情報交換できたし。ホテルで10分ほど休んでから、またその人たちと晩ご飯を食べるため、待ち合わせ場所に出かけなくては。疲れてはいたけれど、それが嬉しかった。やっぱり異国では一度くらい、みんなでワイワイと色んな料理を注文したい。
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アンコールワット貧乏ツアー〈1〉おかゆを食べていざ出発
明日からの、アンコールワットツアーの集合時間は朝7時。寝坊しないよう、関空で借りたガラケーの目覚ましを6時にセットしてベッドに入った。
ちなみに私は普段の生活でもガラケー派。スマホのライン等でリアルタイムに友達とつながる、ということに全く魅力を感じないので。(エラソーに言っているが、友達が少ないというのも理由のひとつ)

翌朝、ぶじ6時にガラケーに起こされる。このホテルは朝食付きではないので、朝食を食べに行くか、それとも昨夜「Konnichipan」で買ったクロワッサンを食べるべきか?
ここで素直にホテルの部屋でクロワッサンを食べればいいものを、せっかくタイに来ているのにそれはちょっと味気ない、やっぱり外の屋台で朝食を食べたい。それも、できればタイの朝食としてポピュラーなおかゆを食べたい。そう思って外出した。

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早朝のタニ通り周辺。すでに屋台が並んでいたが、売られているものは昨夜、見たような揚げ物などのコッテリ系の料理は少なく、ビニールに入ったご飯と野菜などが多かった。あれをそのまま食べるのか、それとも持ち帰って家で炊いておかゆにするのだろうか?

また早朝ならではの光景として、昨夜、カオサン地区では全く見かけなかったお坊さんがたくさんいた。あざやかなオレンジ色の僧衣が早朝の街並に映える。みんな手にお皿のようなものを持ち、屋台の前を練り歩いている。屋台の人はそのお皿に、料理や食材を入れていた。なるほど、これが早朝の托鉢か。早起きした甲斐がある、とその光景をぼんやり眺めた。
また、狭い通りでお坊さんとすれ違った女性が、すかさず両手を合わせて拝むのも見た。信心深いタイ人の日常を垣間見た気がした。

屋台はたくさん並んでいたが、お目当てのおかゆ屋台はなかなか見つからなかった。こと食べ物のことになると意固地になる私。集合時間は刻一刻と迫っているというのに、どうしてもおかゆが食べたくて別の通りまで歩いていった。そしたらようやく一件、鍋でおかゆを炊いている屋台を見つけた。さっそく、そそくさとその店に歩み寄る。実はこれが、私にとってタイの屋台初体験。この時のために覚えたタイ語で、店のお姉さんに注文してみた。
「アオ・アンニー・カァ(これください)」
そう言いながら鍋を指差し、お金を払う。お姉さんが、すぐ近くのテーブルで待ってて、という仕草をしたので、その指示に従った。

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テーブルに座って待っている間、屋台の風景をぱちり。オレンジ色の僧衣を着たお坊さんは、屋台の前に座ってお店の人と親しそうに話していた。それにしてもこのお坊さん、「清貧」という僧侶のイメージに似つかわしくなく、ぽっちゃりしていた。後から義妹に聞いたところによると、タイのお坊さんはメタボになる人が増えているらしく、ダイエットが推進されているらしい。

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私が待っている間も、次々におかゆ屋台にお客さんがやってきた。これは、期待できるかもしれない!そう思ってワクワクしていたら、おかゆが運ばれてきた。昨日の朝も、空港のフードコートでおかゆを食べた。そして今日も、朝食は屋台のおかゆ。我ながらワンパータンだが、おいしいんだからしょうがない。それにこれから先はずっと朝食付きのホテルに泊まることになっているから、朝食におかゆを食べられるのはこの日が最後だろう。
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とろとろに煮込まれたおかゆ。肉団子入りで、お腹の底からあったまる。寒い国ならともかく、朝からすでに暑いタイで「あったまる」というのもおかしいけれど。でも物理的なあったかさじゃなく、精神的なあったかさがあるのだ、タイのおかゆには。手作りならではのぬくもりを感じるというか。

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テーブルには、おかゆにふりかける生姜と、キッコーマンの醤油が置いてあった。
でも私は何も足さずに食べるのが好み。何も入れなくてもほんのり塩味がついている。

念願の「屋台でおかゆ」が達成できて、お腹も心も満ち足りた気分でホテルに戻った。だがおかゆに執念を燃やしすぎたせいで、ふと時計を見ると集合時間の7時まであと15分ほどしかない。大急ぎで支度を整えてホテルを出たのが、7時5分前。ホテルから集合場所の「ジパング・トラベル」店舗まではすぐだし、と高をくくっていたが、地図を持っていたのにみごとにその場所を通り過ぎた。さすが方向音痴。いや感心している場合じゃない。焦ってうろうろしているうちに、集合時間を5分ほど過ぎてしまった。まずい、もうツアーは出発しちゃったかも?とさらに焦りながら引き返したら、ようやく集合場所を発見。「ジパング・トラベル」店舗前で、日本人らしき若い男性が一人、立っていた。聞くと、彼も同じツアーでカンボジアに行くらしい。集合時間の5分前に来たのに、まだ誰も来ないとのこと。そしてその後、10分たっても20分たってもツアーのガイドは現れなかった。これが「タイ時間」というやつか。たった5分程度遅れたくらいで、「もうツアーは出発しちゃったかも」などと焦っていた自分が馬鹿みたいだ。

一番乗りで待っていた若い男性は安藤さんといい、私と同じく日本からの旅行者だった。年末年始の休暇に有休をプラスして、早めにタイに来たとのこと。それから10分後くらいに、山中さんという男性がツアー集合者の群れに加わった。彼は旅行者というより滞在者。ビザなしでタイに滞在できる30日目が今日なので、いったん出国してまたタイに入国して滞在期間をリセットするため、カンボジアに行くこのツアーに参加したのだという。
3人で話しているうちに、集合時間からすでに約30分経過。それからようやく、ツアーガイドの男性が集合場所にやってきた。胸に、ガイドから配られたツアー参加者シールを貼ってから、ロット・トゥーと呼ばれる10人乗りくらいのバンに乗り込み、出発した。
とはいっても、すぐにカンボジアに向かった訳ではない。それから30分くらいは、バンコク市内のあちこちの集合場所を回って、ツアー参加者を拾い集めた。すでにバンには、私たちより先に、日本人の若い男性が乗っていた。ナオヤ君といい、すでに就職が決まった大学4回生で、最後の長い休暇を利用して世界一周中らしい。しかもその旅費は親が出してくれているとか。なんて羨ましい。
バンにはその後、次々にツアー参加者たちが乗り込んできたけれど、みんな欧米人らしき人たちで、日本人は私と安藤さん、山中さん、ナオヤ君の4人だけだった。しかしたった4人とはいえ、みんな見事に属性が違う。ビザラン目当ての長期滞在者あり、世界一周中の大学生あり、年末年始休暇中の会社員あり、そしてフリーランス(私)ありという、バラエティ豊かなメンツでカンボジアへの旅が始まった。
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猫とカオソイ。(カオサン散策)
「ショシャナ」でデザートを食べた後、義妹とお別れして、カオサン通り周辺を散策した。今日は12月25日。店頭にクリスマスツリーを飾っている店舗が多く、華やかな雰囲気だった。

バンコクで見かけたドナルドは、いずれも両手を胸の前で合わせるタイ風の挨拶「ワイ」をしていた。カオサン通りのドナルドもこのポーズ。

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私が泊まったパンニーハウス(Pannee House)。カオサン通りから2本裏のタニ通りにある。

その後いったんホテルに戻って、19時くらいまで休憩した。それから再びホテルを出て、カオサン周辺を、両替屋求めて歩いた。明日からのカンボジア旅行に備えて、持ってるタイバーツをUSドルに両替する必要があったからだ。
それと、晩ご飯。だがこちらはタイに来る前に、「ここで食べよう」と前もって決めていた店があった。ラムブトリ通りにある「マダム・ムーサー(Madame Musur Bar & Restaurant)」というお店。決めては「カオソイが絶品」だというネットの口コミである。

……いつも思うんだけど、私の理想とする旅は、事前に何も下調べしない旅。ふらっと出かけて、町を散策中に見つけた良さそうなお店にふらっと入ってご飯を食べる、という気ままな旅。それが理想のはずなのに、いざ実際に旅行するとなると、「どうせならおいしいお店で食べたい」と、念入りにネットで口コミを読んで下調べしてしまう。このやり方だと確かに「良さそうな店だと思ったのにマズかった……」などのハズレは少ない。一日の終わりには「よし、今日も予定どおりの場所を観光して、予定通りの店で食べられた。ぶじミッション達成!」みたいな、ちょっとした達成感もある。だがその後ふと、「仕事を離れてリラックスするはずの旅行で、何をシャカリキに予定こなそうとしてんだアタシ……」という虚しさにとらわれることもしばしば。これでは仕事と変わらない。なのに翌日にはまた、予定通りに行動してしまう。これはきっと「せっかく高いお金を払ってはるばる海外に来たんだから、変な店に入ってソンしたくない」という貧乏根性がその根底にあるのだと思う。
まあそれはともかく。旅行前に、訪れる街の地図をネットで見ながら、「このお店良さそう。いやこっちの店もいいな」と、あれこれ物色するのは単純に楽しい。「旅行は準備している時が一番楽しい」というのもあながち間違いではないと思う。

さて「マダム・ムーサー」目指して歩いたラムブトリ通りだけど、人通りが多いわりには落ち着いた、リラックスした雰囲気なのは、きっと緑が多いことも理由なのだろう。カオサン通りのようにネオンぎらぎらの派手な店は少なく、個人経営のこじんまりした店が多い印象。マッサージ店も多く、通り沿いにずらっと並んだベッドの上で、欧米の白人たちがタイ人からマッサージを受けている風景が目立つ。それもこの通りのリラックスした雰囲気をつくっているんだけれど、私はベッドに寝ている白人たちにタイ人が懸命にマッサージしているその風景が、なんだか植民地的にも見えた。もちろんこれはタイ人が「仕事」としてやっていることで、召使いがご主人様に奉仕しているわけでもなんでもない。そもそもタイは東南アジアでは唯一植民地になったことがない国で、それなのに白人が颯爽と闊歩しているこのカオサン地区が「植民地的」に見えるというのは、なんとも滑稽だった。

そんなことを感じながら歩いているうちに、「マダム・ムーサー」にたどりついた。通りと店を隔てる壁がない開放的なつくりで、いかにもカオサンらしい雰囲気が味わえる。でも今は夜だからいいけど、壁がないから日中は暑そう。
私は通りを目の前に眺められるカウンター席に座り、早速メニューからカオソイを選んで注文した。料理を待ちつつ、カウンターから前の通りを写したのが下の写真。

緑が多いラムブトリ通り。夜になると木につけられたイルミネーションがきらめく。
店頭のテラス席でくつろいでいるのも、通りを歩いているのも白人の姿が目立つ。


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「マダム・ムーサー」のメニューブック。写真が大きく、メニューも英語表記なので分かりやすい。やはりこのあたりの店は欧米人向けに経営しているんだと実感する。

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伝票入れは、バラの絵が描かれたアンティーク風の小箱。こういう細かいところが、この店はとてもおしゃれだった。

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お待ちかねのカオソイ到着。じっくり煮込まれた鶏肉は、フォークでつつくとすぐにほろほろと骨から離れた。口に入れるととろけるように柔らかい。旅行客向けなのか、カレーの辛さもマイルドで食べやすい。もっと辛くしたい人向けに、唐辛子の調味料も皿に入って添えられていたけど、もちろん私は使わなかった。
この時は持参していたペットボトルの水を飲みながら食べたけれど、それだとより強く辛さを感じるような気がするので、次はフルーツジュースを頼んで、それを飲みながら食べようと思う。

さて晩ご飯を食べたら、次は両替屋。両替屋はあちこちにあったけれど、この時間帯はどの店も晩ご飯タイムらしく、窓口に「休憩中」の札がかかっている店が多い。それでも開いてる店を探して、そこでバーツをドルに両替する。できればレートがいい店がよかったが、「休憩中」の札がかかっていない店を探すのが面倒だったのでここにした。

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両替屋の店頭に鎮座していた猫。両替が終わってからそうっと頭を撫でてみると、「ミャ〜」と気持ち良さそうにひと鳴きした。なんて人慣れした猫なんだ。するとその様子を見ていたおじさん(両替屋の人ではなく、近くの道路に座っていた人)が、私に微笑んできた。私も自然と微笑み返してから、その店から立ち去る。
それにしてもカオサンって猫が多い。もし「らんま1/2」の乱馬がこの街を歩いたら、すぐさま失神しそうなほどに。エジプト原産の猫は暑さに強いから、タイでも犬のようにバテることなく、たくましく生きて行けるのだろう。
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カオサン通りとつながっているチャクラポン通りにある、日本人経営のパン屋さん「Konnichipan」の店先にも黒猫が。こちらも人慣れしている様子。
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このパン屋で私はクロワッサンを買った。だが食べたのが翌日のお昼だったので、買った時にはサクサクだったパン生地がしっとりしていた……。(きっと暑さも関係あるんだと思う)

街は、まだまだカオサンの夜はこれから!って感じのにぎわいぶりだったけれど、明日からのカンボジアツアーに備えて、私は夜がふけないうちにホテルに戻った。こうして、タイ到着一日目の夜は、窓外からかすかに聞こえる喧噪の音とともに過ぎていった。
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2番バスに乗ってカオサンへ
さてタイ到着後すぐにフードコートで食べたおかゆや、「ゲッダワー」で食べたタイ料理がおいしかったことで、早くも私はタイが好きになり始めていた。行く前はあまり乗り気ではなかったくせに、食べ物がおいしいと、たちまちその国を好きになるのがいかにも食い意地の張った私である。
だがタイ滞在は、とりあえず今日でひとまず中段して、明日の早朝、カオサン発のバスツアーでカンボジアに行く予定になっていた。なので今夜はカオサン地区のホテルに前泊の予約を入れている。そこでランチ後はブロンポンからカオサンに移動しようということになったが、私は当然、事前にガイドブックで調べてきたチャオプラヤー・エクスプレス・ボートに乗って行くつもりだった。カオサンは近くにBTSやMRT(地下鉄)の駅がないので、ボートで行くのが一般的だと思っていたのだ。スムーズにボートに乗れるよう、ボートの種類や乗り方、料金表などもコピーしてクリアファイルに入れてきた。だがそれを聞いた弟夫婦は、「ボートだと遠回りになる。カオサンまではバスに乗った方が早いし安い」。
それまでは「チャオプラヤー川をボートで行くのは旅情があってええな」とか思っていた私だが、「安い」というキーワードを聞いて、がぜんバスに乗ってみたくなった。ガイドブックなどには「バンコクの路線バスを乗りこなすのは、旅行者には難しい」と書いてあったので、「バスで行く」という選択肢はハナから私の頭にはなかった。が、今日は弟の奥さんが、カオサンまで私と一緒にバスに乗ってくれるという。
それなら乗った!
タイに住んで三年の義妹と一緒なら安心だ。私はカンボジアツアー3泊4日分の荷物をまとめて、義妹と一緒に家を出た。

ちなみに私が申し込んだ、アンコールワット観光がメインのカンボジアツアーはこれ。
http://zipangutravel.com/tour_cambodia.html
幾つかあるツアーのうち、「アンコールワット世界遺産巡りツアー3泊4日(日本語ガイド付き)」を選んだ。
さらにホテルはエアコン付きシングルルームで、カンボジアビザもスタッフに国境で取得してもらうオプションをつけたので、ツアー代金は定額よりちょっと高め。それでもツアー代金4,700バーツ+ビザ代1500バーツで、合計6,200バーツ。日本円だと2万4,800円(2014年12月のレートでは)。3泊4日で運賃もホテルも日本語ガイドも込みの値段だと思うと安い。
だが値段の安さは、そのままツアーの過酷さに比例する。まあカオサン出発なので、なるべく旅費を抑えたいバックパッカー向けのツアーだということは承知していたし、狭いバンにぎゅうぎゅうにつめ込まれて、窮屈な姿勢で長時間耐えなければならないことも承知していた。「安い」というのはそういうものだ。

さてプロンポンからカオサンへ行くには、スクンビット通りを走る2番のバスに乗る。義妹と一緒に、スクンビット通りのバス停で2番のバスを待った。タイには日本のような「バスの時刻表」がなく、目当てのバスがいつ来るか分からないのだと義妹。約10数分ほどして2番のバスが来たので乗り込む。集金に来た車掌のおじさんに、義妹が「カオサン」と言って料金を支払う。(余談だがこの車掌さん、なかなかダンディで素敵だった。だがこの後、私が乗ったバスの車掌さんはなぜか皆さんおばさんばかり。バンコクでは「おじさん車掌」はレアなのだろうか?)

この時乗ったのはエアコンなしのバスで、だから運賃も安く、確か6.5バーツだったと思う。日本円にすると約24円。やすーい。この値段で、乗り換えなしでカオサンまで行ってくれるなんて、バス最高!
しかも安いだけでなく、車窓からの眺めもいい。路面の遥か上を走るBTSだと街の風景を俯瞰でしか見れないが、バスは路面を走るから、周りの風景がすごく身近で、屋台で何を売っているのかもよく分かる。



バスの窓からは、路上の屋台の様子もよく見える。これはみかんジュースの屋台。
タイのみかんは日本のそれよりずっと小さく、むいて食べるより、つぶしてジュースにするのが一般的だそう。



だが「バス最高!」と盛り上がっていたのも束の間、ほどなくバスの最大のデメリットに気づいた。いやバスだけでなく、道路を走る車全てに共通のデメリットというべきか。バンコク名物、渋滞である。
午後15時という時間帯もまずかったのだろうか。スクンビットを颯爽と走っていたのはほんの3分くらいで、やがてノロノロ運転になり、ついには全く動かなくなってしまった。
いくら車窓の風景が珍しくても、ずっと同じ風景ばかり見ていると飽きる。昨夜、飛行機の中であまり眠れなかったこともあり、私はやがてウトウト。隣に座る義妹もウトウト。まあポジティブに考えれば、ここで渋滞にはまってくれたおかげで、私は睡眠不足をいささか回復できたともいえる。
目を覚ました時には、ようやく渋滞を抜け、バスが走り出した頃だった。チットロム〜サイアム周辺が酷い渋滞だったらしく、「あそこはいつも混むんですよね〜」と義妹。
いったん渋滞を抜けると、後はスムーズだった。やがて国王の写真が華々しく飾られた大通りに出た。後で調べたらここはラチャダムヌン・クラン通り。ここで車掌さんが私たちに「カオサン!」と教えてくれたので、義妹とともにバスを降りる。
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ラチャダムヌン・クラン通り

通り沿いのビルの前では、小さな紙を並べた売り場に、大勢の人が群がっていた。義妹が「あれは宝くじを売ってるんですよ」と教えてくれた。
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今夜、泊まるのはカオサン通りから2本裏のタニ通りにある、パンニーハウス(Pannee House)というホテル。明日朝のツアー集合場所であるジパング・トラベル社に近いというのが、このホテルを選んだ理由だ。
カオサン地区にあるにもかかわらず、カオサン通りの2本裏なので夜はわりと静かでおすすめ。たまに夜中に大声が聞こえるけれど、カオサン地区だし許容範囲。部屋も清潔。ただ一つ難点を言えば、シャワーで熱いお湯が出ないこと、だろうか。

このホテルにチェックインして荷物を置いた後、「何か冷たいものでも飲もうか」ということに。ここで、なぜかタイ在住3年の義妹ではなく、今朝タイに着いたばかりの私が張り切って、事前にネットで調べて「ここ行きたい」と思っていたイスラエル料理店ショシャナ(Shoshana)に義妹を連れて行く。こと食べ物のことになると、綿密な事前リサーチを欠かさない私の面目躍如といったところか。

イスラエル料理店ショシャナ。
カオサン通りとラムブトリ通りの間の、短い通り(短すぎて通りの名前もない)に立地。


メニューはイスラエル料理がメインだが、他にタイ料理と、デザート、ドリンクも充実している。私はマンゴージュースを注文。するとびっくりするらい巨大なグラスが運ばれてきた。マンゴーをそのままジューサーにかけたような濃厚さで飲みごたえがある。だが店内は寒いくらい冷房がきいているので(タイのレストランはどこもそうだが)、飲んでいるうちに体の芯から寒くなってきた。やはりこういう冷たいジュースは、冷房のきいた店内ではなく、炎天下を歩きながら飲むのがおいしい。
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ジュースとともに、私は揚げバナナ、義妹はチーズケーキを頼んだが、どちらも売り切れ。南国でもっともメジャーな果物のバナナを切らすってどうやねん(笑)。しかも別のデザートを注文してそれを待ってる間に、店員さんが外の売店でバナナを仕入れたらしく、バナナを持って店内に入ってくるし。私たちがオーダーしてる最中に、そのオーダーを聞いていた店員さんが店内で流しているテレビに夢中になってテレビの前に移動してしまうし。まだオーダー終わってないんやけど(笑)。「これがタイですよ」と義妹は苦笑。私も笑った。こういうユルさは笑えるから好きだ。
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揚げバナナもチーズケーキも切らしているというので、替わりに私はプリンを、義妹はフォンダンショコラを注文する。わざわざイスラエル料理店に来て頼むデザートにしては普通すぎる……。しかしどちらも濃厚でおいしかった。特にプリンは日本によくある、とろけるような食感のなめらかプリンじゃなくて、ちょっと固めのプリン。これが新鮮だった。

私たちが入った時は他にお客はいなかったけど、食べている間に、次々にお客が入ってきた。そしてそのうちの一人が頼んでいたピタサンドイッチが巨大なボリュームで、義妹と二人で「あんなの一人で食べれなーい」と言い合った。(余計お世話だ)
噂によるとモーニングセットがかなりお得らしいので、カオサンで朝食を食べる予定の人は候補の一つに入れていい店だと思う。

しかしこのお店、席数のわりにやたら店員が多い。みんな暇なのか店員同士で談笑してるし。その割には呼んでもすぐ席に来ないし。そのことを義妹に言うと、「タイでは仕事中にお喋りできる余裕がないと、みんなやめてしまうんですよ」だそうだ。

■ショシャナ(Shoshana)
http://shoshanarestaurant.com
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駐在員の奥さんオススメ。チェンマイ料理の「ゲッダワー」
弟の住むマンションは、スクンビット通りから一本入った脇道(ソイ)にあった。車の交通量が多いスクンビット通りは排気ガスが凄くて、弟は「ここを歩く時はいつも口にマスクをしてんねん」と言った。私はプロンポンというと「日本人駐在員が多く住むハイソな街」というイメージがあったのだが、スクンビット通りは埃っぽくて歩道はでこぼこ、通り沿いにはコンビニなどが密集していて、ハイソなイメージとはほど遠かった。まあ、駐在員が住むような高級住宅街は、駅や大通りから離れた、もっと静かな場所にあるのだろう。

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植木鉢が取り付けられたスクンビット通りの街灯。排気ガスにさらされながら咲く花がけなげ。
道路の上の高架は、スカイトレイン「BTSの線路。

弟夫婦の住むマンションにスーツケースを預けてから、弟が牧師をしている日本人教会に行き、聖書の学びと祈り会に出席した。海外の日本人教会に行くのはこれで三度目。一度目はフィラデルフィア、二度目はロンドンで、いずれの国も日本人駐在員やその家族が教会に多く来ていた。ここバンコクの教会でも駐在員が教会の中心メンバーのようで、その数はフィラデルフィアやロンドンよりも多かった。それだけバンコクは日本企業が数多く進出しており、駐在員が多い街、ということなのだろう。
とりわけ駐在員の奥さんたちが多かった。普段の生活ではまず出会う機会がないような、これらの人たちと出会い、話せることが、旅行の醍醐味でもある。翌日からのカンボジアツアーで出会った鏡子さんは、「旅行って普段混ざらない人と知り合えることが魅力ですよね。いろんな人の好意に甘え、一緒に笑ったりと心を豊かにするものですね」と、旅行後にメールで私に送ってくれた。本当にそのとおりだと思う。私もこの時、駐在員の奥さんたちの好意に甘えさせてもらった。「タイ料理が食べたい」という私のリクエストに応えて、聖書の学びと祈り会の後、駐在員の奥さんたちお勧めのタイ料理レストランに連れて行ってもらい、ごちそうしてもらったのだ。
教会のすぐ近く、スクンビット・ソイ35にある「ゲッダワー」というお店である。

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生い茂った緑の中にたたずむさまは、まさに「隠れ家」


出てきた料理は伝統的なタイ料理もあれば、あまり見ない変わった料理もあった。下のリンク先の記事によると、タイ北部のチェンマイ料理らしい。
http://www.bangkoknavi.com/food/247/

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出された料理は全ておいしかったが、特に揚げ物がおいしかった。写真の、チキンの手羽先の他にも、コロッケのような料理が絶品。駐在員の奥さんたちも「これ、ここの名物? とびきりおいしくない?」と絶賛していた。

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グレープフルーツに似た、タイの果物(名前を教えてもらったけど忘れた)のサラダ。さっぱりしていて、口直しにぴったり。


「ゲッダワー」は店内のインテリアもアンティーク風で落ち着く。
壁に飾られている絵は、タイの田舎の風景。タイは大雨がよく降るので、田舎では高床式住居が主流だそう。

■ゲッダワー
住所/24 Sukhumvit 35 Rd. Wattana, Bangkok, Thailand
電話/02-662-0501
トリップアドバイザー
http://www.tripadvisor.jp/Restaurant_Review-g293916-d2075264-Reviews-Gedhawa-Bangkok.html


「ゲッダワー」でランチを食べながらの、駐在員の奥さんたちとの会話も興味深かった。奥さんたちの一人が「今朝、旦那がピンクの象を見たって、メールで写真送ってきた」と、その写真をスマホで見せてくれた。観光用か、それとも何かのイベントだろうか。全身をピンクに塗られ、頭に飾りをつけた象が象使いとともに写っていて、その目がどこか哀しげだった。
「これ、もとからピンク色の象?」「違うと思う。ピンク色に塗られたんじゃない?」「タイ人ならそういう事しそう」と奥さんたち。タイでは象は神聖な動物として大事にされていると思っていたけど、どうやらそうでもないらしい。

駐在員の奥さんには、おすすめマッサージ店も教えてもらった。「もみや」という日本式マッサージの店で、前はトンローにあったが、今はプロンポンのソイ22に移転したということも教えてもらい、私が持っているガイドブックの地図に印をつけてもらった。「マッサージの上手さは店じゃなく、人による」ということで、「もみや」ではプクさんという女性がおすすめとか。カンボジアツアーから帰った翌日、早速その「もみや」を利用した。予約せずにいきなり行くこともできるが、プクさんを指名したかったので、ホテルから当日、電話で予約した。私はフットマッサージと日本式マッサージのセットをお願いしたが、フットマッサージだけでも充分気持ちいいと思う。
ただ、帰り際にプクさんにチップとして20バーツを渡したけど、私が受けたマッサージの値段(400バーツほど)なら、チップは50バーツが相場だと、後で弟の奥さんに教えてもらった。そういう情報って普通のガイドブックにはなかなか載っていないから、旅行者はちょっと戸惑うところだ。

■もみやジャスミン
http://www.momiya-jasmine.com/
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